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幼い頃の体験がフライク設立の原動力に。代表取締役・大瀧が考える「フライクだからできること」

当社は「システムを用いて“できない”を“できる”にする」を合言葉に、さまざまな企業に社内システム構築、システム設計・導入、改善など幅広く実施し、企業の経営戦略にまで踏み込んだ支援を行っているスタートアップです。

現在は第二成長期を見据え、未経験を含めた採用を強化しているフライクですが、そんなフライクはどのような変遷で設立されたのでしょうか。今回は代表の大瀧さんにインタビューを実施し、大瀧さんのこれまでを振り返っていただきながら、お話しを聞きました。

大瀧さんのお人柄・考え方を通じ、どのようにフライク設立にいたったのかをぜひご覧ください。


いまも大切にしている幼少期の2つの原体験

――本日はよろしくお願いします。まず大瀧さんの生い立ちについて聞かせてください。どのような幼少期を過ごされてきたのですか?

大瀧:私は福岡市東区の北部にある街・香椎で生まれ育ちました。市の中心部までは電車で15分ほど。副都心として発展し続けている、歴史と新しさが同居した街です。駅前には、昔ながらの商店街や新興のショッピングモールなど、さまざまな商業施設があり、子どもの頃はよくそこに家族で出かけていました。

私の父はフリーランスでしたが、家族に不自由な思いはさせたくないと熱心に仕事に打ち込んでいました。当時はまだ珍しい働き方だったと思いますが、金銭的に不自由をした記憶はありません。自分がそのようにして生きてこられたのは、父が頑張ってくれていたからだと大人になってはじめて気づきました。私が掲げている「大事なのは金銭的余裕があること」という持論のルーツは、いま思い返すと幼少期の環境にあった気がします。

また、私はずっとおばあちゃんっ子でした。祖母はいつも身体を気遣ってくれ、どんなときでも味方でいてくれました。小学生時代、人とのコミュニケーションがうまくいかず、閉じこもりがちになってしまったときも、無理に学校に行かせようとはせず、私のことだけを心配してくれたことをいまでも覚えています。そのことは「好きな人を大切にできる人間でなければならない」という考え方につながっています。どちらも私の人格を形成する原体験になっていますね。フライクの代表取締役という立場でも、そのような想いを大切にしたいという考えは変わりません。

――そのような幼少期を経て、大学卒業後はIT系の大手メーカーに入社したと伺いました。社会に出て苦労したことはありましたか?

大瀧:1番は人とのコミュニケーションですね。体育会系の職場だったので、いたるところにいわゆる昭和らしい文化が根付いていて。上司や同僚との食事の席では、一升瓶でお酒を飲むこともよくありました。「大手企業」と言うと、勝ち組のイメージがあるじゃないですか?だからこそ、理想と現実のギャップにずっと戸惑っていましたね。もちろん数十年ほど前のことなので、今はそのようなことはないと思いますが笑。

――そのときの体験から学んだことがあれば教えてください。

大瀧:肩書はただの役割だということですね。たとえば、私はフライクのCEOですが、だからといって社員の誰よりも偉いわけではありません。社員は生きるために必要なお金を稼ぐためにフライクに所属し、私のもとで働いてくれているだけなんです。このことはお客様との関係においても成り立ちます。金銭のやりとりがなくなったとき、切れてしまう関係性のなかには上下は存在しません。社会人時代の経験があったからこそ、このような考えにたどり着くことができました。

――経営に活きている部分もあるのでしょうか?

