ダイレクト出版の社員に向けて書いたレターを転載しています。
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To: ダイレクト出版のみんなへ
From: 小川忠洋
自由と責任。
これがウチの文化であることは、今更、説明するまでもない。
これに関して、いまさら、みんなも新しく聞くことなんてない、って思っていると思う。
自由と責任、その文化がみんなの働き方、っていうか身体に染みこんでると……
待てよ。
ホントにそうか?
最近、時々感じるのが、自由と責任の「自由」の部分は
みんなに伝わっているけど
「責任」の方は、実際、どーなんだろう?
ということ。
ウチには「責任を果たす心構え」を持った人は、たくさんいる。
てか、ほとんどの人が、そうだと思う。
それはそれで素晴らしい♪
でも、「責任を追及する」文化は、とても薄いように感じる。
ここで言う、「責任」とは、「実行責任」と「説明責任」を言う。
「達成責任」ではない。
つまり、何かの仕事をやって、何かのプロジェクトをやって、
そこで設定した目標を、是が非でも絶対に達成しなければいけない、、
という事ではない。
それに対して、「実行をする」こと。
つまり、与えられた仕事をしっかり果たすことへの責任。
それから「説明責任」とは、端的に言えば、自分の行動を説明すること、
それから自分の持ってる情報を伝えること、に対する説明責任。
もっと端的に言えば、例えば、
とある目標なりタスクなりを設定したら、
それが達成できなかった時
「なぜ、達成できなかったか?」
実行できなかった時
「なぜ、実行できなかったか?」
を追求する文化が薄い…
一見、これは上司が部下を詰めているように見えるので、
部下の立場からすると、ちょっとイヤな経験かもしれない。
けれども、本質は何も詰めているワケではなく、
「原因を探求」しているわけで、その原因があるのなら、
「次回はどうするか?」という事に活かすことができる。
それが薄いってことは、ウチでは、問題の原因をほったらかしにして、
行動・行動・行動っていうスタイルになっちゃってる、って事じゃないか?
(なんかコレってバカっぽくね?)
これは、あるブランドマネージャーから
聞いた話だが、(彼の元では人が育つので、「何をやってるの?」と聞いた)
とにかく「なぜできなかったのか?」という事を追求していると。
つまりは、説明責任を追及しているようだ。
部下にとっては、それは決して心地よい時間ではないけれど、結果的に、
どんな「要因」が良くなかったのか?
次はどうやればいいか?
というのが分かってくるんじゃないかな。
本当に良い上司は
部下から好かれる上司じゃない。
部下から尊敬される上司だ。
さぁ、みんなも「説明責任」について考えてみよう。