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選択が人生をつくると気づいた偏差値30の私。生きるためだけに働くことは嫌だった自分が選んだ「選択肢をつくる環境」

私は昔から、「みんながやっているから」という理由だけでは努力できない子でした。常に「自分なりの目的」がないとうまく走れなくて、向上心や競争心を原動力に成長していく生き方とは無縁でした。 そんな私が偏差値30から大学に進学し、フリーランスの時代を経て、なぜ今LiBにいるのかをお話したいと思います。

優等生から留年ギリギリ、偏差値30からの大学進学。納得しないと動けない不器用な自分だったから見られた世界

幼少期の私は、様々な習い事をやらせてもらっていました。例えば、3歳で始めた学習塾。算数が大好きで全国表彰の常連でした。ただ、表彰や発表会は自分のなかで目的にならず、その先に何があるのかと考えた時に努力の意味がわからなくなってしまい、どれも長続きしませんでした。

親の仕事の都合で毎年のように引っ越しがあり、転校を繰り返すなかでは、勉強ができることを武器に感じていました。「親しみやすい優等生オーラ」を出して学級委員に指名されるコツも覚えました。ただ、そこから一転、中高一貫校という安定の6年間に入学した後は、まともに授業にも参加せず毎年留年ギリギリの成績となりました。唯一、学校と自分を繋ぎ止めていたのはバトントワリング部の活動。チームをどうしたいか個人がどうなりたいか等、自分なりに取り組む目的を持つことができていました。難易度の高い目標を置いて努力を惜しまず、それが学校を中退しない最大のモチベーションという状態でした。

そして高校3年生で部活を引退し、全国模試を受けたところ、なんと偏差値30。「果たして大学に進学する必要があるのか」を考え始めました。 地元では既に働いている同級生もいて、父親の仕事が安定しない時期だったこともあり、特に目的が無いのなら大学にいかず就職するべきと思っていました。一方で、敷かれたレールの上を走るのではなく、自分で人生のレールを敷ける人になりたくて、ただただ生活のためにお金を稼ぐという仕事の仕方をするのは絶対に嫌でした。

環境が選択肢をつくり、選択が人生を創る。自分の身を置く環境をどう選ぶかを考え始めた大学時代

そんなことを考えながら、ふと冷静に、自分には“選択肢”があるということを感じました。周囲との比較もあったと思いますが、自分の生きてきた世界の狭さや経験値の少なさはあるけれど、今ならまだ選べる、自分の努力でどうにでもなる範囲内だと感じ、初めて自分の生まれ育った環境に感謝しました。たかだか18年間の人生でしたが、優等生も劣等生も経験し、上下左右さまざまなコミュニティに身を置いたからこそ見える世界もありました。 環境が機会や選択肢をつくり、そこからの選択の繰り返しで人生がつくられる。だからこそ、これからは自分の身を置く環境を自分で選ぶことがとても大切だと考えるようになりました。

そして私は、その最たるものだと考えた「犯罪」、なかでも「未成年の非行・犯罪」に関わろうと、少年法について学ぶことのできる大学を受験することにしたのです。

大学時代は社会にでる前の執行猶予期間。とにかく多くの経験を積みたくて、入学早々から多種多様なアルバイトのほか、教授から紹介してもらった家庭裁判所内に存在する団体にも所属しました。非行少年と定期的な個別面談や家庭教師をしたり、時にはご両親もいっしょに奉仕活動や合宿に行ったりする活動をして過ごしました。 大学の4年間、裁判所に関わっていましたが、仕事に目的や社会的意義は感じられるものの、内側から旧態依然としたやり方に変化を起こすことの難しさ等を感じ、法曹や公務員を目指すことなく民間企業に就職して営利ビジネスのルールを学ぶことに決めました。

この時の自分のテーマは「人の選択のきっかけをつくること」と「人が身を置く環境に関わること」。人材採用は、企業経営者にとっても求職者にとっても大きな選択に当たるし、仕事は、重要な環境のひとつになると考え、ヘッドハンターの仕事を選ぶことにしました。そのなかでもさらに、会社名やサービスに頼らない純度の高いビジネススキルをつけたくて、知名度の低い会社に入社することを選びました。

