こんにちは。株式会社シュビヒロで取締役をしている山道です。
今はシュビヒロでYouTube事業に携わり、チームを作ったり、複数の案件を動かしたりしています。
ただ、ここまでずっと順風満帆だったわけではありません。
むしろ学生時代まではそこそこ順調だったからこそ、大学受験で初めて大きな挫折を経験しました。
そこから浪人、フルコミッション営業、大手企業でのアルバイトを経て、最終的には4ヶ月ほど給料が発生しない「時給0円」の状態でシュビヒロの立ち上げに関わることになります。
今では会社の取締役をしていますが、当時はYouTube編集すら一度もやったことがありませんでした。
今回は、そんな僕が生まれてからシュビヒロに入り、現在に至るまでの話を書いてみようと思います。
名古屋で生まれ、サッカー漬け。特に大きな挫折もない学生生活
僕は2001年1月21日、愛知県名古屋市で生まれました。
家族は父、母、僕の3人家族で、一人っ子です。
父親は自営業をしていて、高速道路などで見かける、車を何台も載せて運ぶ大型トラックに関わる仕事をしています。
会社の年商は13億円ほどあるらしいのですが、家族経営ではないので、僕が会社を継ぐ予定はありません。
そんな家庭で育ち、小学校、中学校、高校と、特に大きな波もなく過ごしてきました。
ずっと続けていたのがサッカーです。
高校でもサッカー部に所属して、10番をつけてプレーしていました。
一方、勉強はというと、決してめちゃくちゃ頭が良かったわけではありません。
高校1年生のときは、今のシュビヒロ代表の三原と同じクラスでした。
当時の僕は、授業中にずっと高校生ラップ選手権のサンプリングをやっているような学生。
三原からすると、
「まあ、こいつは浪人するよね」
と思うような高校生だったそうです(笑)。
それでも、自分の中ではなぜか、
「自分はそれなりに頭がいい」
と思っていました。
ここから僕の人生で何度も登場する、「謎の自信」との戦いが始まります。
「MARCHくらい普通に行けるでしょ」で、見事に受験失敗
高校生活の後半から、少しずつ勉強するようになりました。
僕の高校は偏差値50程度。
周囲では愛知大学、中京大学、頑張って南山大学という進路が多かったのですが、当時の僕は、
「いや、MARCHくらい行けるでしょ」
と思っていました。
今考えると、完全にうぬぼれています。
現役時代に受験したのは、立教大学経営学部と法政大学経営学部。
しかも、滑り止めはありません。
結果は両方不合格。
ギリギリでもなく、普通に落ちました。
東進衛星予備校にも通っていたのですが、ここでも自分の悪いところが出ます。
授業を取ったものの、
「結局、自分のやり方で勉強した方が早いんじゃないか」
と思い、我流に走りました。
そもそも、それまで「どう勉強すれば成績が伸びるのか」という成功体験を持っていないのにです。
当然、思ったようには伸びません。
僕にとって、これが人生で初めてと言っていいくらい大きな挫折でした。
当時付き合っていた彼女とも遠距離になり、精神的にもかなりきつかったのを覚えています。
そして浪人生活が始まりました。
失敗を分析したら、明治志望者1位、早稲田A判定まで伸びた
ただ、浪人してからは大きく変わりました。
現役時代と同じ失敗をしたくなかったので、まず、
「なぜ自分は落ちたのか」
を考えました。
現役時代は、自分の頭がいいと思い込んで努力を怠った。
正しい勉強法を知らないのに我流で進めた。
その反省を踏まえて、やり方を変えました。
すると、成績はかなり伸びました。
夏の河合模試では、明治大学の全志望者の中で1位。
最後の模試では、早稲田大学教育学部がA判定、ほかの学部もB判定。
高校時代は偏差値50程度だった自分が、
「これ、早稲田受かるんじゃない?」
というところまで来ました。
ここでまた、僕の悪い癖が発動します。
再び調子に乗りました。
早稲田の受験会場に行っても、1年前は周りの受験生が全員賢そうに見えていたのに、この頃には逆に全員が自分より頭が悪そうに見えていました。
「1ヶ月後にはまたここに来るから」
くらいの気持ちです。
完全に受かったつもりでした。
早稲田本番、残り5分で人生が変わった
早稲田では、政治経済学部、商学部、社会科学部などを受験しました。
その中でも特に覚えているのが、社会科学部です。
国語、英語と手応えがあり、日本史もかなりいい感触でした。
「これはいける」
と思いながら解いていたのですが、試験終了5分前。
マークシートを確認して、気づきました。
解答欄がずれていました。
本来、
1、2、3、4
とマークするところを、
1、2、3、4
と問題番号と回答位置をずらして記入していたんです。
慌てて直しましたが、時間が足りません。
その瞬間、
「あ、落ちた」
と思いました。
自己採点の感覚では、普通にやっていれば受かっていた可能性もありました。
でも結果は不合格。
浪人して、成績を伸ばして、A判定まで取って、それでも最後の最後で失敗しました。
結局、滑り止めとして受けていた法政大学に進学することになります。
「法政に入ったことを正解にする」