大瀧:メーカーが売りたい物と、クライアントが導入したい物の間に大きな隔たりがあることを学べた点ですね。社内のシステムを外注している企業はたくさんありますが、完成したサービスに満足しているのはごく一部だったりします。その齟齬の原因が、メーカーとクライアントの想いのすれ違いにあるんです。メーカーはギリギリの予算でシステムを組む。クライアントは想定と違うシステムを使い続ける。これではどちらも幸せになっていません。

フライクは「安請け合いしない」をモットーにしています。メーカー、クライアントがともに幸せになるためには、お客様の希望に寄り添ったうえで、きちんと予算について話し合える環境が不可欠です。私だけではなく、社員、クライアント、エンドユーザーのすべてが幸せになれるような仕事ができなければ意味がないんですよね。フライクが年収を高く設定できているのも、こうしたスタンスが背景にあります。

数々の経験を経て意識するようになった起業という選択肢

――大手ITメーカーで働かれた後、法人・個人事業主向けにSaaSクラウドサービスを提供するフィンテック企業にご転職されたと伺いました。フィンテック企業では、どのような経験をされてきたのですか?

大瀧:この企業には、日本全国の支社が売上を競う社内コンペティションがありました。私が配属になった九州支社はあまり業績の良い方ではなく、下位の常連になっていました。そのような状況からチーム内では「このままでは九州支社がなくなる」という噂も出るほどでした。

私は「このままではまずい!」と思い、九州支社を上位にランクインさせるために奔走します。その間にはチームでトップの業績を上げたこともありました。けれども、1人で頑張っても私だけが忙しいばかりで、なかなか全体の順位は上がってこないんですよね。そのときに学んだのが「周囲を巻き込むことが成果を出すための近道である」ということです。

ともすると、人と協力しながら歩みを進めることは、遠回りなやり方で煩わしいと考えられがちですが、実は結果的にはこちらの方が近道になりやすいんです。この企業では、そのようなことを学ばせてもらいました。

その後、九州支社長と広島営業所長を兼任し、2019年には西日本の責任者としてマザーズ上場を経験し、非常に良い経験もさせていただきました。

一方で、自社システムとSalesforceの連携が開始された時に、自社システムでありながら、そのシステムの導入に苦戦していた様子も見ており、「営業部門と経理会計部門との連携こそが、持続的企業の発展に大いに貢献するシステムなのではないか」という思いも感じていました。

――そのような考えに至ったことで、起業を意識し始めたのですね。

大瀧:もちろんそのような考えにたどり着いたことも起業の背景になっていますが、それだけではありません。私はフライクの前身である3rdコンサルティング株式会社を立ち上げるまでに、ダブルワークも経験しています。

ダブルワーク時代には、コミュニティを立ち上げ、中小企業の経営課題解決やDX化支援に取り組んでいました。その当時、ご支援前のクライアントから「結局何が課題なのかを言語化できないまま、勧められたシステムを導入してしまった」「システム導入し、表層的な問題は解決されたものの、根本的な課題解決に至らなかった」等のお声をいただくことが多く、「システムを武器に変革するための”伴走者”を企業は求めているのではないか」ということを強く実感しました。

「良き伴走者でありたい」福岡・香椎からクライアントの課題解決を見つめる

――お話を伺うかぎり、順風満帆なダブルワーク時代を送られていたように感じたのですが、どのような経緯で起業という大きな一歩を踏み出すことを決意したのでしょうか?

大瀧:挑戦的な環境に身を置きたいと考えたことが1番の理由でした。ダブルワークで活動を続けるにしても、再就職するにしても、それまでのキャリアを考えれば、困ることはあまりなかったと思うのですが、一度経験した場所で戦い続けることにはマンネリ感があったんです。大好きな福岡に残りつつ挑戦欲を満たせる働き方はないかと考えたとき、行き着いたのが起業という選択肢でした。

――さまざまな企業形態があるなかで、株式会社という形を選ぶことは最初から決まっていたのですか?

