中国に留学していた頃は、大学のキャンパス内にある留学生宿舎で暮らしていました。もう
15年くらい昔の事です。当時は中国の物価がとても安く、ビール1本の値段は2.5元(飲み終わった瓶を返却すると0.5元返ってくる、今のレートで計算したら50円)くらい、タクシーは初乗りで5元だったのを覚えています。でも親の仕送りは当てにしていなかったので(お父上がパチンコで勝った時くらい)、大学の日本語講師や雑誌のライター、さらに映画のエキストラといった臨時収入に頼りながら糊口をしのいでいました。1日の生活費は平均で8元ほどでした。
そんな中での唯一の贅沢は、金曜日の夜にキャンパス内のレストランで食べる「ねぎと豚バラの炒めもの(葱爆肉)」でした。豚肉とねぎ、キクラゲには甜麺醤がたっぷりからめられており油もギットリ。匂いだけご飯をかき込めるほどでした(ご飯もおかわり自由で10元)。いつもの僕にとっては予算オーバーなんですが、これが楽しみで頑張っていました。
いつの間にか店を切り盛りしているおばちゃんとも顔見知りになったけど、当時はまだ冗談を言い合うほどの中国語は持ち合わせていません。注文を書いて渡すだけで、大した国際交流もしていません。「ねぎ好きの日本人」くらいに思われていたかもしれません。でも、いつからか忘れたけど、僕が行くと、注文もしていないのに、奥の厨房でおばちゃんが鍋を振るうまで阿吽の呼吸になったのです。
大学2年の時、僕は期末テストとレポートの事で頭がいっぱいになり、メシも食わずビールばかり飲んでいました。でも何か固形物を取らないとやばいと思ったので、二週間ぶりにおばちゃんの店に行きました。
一向に箸が進まない僕を見たおばちゃんは、何も言わずにトマトと玉子のスープを持ってきてくれました。「いくらですか?」と尋ねると、「身体是資本」とだけ返したのです。玉子とトマトを煮立てた水に塩を入れただけの物ですが、ちょっとだけ実家の母親の味噌汁を思い出しました。この後のテストではなんとか及第点に乗っかり、レポートの発表に使ったPPTにいたっては指導講師に「コピーさせてくれ!」とねだられる程の出来で、留学時代最高のパフォーマンスを発揮できました。
大学を卒業した後は、当地の雑誌社に就職しました。ある日、母校の関係者を取材することになり、懐かしさに駆られておばちゃんの食堂を訪ねました。しかし足繁く通ったおばちゃんの店は整地されて跡形もなくなっていました。今となっては、おばちゃんがどこにいるかも分かりません。
それから中国は目覚ましい発展を遂げ、大型ショッピングモールが雨後の筍のように誕生し、デリバリー産業が破竹の勢いで発達しました。便利になったことは間違いありませんが、あのおばちゃんのようなサービスをしてくれるお店に再び出会うことなく、中国を離れることになりました。
あらゆる場所で、あらゆる国において、ものを売り買いするという目的を達成するために、あらゆるものが効率化されています。ECサイトやアプリで100回注文しても、売り手側は僕がどんな顔をしているかは見えないのではないのでしょうか。
3ヶ月前から神戸にマンションを借りて住んでいます。マンションから目と鼻の先にある商店街には小さな八百屋さんがあり、さっき今晩のおかずのためにもやしとパプリカを買いました。すると店員さんが「確かレジ袋は要らないんでしたよね?」と言ってくれました。
「顧客一人ひとりに寄り添い、顧客にあったサービスを提供する」。日本においても、こういったサービスを体験できる場所がどんどん少なくなっている気がします。