オプト鉢嶺さんに後押ししてもらう
その後も、安定的にロゴは売れ始めて、KPIは明確になった。
Q:1個辺りの成約率
C:1個辺りの制作時間
D:月当たりの生産量
製造業で培ってきたQCD観点でのマネジメントを開始した。
量産体制もできてきたので、しゅふJOBを中心に、主婦でデザイナーの方を採用させてもらって一気に拡充していった。
とは言いつつも、まだ社内のプロジェクトの一つに過ぎない状態。なんか思いっきり踏み込む感じにもなりきれてなかった。
そんな中、オプトの創業者であり社長の鉢嶺さんに事業プレゼンする機会を頂けた。
大先輩から、何か少しだけでもヒントがもらえないかと必死になってプレゼンをした。
ミーティングが終わる頃には、僕は勇気をもらって決意をすることができた。
鉢嶺さんからしたら何てこと無いメッセージだったかもしれないけど、僕は何故か断固たる決意を得る事ができた。
この事業に人生を賭けようと。
(出資はしてもらえなかったけど。)
創業8年目の大きな決断
僕の腹は決まった。あとはこの事業とどのくらい本気で向き合うかだ。
その頃の僕の状況はと言うと、スマホアプリの受託開発事業が安定的に稼働していた。そして、それをきっちり回してくれていたのが、社員達と創業取締役の島田と細羽だった。
2ヶ月くらい悶々と悩んだ。サウナにも何回も行った。自問自答した。そしてサウナに行った。
僕は決めた。
島田と細羽をスマホアプリ開発事業から新規のデザインAI事業部に異動してもらおうと。
この一文で書くとめちゃくちゃ軽く聞こえるけど、それはとっても大きな決断だった。
考えてみても欲しい。今あなたの会社で、主軸となる大黒柱の二人をメインの稼ぎ頭の事業部から異動させると。
容易に思いつくのは、組織の崩壊だ。
(そしてそれは現実に起こるのだけどそれは少し先の話として。)
この決断によって今まで8年間積み上げていたものを全て失うかもしれない。
それでも僕は挑戦したいと心の底から思えた。
この時の決断を今でも全く後悔してないんだけど、正直この時は社会を良くしたいとか、誰かを幸せにしたいとかそういう気持ちはほとんど無くって、ただただ、手元にある、世の中を根底からひっくり返せるかもしれないっていうビッグチャンスをやりきりたいって気持ちだった。
二人と話し合い、そして、スマホアプリ開発の事業部を平井さん(創業期からのメンバー。)本人に託す旨を伝えた。
2017年11月のこと。
誰もが不安になり、そしてその不安はこの後、的中することとなる。
Part4へ続く、、、
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