大瀧:いえ、もともと私はダブルワーク・副業から個人事業主一本で、そのまま働き続けるのも悪くないと思っていましたし、起業するとしても合同会社で十分だと考えていました。株式会社にすることを決めたのは、メンター的存在としてリスペクトしている方のアドバイスがあったからですね。その方は、合同会社を選ぶという私の考えに否定的だったんです。

「上場している大企業を相手に仕事をしていくつもりなら、個人事業主や合同会社ではなく、株式会社として同じ土俵に立つべきだ」「経営者の課題は人・モノ・金・情報と言われている時代に同じ目線で悩みを共有できない奴に、クライアントの課題解決を語る資格はない」そのとおりですよね。そう言われ、ハッとしました。前身の3rdコンサルティングを株式会社として立ち上げた背景には、そのような出来事がありました。

――起業への原動力となった大瀧さんのマインドは、「挑戦し続ける人と、挑戦し続ける。」というフライクのビジョンにもつながっていますね。

フライクは2023年6月時点で、業務委託・副業メンバーを含めて10名の組織です。事業計画上は2030年時点で20名の組織となっている予定ですが、その水準まで規模が拡大したとしても、大企業 / 中小企業に満足できるサービスを提供することは正直難しいと考えています。であるならばどうするかーーターゲットを「挑戦し続ける人」に絞って価値提供をしよう。そう考え、このビジョンを設定しました。

――ミッション・バリューにも設定の背景がありますか?

日本には360万社の企業が存在すると言われています。そのうち中小企業は99.7%を占める357万社であり、中小企業で働く従業員数は3,200万人にも及びます。ミッションである「ストレスフリーな社会の実現」には、大企業だけではなく、日本の大部分を占める中小企業にも「ワクワクするシステム」が必要不可欠になってきます。

先ほど、ダブルワーク時代には「システムを武器に変革するための“伴走者”をクライアント企業は求めているのだ」という気づきがあったことはお話ししたかと思います。と同時に「お金を払う、お金をもらうの関係性のなかに本当の伴走はない」ということについても、ずっと考え続けています。だからこそ、私は自分が手を取り合いたいと思える企業との伴走を大切にしていきたいんです。売上を作ること以上に、誰と仕事をするのかを1番に考えながら、今後も企業活動を続けていきたいですね。

――現在フライクのオフィスがあるのは、大瀧さんの地元である香椎ですね。

大瀧:私が幼い頃の香椎にはまだ商店街が残っており、人の交流が多い街でした。しかし、再開発が進み、大規模なショッピングモールばかりになってからは、昔ながらの街並みが少しずつ減っています。実際にこの街に店舗やオフィスを構える個人商店・ベンチャー企業はほとんどありません。「子どもの頃の香椎を取り戻したい」。そのような想いで、私はこの街にオフィスを構えることを決めました。

――もう一つの原体験である「金銭的余裕」についても今のフライクに何か影響しているのでしょうか?

そうですね。幼少期にフリーランスの父から受けた「金銭的余裕が人生において大事だ」という原体験から、社会人時代には実際に金銭的余裕が”心”に余裕を与え、人間関係も良好にする場面を見てきました。そこから会社を経営するようになり気づいたことは、「従業員のお給料を東京と同程度の水準に上げられれば、福岡で働き暮らす上で、心の余裕を生み出すことができるのでは」ということ。これはフライクが最も大事にしている「家族/自分/社員の幸せ」にも通じてくる部分ですが、これは別の機会にお話しできればなと思います。

――最後に、求人への応募を検討してくださる方に向け、メッセージがあればお願いします。

大瀧:今回お話しした、「好きな人を大事にする」や「金銭的余裕は人生において重要だ」という考え方が経営にも活かされている点は、やや意外に感じる方もいらっしゃったのではと思います。
しかし、ミッションである「ストレスフリーであること」には一定の金銭的余裕と心理的余裕が必要であると考えていますし、自分の家族、お客様や自分の好きな地域を大事にすることは仕事へのスタンスや社会貢献性にも繋がってきます。
これから一緒に働く方もそんな想いを共有しながら、一緒に事業に挑戦していくことができると嬉しいなと思っています。




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