社会一年目のわたし
吉見奈緒子です、株式会社Julyの社長などをやっています。
1970年生まれ、生粋のオタクです。
社会人一年目の私と現在の私はだいぶスタンスも考え方も違うので、その辺比較してみました。
新卒入社年度
1990年に有料老人ホーム「センチュリーシティ」に就職する。
長谷工グループの子会社でありました、株式会社センチュリーシティに就職しました。
当時バブル感はまだ少し残ってて、そういう意味では私もバブル組なのでしょう。
センチュリーシティは有料老人ホームを運営する会社で、主に「とっても」富裕層のお客さん(入居者)を顧客としていました。
職業
介護職
私は介護福祉士を取得していたので(専門学校の卒業と同時に、当時はもらえたんです、国家資格💦)
リビングサービスではなくケアサービス専門職となりました。
何をしていたか
主に介護ですね。お客さんのお世話が私の仕事でした。
で、私はこの仕事が好きではなかったし、適性もありませんでした。
親を安心させるために、仕事にしたかったクリエイティブな仕事は「同人でいい」と心に折り合いをつけて38歳まで介護や福祉の仕事を続けました。
今のわたし
職業
株式会社July 代表取締役社長
最初の就職から履歴書の職経歴欄に書ききれないほど、転職を繰り返しました。
介護の資格が勿体無いからという理由で、福祉の仕事が多かったけど、
印刷所でDTPや卒業アルバムの編集なんかもやりましたね。
紆余曲折あり、42歳で結婚、実家を離れてようやく私は「自由」になれました。
好きなことを仕事にしようと思えたのです。
何をしているか
主にデジタルコンテンツを作っています。
女性に向けたコンテンツ作りをしています。
音声コンテンツ、ゲーム、漫画、電子書籍などなどです。
自分が企画から携わることもありますし、企画をディレクションすることもあります。
今は商業ADVゲームを作ったり商業音声ドラマCDを作ったりしていますよ
比べてみると
変わった部分
責任感と、適性
そう、私は最初の介護の仕事に適性がありませんでした。
凡ミス、ポカ、インシデント。これらを繰り返して職場の方々からの信頼を失っていきました。
でも一生懸命に38歳まで福祉の仕事を続けました。オタクのスキルがお金になると知らなかったんです。
社長になって変わりました。
自分のオタクスキルがお金になる。自分がこんなに稼げるなんて知らなかった。
新卒の頃から私は人に注意することができませんでした、意見も言えませんでした。
計算も苦手、左右盲(これは関係ないか💦)
だけど社長になって、少しづつ自分を変えていきました。
自分の意思を伝える、だめなものはだめ、計算も頑張った、不思議なことに左右盲も漠然と右左がわかるようになってきています、不思議ね。
変わらない部分
人に意見したり、注意することは、やはり少し苦手です。
(いうけどね)
心持ち、人に対して寛容すぎるので、その辺は直していかないとと思います。
自分に自信がない人、自分に嘘をついて好きではない仕事をしている人を私は応援したいな〜と、心から思うんです。