40も半ばに差し掛かってくると、「人生で何をやれるのか」、残りの時間で考えるようになってきた。平均寿命で言えば折り返し地点。突然、明日終わりを迎えることだってある。身体は着実に老いを重ねている。疲れは取れないし、お酒を2杯飲んだだけで、翌日は身体が重く、頭も鈍る。ただ、夢も好奇心も中学生の時分と変わらないのが厄介だ。それどころか、楽しいこと、やりたいことは増える一方、時間が追いつかない。会社を大きくする、新しい事業を始める、本を書く、知らない土地へ旅をする…。そんなに多趣味でも、人付き合いが広い方でもないが、それでも私を突き動かすのは、何かをやり遂げた先につながる縁や、期待なのかもしれない。
私自身、なにかを始める前から、自信に満ちているわけではない。むしろ、「やってみたいな」と思い立ってから始めるまでに、腰が重く、言い訳をしながら、長く逡巡していることが多い。この連載の話をいただいた時も、「自分にできるはずがない」という気持ちが先に立ち、初めはお断りした。会社を創業するに至っては、最初に思いから20年の歳月が流れた。それでも、少しの勇気と、「応援するよ」と言ってくれる身近な人の言葉に背中を押されて、やっと踏み出した。自分ひとりでは、間違いなく、始めることすらできていなかっただろう。
いざ始めてみると、大変だ。まあそんなことは最初からわかっているから、「ちゃんとやれるか」よりも「楽しく続けられるか」に重点を置く。スットゴレ精神、つまり勢いだけだと疲れてしまう。逃げ道をつくりながら、気持ちをやりくりする。できなかったことを数えるよりも、できた自分を褒める。強すぎる責任感や完璧主義は心を壊してしまう。それくらいのほうが続けられる。案外、世の中もテゲテゲ(適当)で回っているもんだ。
なにかを始めるということは、新たな出会いや喜びの種を蒔くこと。それが実るときに見える「彩り」こそが、また、なにかを始める衝動を駆り立てる。
寄稿:南海日日新聞 つむぎ随筆(2026年1月)