かつての自分は、災害のたびに「何もできなかった」人間でした。
2011年の東日本大震災、その時私は名古屋の建設会社で営業職をしていました。技術職の仲間達は福島へ災害支援に向かいましたが、自分には何の役割もありませんでした。
2014年に広島で起きた土砂災害、その時私は広島に戻ってきていましたが、やはり営業職としての立場上、「自分の仕事を優先しなさい」と言われ、結局何もできませんでした。
2018年の西日本豪雨、その時当社は土砂災害の被害にあった矢野地区に工事現場がありました。「自社の仕事を優先」して、ようやく災害支援に関わることができました。そこで地域の社会福祉協議会と知り合い、当時私が入会していた広島青年会議所に相談して、しばらくボランティアセンターの運営ボランティアをすることになりました。こうしてやっと自分の気持ちに行動が追いついた実感がありました。
しかしこの年に起きた西日本豪雨は西日本各地で土砂災害が同時多発し、全国からのボランティアも分散して、思うように災害支援の人手が集まらないこともありました。
2021年、また土砂災害が起きました。この時は会社ではなく、広島青年会議所として災害ボランティアに関わったのですが、新型コロナによる制限が最も厳しかった時期です。県外への移動も制限されるなか、あらかじめ検温などをして新型コロナの疑いが無い、事前登録済のボランティアに限って、現地での災害ボランティアを行いました。結局、長期間にわたって関わることのできる地元と専門家に負担がのしかかることになりました。
災害現場に入って痛感したのは、「地域の災害支援は、地域の力で守るしかない」ということです。2024年の正月に起きた能登半島地震の際も、正月休みが明けるまでなら現地に駆けつけられるかと考えました。しかし遠く離れた素人に現地でできることは限られている、そのことを自覚して、地元の建設資材の会社を通じてブルーシート等の支援物資を託すに留めました。
災害は、いつどこで起きるかわかりません。
だからこそ、私たち地元の建設会社は「いざという時」に地域を救う存在でありたいと思います。災害への備えはもちろんのこと、地元の建設業に関わる人々を減らさないように会社を成長させることもまた、重要な災害対策のひとつだと考えています。