Story
私は今でこそ経営者ですが、ごく普通の少年でした。もっと言ってしまうと正直、将来のことは何も考えていませんでした。
〜進学時の転機〜
私は就職に強い工業系の高校に入学し、卒業間近で企業の内定も決まっていました。
ですが、中学時代の友人の多くが大学への進学する。そんな中、少し取り残されてしまった気持ちになってしまい、急遽大学への進学を選びました。きっと寂しがりやな少年だったんですね(笑)
急な進路変更で高校の先生には信じられないくらい怒られてしまいました(笑)
〜会社員時代、そして起業へ〜
大学卒業後は家電メーカーに就職して、東京で10年間働き、その後ソフトウェア会社に転職して10年の計20年間の会社員を経験しました。43歳の時に起業という選択をしました。
創業時は、バブル崩壊のタイミングで一気に仕事がなくなり、とても苦労をしました。
当時は自分勝手な性格で周りのメンバーにもとにかく周りに迷惑をかけてしまい、メンバーが去ってしまった。経営者としても良い経営者とは言えなかったのを憶えています。
起業してからは悔しい思いを何度も味わいました。会社の方向性と想いのバランスをとることが大事でした。最終判断はやはり社長で、判断は大いに迷う。決断した後も迷ってしまうのが常なんです。
ですが、その経験から多くの学びを得る事ができました。
〜起業をして学んだこと〜
どこまでいっても会社は人と人との繋がりで成り立っています。
【CS】と【ES】このバランスの調和が特に大事でどちらが偏っていては良いサービスは提供出来ません。
社員の満足度が顧客への価値を変える。それに伴って顧客の満足度も大きく変わる。10年目にしてようやく気付きました。本当にいて欲しい人材の離職を招いてしまった。
私は社員に食べさせて貰っていると心から思っています。権限のある立場ですが、働く人がやりたいように常に変化を起こして欲しいです。さもなくばと会社は停滞し衰退の一途をたどるでしょう。
(人事の竹内さんのコメント)「私との面接時、オーナー社長はがつがつしている人が多いですが真剣な顔で僕は働いていない。社員の人に食べさせて貰ってんねん。僕は扶養家族やねん、、、と言ったくらい物腰の柔らかい社長です(笑)」
Next
私はこの会社を次の世代に託そうと思っています。
そこで必要だと考えているのが、多様性です。
年をとるにつれて色々と分かるようになりました。
上が動かないから進まない、柔軟な対応が出来ないから発展しない。そんな状態は避けたいから、若い人の意見は積極的に聞くようにしています。老害にはなりたくないんです。
頑固さ、古い感覚はソフトウェアには向かない。若い人に任せたいと思っています。
〜応募者様へ〜
うちの採用は学部は一切問いません。
様々な学びを受け入れる事で色んな姿のソフトウェアが生み出せる。これらの多面性が良いシステムが出来る根源なんです。
ソフトウェア会社だからと言って、理工学部系の人ばかりじゃつまらない。
予期せぬ流れやどんな社会の形でも乗りこなせる【多様性】の力でもっと大きくして行きたい。新しく入社して来て下さった人達に将来のソフトウェアの形をデザインして貰えれば嬉しいです。
ですが、現状では規模やパワーが足りません。
だからこそ、何かを知り続けたいと思う人、好奇心旺盛な人に来て欲しいです。
会社として幅広い分野に取り組んでいるので物流、金融、ハードウェアの組み込みのソフトウェア、倉庫のシステムなどもそれ以外もやっています。
入ってきてくれた方には自分の興味ある分野に挑戦出来る環境を用意しています。
最早、入って来られた人が望む方向に会社としても向かって行く覚悟です。
会社なら変えますよ?
社員あっての会社です。ここで働く社員にしか良いサービスを提供できないので
協力を惜しみません。転職は再チャレンジ。そんな場所を提供します。