正直、悔しかったです。
浪人までして早稲田を目指していたので、法政大学に入った時点では、自分の中で少しこじらせていました。
だから、
「法政に入ったことを正解にしてやろう」
と思いました。
普通に大学生活を過ごすのではなく、何かやろう。
そう思い、大学1年生の夏から始めたのが、フルコミッション営業のインターンです。
今でいう「意識高い系大学生」に近かったと思います。
営業経験なんてほとんどありませんでしたが、やってみると意外と結果が出ました。
10〜20人程度いた同期の中では1位。
月40万円ほどもらったこともありました。
大学1年生でこれだけ稼げたので、
「俺、営業の才能あるんじゃない?」
と、また少し自信がつきました。
ベンチャーに入って気づいた。「これ、宗教みたいだな」
ただ、4〜5ヶ月ほど続けたところで、違和感を覚えるようになります。
400万円ほどの商品を売っても、自分に入るのは1万円程度。
それでも、
「学生のうちからこんな経験ができる!」
「やりがいがある!」
という空気が強い。
一歩引いて見たときに、
「これって、本当に自分のためになっているのかな」
と思いました。
当時の僕には、ベンチャー企業特有の熱量が、少し宗教的にも感じられました。
そこで、インターンを辞めました。
次は大手へ。50人の講師、400人の生徒をまとめる立場に
「ベンチャーを見たから、次は大手を見てみよう」
そう考えて応募したのが、家庭教師のトライ本社のアルバイトでした。
アルバイトなのに二次面接まであったのですが、フルコミッション営業で培ったコミュニケーション力もあり、採用してもらいました。
入社してからは、社員の方々とも比較的うまくコミュニケーションが取れました。
すると、
「あれもやります」
「これもやります」
と、どんどん仕事を巻き取るようになります。
ちょうどコロナ禍だったこともあり、「第一志望合格保証コース」というオンライン限定の新しい部署が立ち上がりました。
そこで、僕は統括を任されることになります。
規模としては、
- 講師:約50人
- 生徒:約400人
大学2〜3年生くらいの自分が、その組織をまとめる立場になりました。
そのときは、
「法政大学でも、意外と自分やれるじゃん」
と思いました。
評価されても給料は変わらない。大手で感じた限界
ただ、仕事を任されるようになるほど、別の違和感も生まれてきました。
給料が上がらないんです。
講師50人、生徒400人を管理する立場になっても、僕はあくまでアルバイト。
評価されたとしても、給料は簡単には上がりません。
大手企業は、多くの人が動ける仕組みがしっかり作られています。
それ自体はすごい。
でも、自分が頑張って結果を出しても、自分に返ってくるものには限界がありました。
「結局、ここでもうまく使われているだけなのかもしれない」
そんなことを考えるようになりました。
高校の同級生・三原との再会。そして「時給0円」へ
そんなタイミングで、高校時代の同級生だった三原が東京に来ました。
当時の三原は、武田塾の元代表である林さんの秘書をしていました。
久しぶりに会って、
「今何やってるの?」
という話になります。
こちらはトライで400人規模の組織をまとめていて、それなりに自信もついていました。
でも、話してみると、三原がやっている仕事とは規模感が全然違いました。
そこから、僕も三原たちと一緒に仕事をする方向に進んでいきます。
これが、現在のシュビヒロにつながるスタートです。
ただし、最初から華やかなベンチャー生活が始まったわけではありません。
むしろ逆でした。
給料がありませんでした。
4ヶ月くらい、ほぼ無給です。
トライの仕事を辞める方向に進み、実際に辞めた瞬間、収入がなくなる。
でも仕事はめちゃくちゃある。
体力的にも精神的にもかなりきつい時期でした。
タイトル通り、僕の「時給0円時代」です。
編集経験0。それでも十数万人規模のYouTubeチャンネルを任された
そんな中、少しずつお金になる仕事も入ってくるようになりました。
その一つが、YouTubeの「フランチャイズチャンネル」です。
営業は経験していましたが、当時の僕には動画編集などの専門スキルがありません。
にもかかわらず、十数万人規模のYouTubeチャンネルを任されることになりました。
「いや、俺、編集したことないけど」
という状態です。
YouTubeは見ていました。
でも、作ったことはありません。
そこで僕が編集を覚えるのに使えた期間は、
2日。
2日で覚えて、そのまま実務です。
今振り返るとなかなか無茶苦茶です。
PCの書き出しに4時間。散歩だけが唯一の楽しみだった
しかも、当時使っていたPCはスペックが足りていませんでした。
動画を書き出すだけで4時間。
フランチャイズチャンネルは毎日更新。
当然、間に合いません。
本来20時公開なのに、
「21時になります」
「やっぱり22時になります」
「すみません、まだ間に合いません」
となり、最終的には翌日に公開を回してもらう。
そんな事故を何度も起こしました。
