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Tably株式会社(テーブリー株式会社)の及川 卓也さんへインタビュー

Photo by NASA on Unsplash

Definer 代表の阪本は、PdMアドバイザーとしてご支援いただいている、

Tably株式会社代表の及川 卓也(おいかわ たくや)さんへインタビューいたしました。

DEC、Microsoft、Googleなどの外資系IT企業、そして日本のベンチャー企業での経験を経て、現在は独立し、大手企業の技術顧問を務めつつ、技術力を推進する書籍を出版されたり幅広くご活動されていらっしゃいます。

そのキャリアと実績の裏側に隠された、素顔と信念、哲学に迫ります。

ご挨拶

阪本

「及川さん、こんにちは!本日もよろしくお願いいたします。ソフトウェア開発におけるコンセプトや、仕様の優先順位、さまざまな方法論に関して、深く広い観点から知見をいただけていることを有り難く感じております。」

及川さん

「こんにちは。今日もよろしくお願いいたします。」

阪本

「早速、まずはキャリアのサマリーをお伺いできればと思います。MicrosoftとGoogleが最も面白かった時代に内部で働かれていらっしゃったのかと推察しておりますので、お伺いできれば幸いです。」

新卒で、世界2位の外資系コンピューターメーカーへの挑戦を決めた心意気

及川さん

「分かりました。大学で専攻していた探査工学に必要だったことからコンピューターサイエンスを学び、新卒で、当時世界2位のコンピューターメーカーであるDECという企業で研究開発業務を行ったことがキャリアの第一歩です。」

阪本

「なるほど! 当時は、なかなか外資系のIT企業への就職に踏み出す人が多くなかった印象です。あえて、DECを選んだ理由はございますか?」

及川さん

「当時、IBMが世界第一位だったのですが、DECの成長が著しく1番ではなく2番のポジションであえて挑戦をしてみたいと感じたことが理由です。また、集団行動が苦手な部分もあり、日本の大手企業には合わないのではないかとも感じており、外資系かつ世界第2位のDECを選択しました。」

阪本

「なるほど!そして、今は日本の大企業の技術顧問も務めてらっしゃいますものね。感慨深い物語です。」

及川さん

「結果として、ですけれどね。”Nothing Ventured, Nothing Gained”、日本語では”挑まなければ、得られない”という考え方を、とても大切にしています。」

阪本

「なるほど。”コンフォートゾーンから抜ける”ということは、すごく私も大切にしています。私の場合は、孤島から海にでて新たな大陸を目指すような感覚を常に持っております 笑 ちなみに、DECで勤務された後に、MicrosoftやGoogleといった名だたる企業を、歴史的に見てもとても重要なタイミングで働かれていらっしゃるかと思います。そちらもお伺いしても良いでしょうか?」

米国での次世代Windowsの開発プロジェクトへの参画

及川さん

「DECは、UNIXやC言語、Ethernet、X Windowなどの技術が生み出されたマシンを作っていた会社です。その会社でMS-DOSやOS/2など、Windowsの前の世代の製品を、自社の製品と連携する技術を担当する中で、パーソナルコンピューターの魅力に取り憑かれました。そういった中でご縁があり、米国マイクロソフト本社での次世代Windowsの開発プロジェクトへの参画を行いました。おそらく、世界で数百人しかいなかったであろう、次世代Windowsのソースコードを触ることのできる1人になれたことはとても大きな経験です。」

阪本

「私が学生の頃のWindowsが、及川さんの手によって作られていたかもしれないなんて。凄すぎて、こうやって及川さんと喋っていることが実感を持てないです。そういったご縁があって、DECからMicrosoftへと縁が繋がっていったのですね」

及川さん

「DECは、その後3年ほどいたのですが、経営悪化も止まらず、私自身としても挑戦をして行きたかったため、マイクロソフト日本法人に転職しました。当時、Windows 95がリリースされていて、日本でもオフィスの中に一人一台、パーソナルコンピューターが導入されるようになり始めました。」

阪本

「うわー。私は、当時のテレビのニュースの再放送か何かで、Windows 95の販売が秋葉原で行われていて、それをバーゲンセールのように人が押し合い、へし合い買っていたのを覚えています。何か、すごいことが起きているんだな、ということを、子供心ながらに感じていました。」

及川さん

「当時のWindowsは、部門サーバーで利用されていたりはしました。一方で、ミッションクリティカルなシステム、例えば銀行の金融機関システムなどではWindowsに任せられないと思われていた、そんな時代です。私は、主にサーバー側製品を担当し、Windows 2000の担当であったり、最後はWindows Vistaの日本語版と韓国語版の開発を統括しました。」

阪本

「名だたる製品群ですね。当時、私の姉のPCは、Windowsの日本語版をご利用させていただいておりました。なんとなく覚えております。ちなみに、ITの時代がどんどん進む中で、エンジニアとして質問したいことがあります。現代のソースコードエディタというものは、最初はあったのでしょうか?」

及川さん

「私の高校生時代は、ラインエディタと言って、1行ずつしか作業できない開発ツールが利用されていましたね。今だと想像もできないかと思いますが、LINUX系のVimをもっと原始的にしたようなものです。Windows製品を担当していた頃は、すでに現在と遜色のないIDE(統合開発環境)がありましたね。」

阪本

「今は、プラグインもさらに充実し、とても恵まれていますね。Visual Studio Codeとか、Vimもとても好きです。ちなみに、Windows 95からの流れを、Microsoftの中で、時代の真っ只中で肌で感じてらっしゃったと思うのですが、そう言った肌感覚をお伺いしても良いでしょうか。」

