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「ラクロスとサステナビリティ」

~ラクロスとサステナビリティ~

GPSSグループがスポンサーしているBlue Bullets(東大男子ラクロス部)。
現在、東大ラクロス部の皆さんとは様々な企画が進んでいますが、この対談企画もそのうちのひとつです。ラクロス部はOBの皆さん含めて実に魅力的な人材が豊富!

第一回の対談は、きっかけを作ってくれたテリー(寺岡達矢・ラクロス部OB 17期)と現在Blue BulletsのGMを務める山口幹生さん(ラクロス部OB 15期)です。
テーマは、ズバリ、『ラクロスとサステナビリティ』。SDGs / ESGといった世界的潮流の中で、今まさにホットなテーマをラクロス視点満載で語り尽くします!

話し手: 寺岡 達矢(GPSSホールディングス株式会社取締役 / Blue Bullets 17期)
山口 幹生(Blue Bullets 15期 / GM / 株式会社ポケットマルシェ取締役)
聞き手: 平良 美樹(GPSSホールディングス株式会社 広報担当)
(敬称略)
(文章:宇佐見)


―ラクロス部からGPSSまで

平良: 本日はよろしくお願いします!まずはお二人のラクロス部での関係性を教えてください。

寺岡: 東大ラクロス部17期、GPSSホールディングスの寺岡です。(山口)幹生さんの2つ下の後輩にあたります。幹生さんと言えば、僕が一年生のときの超うまい先輩、といった感じですね。

山口: ラクロス部15期の山口です。(寺岡)たっちゃんは僕が新歓代表だったときに入ってきた後輩だったんですが、やんちゃな人が多い代の中で、極めて真面目な青年が入ってきた、って印象でした。

寺岡: 僕、おとなしいんで(笑)

平良: 寺岡さんが入部を決めた理由は何だったんですか?

寺岡: 大学に入ったらスポーツをやることは決めていて、東大で勝てそうな部活がアメフト、ボート、ラクロスくらいだったんです。その中で、僕の体格でできそうなのはラクロスだって、消去法で決めました。

平良: さすが、明快ですね(笑) お二人から見たラクロス部は、どんな組織なんですか?

山口: 古い体育会的な上下関係ではなくて、下が上に物申す、下が上をいじる、みたいなことが当たり前のように行われています。そのベースとして、世代を超えた仲の良さもありますし、部員たちのシェアハウス文化に代表されるような”コミュニティ”があるのかなと思っています。

寺岡: 4年生であっても、「一番うまくなりたいから一番練習する」、「一番練習したいから雑用も一番やる」、みたいな感じで率先してグラウンドメイクをしたりしていて、すごくいい組織だなと思っています。

平良: 「コミュニティ」というキーワードが出てきましたが、お二人のキャリアの岐路や、人生の舵を切るときにラクロス部のコミュニティはどんなふうに関わってきたのでしょうか?

山口: まず、相談してきた相手がほとんどラクロス関係者ですね。僕のことをよく知ってくれている気もするし、万が一自分がボロボロになっても助けてくれるだろうっていう安心感があるんだと思います。

平良: 深い信頼関係の証ですね。

山口: 本当にラクロスばっかりやっていたので、新卒で入る会社を決める時も「どの会社にするか判断する力は自分にはない」という自信がありました(笑) なので、ラクロス部の先輩に委ねました。後で触れますが2012年に東北に移住したときも、ベンチャーに飛び込んだときも、相談する相手には常にラクロス関係の人がいましたね。
寺岡: 僕も新卒のときはラクロスの先輩のつながりで1社だけ受けて就職しましたし、そのあとの転職も、幹生さんの1つ上の先輩に「たっちゃん、そろそろ銀行飽きたっしょ?」と誘われるがままに転職しました。

平良: お二人とも、本当にラクロスコミュニティのつながりでキャリアを歩んでるんですね。

寺岡: 今まで生きてきた中で、心の底から「よっしゃー!」って思った瞬間が、5年生のときにラクロス部のコーチをしていて全日本選手権の準決勝で勝って、学生日本一になった瞬間と、社会人になってからDesafioというクラブチームで決勝戦まで行った瞬間です。だから、今のGPSSもそうですが、100人くらいの集団が同じ方向を向いて、同じ目標に向かって頑張って結果を出す、みたいな組織をつくったり、そこで貢献していくっていうところがラクロス部と重なる部分もあって魅力を感じています。

山口: ちなみにたっちゃんがGPSSさんに出会って、入社を決めたのは何でだったの?