「事後報告じゃなくて、事前に報告して」
と言われても、当時は社会人としての仕事の進め方も分からない。
学生だったこともあり、怖くて報告できないんです。
しかも、
「ギリギリ間に合うんじゃないか」
という謎の自信もある。
でもPCが動かない。
「動け!」
とPCに向かって言っていました(笑)。
この時期は、本当に余裕がありませんでした。
唯一の楽しみは散歩。
動画の書き出しを待っている時間が、唯一寝られる時間だったこともあります。
何をやってもうまくいかない。
収入も少ない。
仕事は終わらない。
僕の人生の中でも、かなり幸福度の低い時期でした。
事故を繰り返したから、できることが増えた
ただ、そんな状態でも仕事は続きます。
編集が間に合わない。
公開事故を起こす。
また改善する。
失敗する。
また改善する。
それを繰り返しているうちに、徐々に事故が減っていきました。
事故が減れば、ほかの案件も受けられる。
案件が増えれば、収入も増える。
少しずつ状況が変わっていきました。
今では月に何百本という動画を納品する事業になっていますが、その最初は、
編集経験0の大学生が、スペック不足のPCで書き出しに4時間かけていたところから始まっています。
自分の強みは「全部自分でやること」ではなかった
仕事を続ける中で、自分の得意なことも分かってきました。
それが、
リクルーティングと組織づくりです。
僕は、人に仕事をお願いするのが比較的得意でした。
何でも自分で抱えるのではなく、
「これお願いします」
「ここをやってほしいです」
と人に任せて、チームを作っていく。
そうすると、自分一人ではできなかった量の案件を受けられるようになります。
フルコミッション営業で身につけた営業力。
トライで経験した50人規模の組織マネジメント。
シュビヒロで経験したYouTubeの現場。
当時はバラバラに見えていた経験が、ここで少しずつつながってきました。
結果として、動画事業は月に何百万円もの売上を作る事業部へ成長していきました。
受験失敗、フルコミ営業、大手、無給。全部が今につながっている
振り返ってみると、僕の人生はずっと、
調子に乗る→失敗する→分析する→改善する
の繰り返しだったと思います。
高校時代、
「MARCHくらい普通に行ける」
と思って失敗しました。
浪人して失敗を分析したら、早稲田A判定まで成績が伸びました。
でもまた調子に乗って、本番でマークミスをして落ちました。
法政大学に入って、
「この大学に入ったことを正解にする」
と決めて営業を始めました。
ベンチャーに違和感を持って、大手も経験しました。
大手では400人規模の組織を動かしましたが、今度は給料が上がらないことに違和感を持ちました。
そしてシュビヒロに入り、今度は給料自体がなくなりました(笑)。
動画編集経験0。
PCは低スペック。
毎日納期ギリギリ。
それでも、できないことを一つずつできるようにしていきました。
だから、僕の人生には「これをやったから一気に成功した」という出来事はありません。
むしろ、
失敗するたびに、次は同じ失敗をしないようにする。
その繰り返しだったと思います。
今が、人生で一番幸せだと思う
動画の中で、自分の人生をグラフにして振り返りました。
学生時代。
受験失敗。
浪人。
営業インターン。
トライ。
無給時代。
YouTube事業。
かなり上がったり下がったりしています。
その中で「今はどの辺?」と聞かれたとき、かなり上の方に線を引きました。
人生の幸福度でいうと、今が一番高いと思っています。
以前より時間があります。
収入も増えました。
好きなものも買えるようになりました。
そして何より、自分が得意な営業や組織づくりを生かしながら仕事ができています。
高校生の頃の自分に、
「将来、会社の取締役をやって、何百本もの動画を納品する組織を作っているよ」
と言っても絶対に信じないと思います。
無給で働いていた頃の自分でも、信じないかもしれません。
どん底になっても、そこで人生が決まるわけではない
自分のこれまでを振り返って思うのは、
一度失敗したくらいで、その後の人生が決まるわけではない
ということです。
受験に失敗した。
志望校に行けなかった。
仕事がうまくいかなかった。
給料がなかった。
YouTube編集すらできなかった。
その瞬間はもちろんきついです。
でも、大事なのはそこで、
「なぜ失敗したのか」
「次はどうすればいいのか」
を考えることだと思っています。
僕自身、同じような失敗も何度もしています。
そのたびに修正してきました。
順風満帆だった学生生活から、受験に失敗して、時給0円まで落ちる。
そこから今は、シュビヒロの取締役として仕事をしています。
別に最初から特別なスキルがあったわけではありません。
ただ、目の前にある仕事をやって、失敗して、できないことを一つずつできるようにしてきました。
僕にとっての「ベンチャー人生」は、たぶんその繰り返しです。
そして、これからもまた失敗すると思います。
そのときも、これまでと同じように、原因を考えて、改善して、また前に進んでいきたいと思っています。