当時、肌で感じたインターネットの世界観

及川さん

「Windows 95からの流れは、まさに画期的な世界観でした。元々、日本のパーソナルコンピュータは、日本語をサポートするために、それぞれのメーカーが独自仕様のものを出していたので、同じMS-DOSであっても、それぞれの仕様向けに直されており、互換性がありませんでした。それを海外で普及していたIBM PC互換機でソフトウェア的に日本語をサポートできるようになったことで、日本でも海外のソフトウェアがそのまま利用できるようにもなったのですが、そこにWindowsの流れが来た形になっています。」

阪本

「なるほど。パーソナルコンピューター各社ごとにOSが分岐していたり、極論するとそれぞれのPC用にソフトウェア製品も互換性を持たせる必要があった時代から、一気に統一されたOSで、統一されたソフトウェアを利用できる世界になったと。徐々に、インターネットの世界観が見えてきたような気がします。」

及川さん

「Microsoftは、元々はインターネットをサポートしていなかったのですよね。MSNというMicrosoft独自の内部ネットワークで閉じた世界観の商品を展開していた。しかし、戦略を180度変えて、全ての商品でインターネット対応できるようにしたのです。」

阪本

「この話は、本当に凄まじい経営陣と実行能力だな、と感動します。多くの歴史的起業家や、経営者が、”インターネットの可能性”を感じて足を踏み出した時代かと思います。一方で、私だったら可能性に気づけないかもしれません。まだ、世の中に広くインターネットが出回っていない時に、及川さんはどのように感じてらっしゃいましたか?」

及川さん

「インターネットの可能性は、人によって見え方が異なったと感じています。DECは、元々分散処理が得意な会社で、全世界で働く社員が同じネットワークで繋がっていて、メールや社内掲示板があるなど、ある程度リアルタイムに人々がコミュニケーションを感じやすい状況でした。例えば、他社と直接は繋がっていなくても、相手の会社にインターネットとのゲートウェイがあればコミュニケーションが取れました。多少のタイムラグはありましたけれど。」

Microsoftの中で、Google水準のエンジンが生まれなかった理由

阪本

「とても興味深いですね。インターネットに関しては、ITに関する一定の仕組みと、システム基盤を持った企業体であれば、可能性を実感しやすかった。そして、優秀な経営陣、もちろん当時のMicrosoftもその内の一社だと思いますが、舵を切ってインターネットへの”互換性”を各種商品に組み込んだと。少し話は変わりますが、及川さんはその後Googleで働かれていて、Microsoftの中ではGoogleと同水準の検索エンジンは生まれず、GoogleはGoogleというスタートアップとして産まれた理由を何か感じていらっしゃいますか?」

及川さん

「”イノベーションのジレンマは確実に存在した”と感じています。Microsoftは、OSを元に、Fatなクライアントが欲しかった訳です。一方で、GoogleはWebをOS化するという方向性の企業です。Microsoftは、あくまでローカルなOSを基準として、それにインターネットを肉付けしてお金をとっていくという考え方。現代的な言い方をすると、逆にGoogleはCloudが全ての基準であり、ガジェットやOSはあくまでユーザーとのインターフェースです。」

阪本

「これは、本当に面白すぎますね。全く逆の思想になってしまっていたと。資金的にも、基盤的にも、Microsoftは理論上Googleと同じ水準の検索エンジンやクラウドシステムを作れたでしょうね。最近はだいぶAzureも追い上げていますし、クラウドに力を入れているとは思いますが。」

及川さん

「イノベーションのジレンマに関連して、中で働いている人たちの差異もあったとは感じています。平たくいうと、Googleは、Webの人たちが働いて作った会社なので、そこも大きな差として企業のDNAに受け継がれていると思います。」

阪本

「企業のDNAや文化は本当に大切だな、と痛感します。ちょうど良い機会ですので、及川さんが考える、”良い組織”とはなんでしょうか?」

及川さんがDefinerに期待していること

及川さん

「”心理的安全性が高い組織”です。いろんな組織構造がありますし、多様で良いと思います。Definerにも、そう言った組織を増やしていくことを期待しています。」

阪本

「ありがとうございます!ちなみに、最初にお話しした時は、15分ほどで私は”ピーン”とインスピレーションが沸いたのですが、どういった経緯でご興味を持っていただけたのでしょうか?」

及川さん

「Definerのソフトウェアが”楽をするところは楽をする”ということを実現しているものであり、日本ではまだ貴重なソフトウェアエンジニアという価値あるリソースを、人でしかできない部分に投入することに貢献できると感じたからです。多くの人が行う共通の繰り返し行う処理はシステム側で提供されるようになり、かつて大変な作業を抽象化された仕組みを使うだけで済むようになるということは、歴史的にも数多く起こっています。」

阪本

「これは、本当に嬉しいです。より多くの開発現場、そして企業に対して、良い影響を与えていけるように、頑張ります。」

及川さん

「逆に、私は阪本さんが理解できない絶妙な感じがとても面白いと感じています。この人たち、何なんだろう、と。例えば、ビジョンは大きいものを持っているが、やることやらないことを明確に線引きしていて。実績は色々ありそうなのに、あまり言わないし。でも質問を行うと的確に返ってくるし。その絶妙な感じが、とても良かったです。」

阪本

「ふははは! 地に足をつけつつ、プロとして結果を出し続けることはとても大切にしております。”やることをやる”、そして“地味に強い”を経営陣でも追求しております。今日はお時間をいただいて、ありがとうございました!」
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