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#1.代表 インタビュー「誰もがアイデアを形にできる世界の創出」ノーコード開発の可能性を握るNoCode Japanの創業の経緯とは⁉

こんにちは!NoCode Japan採用担当です。
本日は、当社代表の中川にインタビューをしてまいりました。
インタビューは中川が「NoCode Japanを創立するまで」「今後のNoCode Japanについて」の2部作で公開させていただきます!

本インタビューでは、中川の思想のルーツからお話してまいりますので、
「代表の考えを重要視される方」
「設立のルーツから目標に向かって進みたい方」
はぜひ最後までご覧ください。

NoCode Japanをはじめ、中川さんの着眼点はユニークさを感じる部分が多いのですが、考え方の由来について教えてください。

私の考え方に影響している大きな要因はベトナムの文化に触れたことです。

先に私のお話しを簡単にします。
私は中学生の時にベトナムに移住し、現地の高校入学のタイミングで日本に戻るか、ベトナムの高校に入学するかの選択をしました。その時、私はベトナムに残ることを決めてインターナショナルスクールに通い始めました。

インターナショナルスクールでは「物事の見方」「過程と目的」についての考え方を覚えましたね。

「物事の見方」については、インターナショナルスクールで学んだ歴史の授業が関係しています。
当時、私の記憶に強く残っている題材は「真珠湾攻撃」についてでした。私たちは敗戦国として歴史を学びますが、ベトナムの授業では勝利国の歴史を学びます。
日本では書かれていない詳細な部分に触れていくような授業ですので、当時の私には衝撃的な内容でした。

高校生の時に歴史という『クリアな事実』を2つの目線から見る経験ができたということは、私の見方に大きな影響を与えていると思いますね。

「過程と目的」については、インターナショナルスクールのメンバーから学びました。

インターナショナルスクールの生徒は英会話がスムーズな方ばかりではなく、皆が片言と片言でコミュニケーションを図っていました。
ここで明確にしたいのは彼らの目的が「想いを伝えること」で、会話は「過程」だということです。
拙い英語でも、本来の「想いを伝える」という目的は達成しています。インターナショナルスクール全体もそんな雰囲気がありましたね。

また、ベトナムの方は学生を含めて『機会/チャンス』に貪欲な方ばかりです。
ベトナムは毎年約8%の経済成長をしている国なのですが、この上向きの部分は高校生にも感じられており、私の同級生にはSNSを使用したビジネスで100万円ほど稼いでいる方もいました。
ベトナムでは学生が最小単位のビジネスを体験しているのです。

これは国全体で見ても同じです。
ベトナムにはギター通りというのもあるのですが、この通りは1店舗が成功すると周りがコピーして横に繋がりできるものがほとんどです。
2〜3年で異様なスピードで店舗がつらなりますが、褒めるほど綺麗な店構えはしていません。
ここからはベトナムの『機会/チャンス』に対する考え方が分かります。

「機会/チャンスがあれば圧倒的なスピード感でチャンスを掴み、後から修正していく。」
この考えは住んでいる環境から学べたことだと思いますね。


中川さんが起業を考えられた理由を教えてください。

起業について考えた理由は2つあります。

一つ目は私が父の仕事を通じて、話を聞いていた日本の「バブル時代」をベトナムで感じたことです。

私の父は経営者でもありながら、同時に歴史研究家のような一面があります。
父が歴史について取材を行う際には、よく同席させていただいていました。
取材の中では、戦前・戦後の話や焼野原となった日本がバブル時代に突入するまでの経緯を伺うことができました。
彼らは時代を創ることに自負を持って取り組んで来られた世代で、「過去を振り返るだけではなく、それをもとにさらに未来に向けてプラスに持っていく。」ことを実現されていました。当時の私が話を伺ったときは「過去の物語は面白いな」といった認識でした。

この認識が変わったのがベトナムに来たタイミングです。
ベトナムでは、その話が空想的ではなく"現実"に感じ取ることができる環境がありました。

ベトナムの経済状況は近年は上向きに成長していて、国民は給料が残らなくなるほどに投資に回したりします。経済成長が上向きなベトナムでは、投資をすることが当たり前になっています。この傾向は過去の日本にもあり、「バブル時代」にあたります。

バブル時代の話をベトナムで感じることができたのが、一番の衝撃で起業を考える要因になりました。

二つ目は、「我々が発展するために必要なこと」をベトナムで感じられたことです。

ベトナムは親日国ですが、親日国となった大きな要因は日本の製品がベトナムに普及したことにあります。
バブル時代に突入前の日本は、技術を世界に売っていこうと大きく動いていました。
その恩恵は私達の世代にまでにあり、コミュニケーションやビジネスの場面に出ています。
ただ、近年では日本以外の進出がある中でこの恩恵がいつまで続くかは分かりません。

『私たちの息子、孫の世代まで続くのだろうか。』
と考えた時に現状のままではいけないと思いたちました。

これらの二つが私が起業を考えた理由です。


中川さんが事業を興す際に何を意識していますか。

私が事業を興す際はスケーラビリティを考えています。

もちろん大手企業のように100年の歴史を創りながら大きくなる手段もあります。ただ、100年間も私は生きていませんし、変化が激しい現在ではリスクが大きくなります。

例えば、iPhoneです。当時にiPhoneのような携帯を開発していたのは、appleだけではありません。appleが先に市場を独占したことで同時に開発を進めてきた企業は、自社の携帯電話をリリースしても得られる利益はappleに取られた後です。

ここから分かるのは、新しい業界製品は素早く取りに行かねばならないことです。

この「変化のスピード感」と「スケーラビリティ」を考えた時に落ち着く形がスタートアップ企業です。


NoCode Japanを設立した背景を教えてください!

私がノーコードアプリにたどり着いたきっかけは、前ビジネス「HAKOBIYA」という事業です。

この時はまだノーコード開発ではなく、エンジニアと組んで「海外に旅行される方でトランクに空きがある方」と「海外製品が欲しい方」をマッチさせるアプリを運営しておりました。
このアプリは貿易ビジネスや海外製品の取引に出る課題のソリューションを行えます。
通常、海外からの輸入品は5〜7日程度の輸送日が必要で、貿易となると厳しい審査で1週間以上かかるケースもあります。
ただ、『HAKOBIYA』はこの日数を海外から国内に来る人に、荷物の運搬をお任せすることで輸送日を大幅に削減することを可能にします。

ここから分かるのは、スタートアップ企業の1つのアプリが国同士の貿易の仕組みに影響を与えることが可能だということです。
ただ、『これほどのアプリを経営者が個人で創ることができるのか?』と考えた時に出た答えが『ノーコード開発』でした。

そこでエンジニアでもない、私はノーコード開発でアプリを作成し売却に成功いたしました。この時点で私は「ノーコード開発」の可能性に気づき、起業・新規事業のスタートポイントに使うという"世界で誰もしたことのない場所でNoCode Japanを設立"しました。

ここまでご覧いただきありがとうございます!
本記事はここまでとなります。

次回記事では、「今後のNoCode Japanについて」お話させていただきますので、お楽しみ!






















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