寺岡: 出会いは、前職で新規事業に関する仕事をしていて、いろいろなベンチャーの社長さんと会う中で、GPSSの社長の目崎さんとも何度かお会いして、誘ってもらったという感じです。その頃、自分自身世の中の役に立てる仕事をしたいっていう想いと、インフラって面白そう!という気持ちもあって、更に代表の倉田さんのとてつもない構想を伺ってこれは面白いぞ、と思いました。

山口: 社会に対していいことがしたくなってきたんだね。

寺岡: そうなんです。でも、僕自身は目標設定が自分でできる人間じゃなくて、「何でもやっていいよ!」と言われると何もしないタイプなので。目標とか、理念のある人と組んで仕事をしたいなと思っているので、そういった部分に惹かれてGPSSに入ることに決めました。

―Sustainable Societyの起源はラクロス!?

平良: 今回は、サステナビリティとラクロスが対談のテーマですが、直接的にはどんな繋がりがあるのでしょう?

山口: 僕もちゃんと調べないといけないんですが、実は”Sustainable Society”という言葉を一番初めに唱えた人は、ラクロス関係者だっていう話があるんです。

平良: 知りませんでした!

山口: 詳細は定かではないのですが、1960年ごろに、ネイティブアメリカンのOren Lyonsという人がいて、彼が国連でネイティブ・アメリカンを代表してスピーチしたときに「これからはSustainable Societyが人類にとって最大のテーマになるであろう」と唱えた、という話を聞いたことがあります。その彼がラクロスプレイヤーだったんです。そもそもラクロスのルーツはネイティブ・アメリカンにあるんですよ。

平良: なるほど。

山口: もともとラクロスって、白樺の木の棒に動物の皮で編んだ網をつけて、棒の下側には部族の動物の彫刻を施した道具、今でいうクロスを使って、オレンジ色のボールを扱うんです。ボールは太陽への感謝、木の棒は植物への感謝、皮製の網は動物への感謝、彫刻はコミュニティへの感謝を表すそうです。

平良: ラクロスにそんな深いルーツがあるんですね。

山口: 狩りのシーズンの終わりに、これら4つを創造してくれた神様への感謝の活動としてラクロスをすることで、「コミュニティが続いていく」という教えが今でもあるそうですよ。なので、ネイティブ・アメリカンの皆さんは、ラクロスを「社会を改善する活動」として「バカダウェイ」、英語で言うと”Medicine Sports”と呼んでいたそうです。だから僕は、ラクロス出身者が世界を変えていくと信じているんです。

寺岡: 現役時代はそこまで考えていなかったですが、スポーツっていうもの自体がコミュニティを維持するために、やりがいとか、達成感や高揚感を生み出すものなんだと思っています。GPSSで言っている”サステナビリティ”も、経済的な成長というより「コミュニティの維持」を見据えたときに何が必要か、ということなんだと思っています。

山口: なるほどね~。

寺岡: そこで必要なものって、人とのつながりであったりとか、一緒にやってワクワクする、ドキドキするっていう感覚といった「人間として生き続ける意味」なのかなと思っていて、そういったものが脈々と続いていくためのサステナビリティなのかなと考えています。


―「サステナビリティ」への関心・理解を深めたきっかけ

平良: ラクロスとサステナビリティの深イイ関係を教えていただいたところで、お二人がサステナビリティについて考えを深めたのにはどんなきっかけがあったんですか?

寺岡: まず、子どもが生まれたタイミング、というのがありました。子どもの世代や、孫の世代に「ごめん、もう地球なくなるわ」って言ってバトンを渡したくないなって思っています。少なくとも子どもや孫が大人になるまで、地球の環境を維持していきたいなと。

山口: 子どもができると、根本的に変わるなっていう実感がありますね。「自分が死ぬ頃にはどうせ…」って思っていたのが、「この子が大きくなるときに」っていう考え方に根本的に変わったなと思います。

寺岡: あとは、銀行時代の経験ですね。法人営業をしていて、3年間稼がせてもらった上位10社のうちの7社の業績が厳しくなっている、ということがありました。そのときに、経済的な利益だけを求めていくっていうのは本当に正しいのかな?と思いましたね。大好きな白飯が食べられて、それがすごい嬉しいって思える自分がいれば幸せだし、みんながそういう幸せを感じていれば社会が居心地の良い空間になるなって思っていました。

平良: <>なるほど。身近な話ですごく共感します。山口さんはいかがですか?

