みなさんこんにちは。
私たちがウォンテッドリーに登場したのは2020年も暮れのことでした。
ではかといってスタートアップかというとそうではなく、おそらく老舗企業というカテゴリーに入るのだと思います。
そうは言いながら、2020年は私たちが創業して100年余りのなかで最大級の変化と危機を味わった年だと思います。そこで「2020年、彌榮自動車で何が起こったのか」をまとめてみることにしました。少々泥臭い話も出てきますが、私たちのことを少しでも知っていただければと思います。
みなさまご存じの通り、2020年が始まった頃はコロナ禍になるなんて想像もつかず、「今年はオリンピックイヤーでインバウンド需要も期待できる」ってところから始まりました。1月中旬に「新型肺炎が...」という話でしたが、どこか遠い世界のことのように思っていました。
ではでは、2020年を振り返ってということで本題に入りたいと思います。
まず2020年2月、京都を代表する庭師のおひとりでいらっしゃる次期十二代植治小川勝章氏による特別講演会を平安神宮神苑で行いました。
数々の講演や書籍も出版され、京都の次世代文化人のお一人でもある小川さんの講演というのは非常に貴重な機会でして、なかなかできることではないのですが、ご縁がありこうして開催できました。当日は多くの従業員が参加しました。
そこから約2週間、まさかと思っていた「新型肺炎」の影響が顕著になります。私たちも新型コロナウイルス感染症拡大に伴い、3月から予定されていた新卒採用活動の方針を大きく転換することになります。それが「従来型の会社説明会を全面中止」するとともに「Web会社説明会の導入」することでした。
もともと中途採用において遠方からの応募者に対して気軽に、そして迅速に対応できるように導入を進めていたスタジアム社の「インタビューメーカー」を新卒採用にも使用するというものです。180度の方針転換でしたので、大失敗する可能性も考えてはいましたが、当時は刻一刻と状況が変化し迅速な判断が求められるなかで急遽決定しましたが、タイミングが功を奏しコロナ禍での新たな取り組みとして多くのメディアに取り上げていただきました。
コロナ禍の当初は「暖かくなったら落ち着く」と言われていましたが、その気配は一向に見えず、ついに4月、緊急事態宣言が発出されました。本来だったら京都のベストシーズンのはずなのに、どこに行っても誰もいないという異常な光景が見られるようになりました。
当然のことながら売り上げも大きく減少しました。いちばんどん底の月は9割減、電卓をたたく手が止まり、桁を間違ったかと思うくらいの衝撃だったことを覚えています。
そこで議論されたのが「雇用調整助成金を使った一部休業」です、私たちの仕事は公共交通機関であり休業要請対象事業からは外されていますが、一方では強烈な需要蒸発が起こっており、どうするべきかという議論を重ねました。
そして下された決断が「一部休業」。
仕事をしたいと考えている従業員さんと、休むべきだという従業員さんがいらっしゃる中、なぜ休業するのかということを説明し理解してもらうことに各営業センターの運行管理者は思いを巡らせることになります。
それと共に議論になったのが「休業手当」でした、労働基準法では休業手当は平均賃金の6割以上であればよいとされています、実際に多くの企業がそのような対応を取っていたとも聞きます。では私たちはどうするか、単純にこれまでの給与水準と同じことを考えると10割給付ですが、それでは雇用調整助成金の給付額を超えて会社負担分が増大します。企業としてはこの時期に更なる出費は避けたいのは当然ことであり、これは大きな議論となりました。
そこでトップがとった決断、それは「彌榮自動車を選んで働いていただいている従業員にどんな時も安心して働いてほしい、そのためにできる限りのことを尽くしてほしい」ということでした。
トップは前回のストーリーでも紹介した「全集中の社長」です。あのような場でおちゃめなことを言う、その社長がとった判断、そして私たち管理職にも「会社はできる限りのことをするから、くよくよしないで前を向いて仕事をしなさい」というメッセージを出しました。よく従業員さんや会社見学で訪れた方に言われることに「アットホームな職場ですね」ということがありますが、私も何がそう思わせるのか、なかなかカタチとして捉えて説明ができない雰囲気のようなものでした。ところが今回のコロナ禍でそれがわかったというか、同時に会社の胆力を見せつけられたというか、改めてすごさを感じました。
時期を同じくして「従業員に安心して働いてほしい」その思いのもとに会社は前に進んでいきます。今では接客時に当たり前となっている「セパレートカーテン」もこの頃(4月~6月)は全く手に入らない状態、除菌液なんてもってのほかでしたが、今度は副社長が自ら動き「こんなのあったし、これを車内に取り付けよう!」と台数分のセパレートカーテンの製作を業者さんに依頼するとともに除菌液を調達していきます。
そしてあっという間にタクシー車両と観光バス約1,500台への取り付けをしていきました、それに要した期間はわずか1か月余り。私を含め多くのスタッフが「こんなにスピード感があることは入社以来なかった」と思うくらいこの規模の企業としては迅速だったと思います。
その副社長、同じタイミングであることを指示します。それが「公式SNSの開設」でした。
これまで私たちの課題はブランディングや広報戦略が上手な会社と違い、その点は非常に立ち遅れていると感じていました。副社長も以前から同様のことは考えていたものの、諸般の事情で前に進めなかったのですが、一気にトップダウンとして話が決まり開設することとなりました。ちなみにTwitter、Instagram、noteそれぞれ担当者が思うままに自分の世界観を出しています、ぜひご覧ください。
では前半のストーリーはこちらで締めさせていただきます。
また後半については次回ストーリーでご紹介させていただきます、お楽しみにお待ちください。