突然訪れた「キャリアの迷子」状態!自分と向き合うために選択したフリーランスという働き方

入社後はとにかくがむしゃらに働き、いつからか社内でも成果を上げて評価もいただいている状態でしたが、社会人4年を過ぎた頃、キャリアの迷子になってしまったのです。 当時の私は「組織のなかで自分がどうあるべきか」という観点で最大努力していて、「できること(CAN)」も「やりたいこと(WILL)」も社内という枠の中に留まっているのではと焦りを感じるようになっていました。

そこから、自分/会社/社会のシンクロが難しくなり、次の職場のあてもなく貯金もないまま、退職を申し出ていました。納得のいくキャリアの軸が見つからないまま転職する気は起きなかったので、フラットに自分と向き合うために「フリーランス」という働き方で“モラトリアム期間”とすることにしたのです。 マーケットにでて分かったことは、1社目で本当にたくさんの成長機会を与えてもらっていたのだということ。HR領域において幅広い経験を持っていたことと、応援者にも恵まれていたことで、責任と自由のバランスがとれたフリーランス生活を謳歌できたことには感謝しかありません。

フリーランスの経験で得られたものはたくさんありましたが、中でも3つの大きな気付きがありました。 1つ目が「LifeとWorkは自分の中で分けられない」ということ。自分は仕事を通じて自己実現をするタイプなので、無理に分ける必要はないんだと確信しました。 2つ目は、やはり子供の頃と変わらず「目的のない努力が苦手」ということ。私がフリーランスで働く目的は、有意義なモラトリアムということでしかなかったので、出来ることで充分すぎる対価を得ている生活ではありましたが、心に熱さを持てずにいました。自分の持つスキルや経験や時間を投資して何を為すべきか…と、新たな目的を求めるようになりました。 そして、最後に「個としての承認欲求は卒業するべき」ということ。フリーランスを経験してみて、自分には既に、ある程度「生きる力」があるということを認識し、再び組織に所属して、誰かと一緒に何かを創るステージにきたんだなと思いました。そして、勝率の高いチームと共に、個人では為し得ないような高い次元・大きな単位で、社会へのインパクトある事業や価値観を創って、その作品で評価されたいと考えるようになりました。

フリーランスを経て、なぜLiBにいるのか

そんなとき、創業時から縁のあったLiBが創ろうとしている価値観が、自分のスキルや経験、時間の投資先として適していることに気が付き、LiBにジョインすることにしました。 LiBの現在の主力事業は「キャリア女性の転職支援領域」ですが、上位概念として「生きるをもっとポジティブに」というビジョンがあります。キャリアの多様性と選択肢を提供することが、性差なく活躍できる人を増やすことに繋がり、個人・企業・日本社会をよりポジティブな状態にしていけるのだと思います。現在、私自身もキャリアの多様性と選択肢を体現するべく、個人事業と週4日勤務を両立する兼業スタイル(メンバーシップオプション)にチャレンジしています。クリエイターやエンジニアではないビジネス系の職種でこのような働き方をできる会社は珍しいのではないかと思います。

フリーランスとしては、LiB入社前から継続して、IT系成長企業の「人事部の業務改善」、「インハウスリクルーターとして攻めの採用施策の企画/設計/実施」、「調達後の組織立ち上げ/採用ブランディングの企画」を行っています。

LiBでは、リクルーティングパートナーとして、主にダイバーシティ推進やキャリア女性を採用したい企業に向けた提案営業を行っていますが、正直、毎月のように自分のミッションが変わっています(笑)。 会社のビジョンにブレはなく、組織や事業課題には日々変化があるため、高いレベルのゼネラリストとして柔軟に活躍できるよう自分の強みを活かしていきたいですね。 また、営利事業でこのテーマに取り組んでいることに価値を感じていて、ビジョナリーな目的がありながら、ビジネスレベルが高いのもLiBという組織の魅力だと思っています。

兼業以外でも、子どもがいる社員の時短勤務や海外でのリモートワークなど、ライフスタイルに合わせた多様な働き方が実現できるLiBでは各種職種を絶賛募集中です。 ご興味をお持ちいただけましたら、どうぞお気軽に遊びに来てください。

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