山口: 僕の場合は三段階あって、ひとつ目は東日本大震災の後に仕事を辞めて東北に移住したタイミングです。二つ目は、ポケットマルシェというベンチャーでの経験、三つ目が、先ほどたっちゃんが触れてくれた子どもが生まれたことです。

平良: 東北に移住されたんですね。

山口: そうなんです。1年だけですが、高齢化率が35%を超えていて、「消滅可能性都市」にも含まれていた岩手県の釜石市というところに住んでいました。僕は東京生まれ東京育ちなんですが、そこで生きている人たちとすごく深く仲良くなって、彼らの「地域を守りたい」という想いに直接触れていたことが一つ目の経験です。

平良: 二つ目のポケットマルシェは今のお仕事ですね。

山口: はい。ポケットマルシェでは、農業や行業といった一次産業の人たちや、農学部の先生方と深く交流しています。一般的に、環境問題って、自然に触れながら仕事をしている農業者・漁業者の人たちが最初に異変に気付くと言われているんですが、実際に彼らから聞こえてくる悲痛な叫びが半端なくて、環境問題が僕らの生活を脅かすリスクというもののひっ迫感を強く感じました。

―大学時代にラクロスをやる、ということ

平良: この記事は、主に東大ラクロス部にかかわる方々がご覧になると思うんですが、現役生へのメッセージも込めて、お二人にとってラクロス通じての経験というのはどんなものだったんでしょうか?

山口: まず、迷っている現役生とか、ラクロスばっかりやっているわが子を不安に思われている親御さんたちには、大丈夫ですよってちゃんと言ってあげたいなと思います。

寺岡: 僕も、すごく充実した5年間を過ごさせてもらいました。

山口: ラクロスを通じて得られるものは、多分かけがえのないものだと思っています。実際、就職活動の時には業界知識とかがなくて、そこで1回劣等感を感じたりもするんですけど、そんなものは社会に出たら一瞬で身につくので気にすることはないと。それよりも、1つのことに全力で取り組む情熱そのものを注ぎ込んで、チームとして結果を出すことにチャレンジする経験にこそ絶対的価値があると思うんです。

寺岡: そうですね。社会人になってから「ラクロスやっていてよかったな」と思うのは、大きな目標があって、それに向かって今どうするか、っていうことをずっと考え続けていたので、そういう考え方が自分の中に深く浸透していたことだと感じています。目先の最善を積み上げていく、という考え方も大事ですが、やっぱりそれじゃ東大ラクロス部って勝てなくて。身体能力で勝る日体大や、高校からラクロスをやっていて技術のある慶應に勝つには、積み上げ方式じゃなくて、大きな目標から逆算していくことが必要で、その考え方が今でも活きています。

平良: サステナビリティを実現していくことにもつながりますね。

寺岡: そうですね。社会のサステナビリティっていうのも、「少しずつ何かを節約しよう」というレベルでは到底達成できないもので、全然違った考え方をもって、もしかしたら1回後退するようなこともあるかもしれないけど、それでも目標を持ち続けていかないと実現できないものなんだと思っています。

山口: だんだんつながってきましたね!

平良: 最後に、お二人からのまとめのメッセージをお願いします!

寺岡: そもそも東大に入って「スポーツで日本一になろう」って思ってる人たちってメチャクチャ負けず嫌いだと思うんですが、そういう人たちが目標を持って、どうやったら勝てるんだろうっていうことを考え続けられる組織っていうのがラクロス部のいいところだと思っています。その上で、信頼するコーチ、キャプテンや幹部陣、仲間を信じて、チームで同じ方向を向いて、本番で勝つことを疑わない。そうやって、目標に向けて今やるべきことをやり続けるということが勝ちにつながっていると思いますし、社会に出てからもずっと活きている僕自身の財産になっています。

山口: 大事ですね。ラクロス部で僕たちが経験できるものって多分、「将来のため」とかじゃなくて、そのとき生きる実感そのものだと思っています。だから、誰よりもいい人生を送っている瞬間を今まさに味わっているんだって思ってほしいなぁと、特に現役のみんなには伝えたいです。

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