今回のストーリーは、「※パドルタッチ月村」でお馴染みの月村拓馬が、人生をかけてピックルボールを日本に広げる挑戦を追ったPICKLEBALL ONE History #3になります。
※ピックルボールのプレー時に、プレイヤー同士がパドル(ラケット)をコツンと合わせる挨拶の文化
前職であるNTT東日本で営業戦略を経験し、現在は、ピックボールワンの会社員として、またピックルボール日本代表選手(2025年ピックルボールワールドカップ出場 初代キャプテン)としても活躍する月村。
テニス少年だった彼が語る、ピックルボールならではの “カルチャー” へのこだわりや大企業からピックルボールワンに転職をして「自分らしさを感じることが増えた」と語る姿など、ぜひ最後までお楽しみください!
「レッツ、パドルタッチ!」
テニスで培った「やればできる」
サミー:まずは、自己紹介をお願いします!
月村:1992年生まれ、33歳(2026年4月時点)の月村拓馬です!学生時代からテニスに打ち込んでおり、社会人では実業団に所属をしていました。
前職は、NTT東日本で営業戦略を担当していましたが、ピックルボールと出会い、ピックルボールワンへ転職。
現在は、ピックルボールのカルチャーを広げるために全国で体験会やイベントを開催したり、「パドルタッチ月村」という名前で主にYouTubeやInstagramでピックルボールに関する情報発信を行っています。
またピックルボールに転身後は、ピックルボール日本代表選手としてピックルボールワールドカップへ出場するなど、選手活動も両立しています。
趣味は、息子2人の育児を通じてピックルボール家族化計画を進めること(笑)推しのピックルボール選手は、三好吉冨夫妻。日本から世界に挑戦し、新しい道を切り開いていく姿やアスリートとしても真っ直ぐに選手活動をする姿勢に憧れの気持ちがあります。
ハワイでの息子さんとのお写真📸
サミー:月村さんのテニス時代の話を詳しく聞かせてください。
元々、兄の影響で小学校1年生の時にテニスをはじめました。小学生の頃は、週に2、3日程度の練習でしたが、中学2年生で全国ベスト8を経験し、高校で強豪校に通うようになってからは、年間360日はテニスをしていたと思います。
最初は、ただ兄についていく気持ちでプレーをしていましたが、上達するにつれて楽しくなり、社会人になっても実業団でテニスを続けていました。
とにかく「やればできる」精神だったので、苦手なことも努力でカバーできると思っていましたし、実際にそのスタンスで様々なことを乗り越えてきた感覚があります。
サミー:全国ベスト8位!若くして大きな成功体験だったと思います。テニスからは、どのようなことを学びましたか?
月村:テニスから学んだのは、シンプルかもしれないけれど、礼儀や上下関係、人との接し方。あと目標に向かって愚直に一生懸命取り組む姿勢だと思っています。今の自分の土台は間違いなくテニスが作ってくれました。
中学生までは、学業も得意で学年でみてもトップに入るほどの成績でしたが、高校時代に一度学年ビリになったことがあったんです。
そのとき人生で初めて「このままじゃまずい」と思いましたが、結果的に成績は中の上くらいまでいきました(笑)
どこかで「やればできる」と信じることができたのは、テニスで培った自信があったからだと思います。
スタートアップで、初めて崩れた自信
サミー:大学卒業後にNTT東日本で営業戦略を担当されていたと思いますが、社会人になってからの生活はどうでしたか?
月村:基本的には順調でした。メンタルもあまり崩れないタイプでしたし、テニスや勉強と同様、仕事も努力すれば何とかなると思っていました。
ただ、弊社の代表である熊倉との再会をきっかけに昨年2025年5月にピックルボールワンに転職してすぐ、初めて挫折を経験しました。単純に大企業で働いてきた自分にとってスタートアップのスピード感についていく事が当時の自分には大きな変化だったので、慣れるまでに時間が必要だったんです。
当時はピックルボールイベントの企画運営の担当をしていましたが、あまりの業務量に本当にそれが思うように上手くこなせなくて。
前職では、上司から依頼された仕事には、やり方など型が決まっており、いかに効率よく回すかというところに頭を使ってました。しかし、ここ(ピックルボールワン)では、自ら考えてゴールを決め、効果的な方法を見つけ、いかに最短で実現できるか、というところに頭を使う必要があります。
進めている最中にゴールや方法が変わることも多いため、スタートアップならではのスピード感の中で、柔軟に対応をする力が鍛えられていると感じますね。
会議の中で物事が決まり、その場で次の行動に動き出す。
“報連相” のスピード感1つにしても、全く違う。
これまで努力すればどうにかなると思っていた僕にとって、はじめて上手くいかずに挫折という言葉に近い経験をしたことを覚えています。
PICKLEBALL ONE GINZA SIMBASHIで過去の経験について話す月村
サミー:その挫折は、どのように乗り越えたんですか?
月村:正直、自分のためだけに日々の仕事をしていたら、心が折れていたかもしれないと思うことがあります。これは、社長の熊倉も常に言っていることですが、ピックルボールワンが目指しているのは「ピックルボール産業のEnablerになること」それはつまり、日本のピックルボール市場で求められていることを誰よりも早く叶えていく存在です。
個人の仕事における目標よりも、“どうやったら市場を大きくできるのか”、という社会に対する大きな問いと向き合い続けた時間が、挫折を乗り越えるバネになってくれました。
僕は、自分のことにはあまり熱くなれないけれど、人のため、市場のためなら熱くなれるタイプなんです。「ピックルボールを広げたい」という純粋な想いが常に根底にあるので、これまでも、今も、これからもピックルボールの普及に尽力できる人でありたいと思っています。
ピックルボールならではの、“フラットな文化”とは?
サミー:これまでのお話を聞いていると、ピックルボールそのものへの熱量がよく伝わってきます!どのようなきっかけでピックルボールに打ち込むようになったんですか?
月村:ピックルボールを最初に知ったのは、4年前のハワイ旅行中です。散歩をしていた時に、ミニテニスのようにボールを打ち合う人たちを見かけて「なんだこのスポーツは?」と思いました。そして翌年、同じ場所に行ったら、テニスコート4面のうち3面がピックルボールコートに変わっていたんです。正直、同じ場所でみた光景の明らかな変化に、かなり衝撃を受けました。(笑)
そしてよく見ていたら、チャリに乗ってきたお兄ちゃんが突然コートに入って、白髪交じりのおじさんと仲良くプレイをするという光景を目にしました。ピックルボールの文化の象徴でもあるオープンプレイを目の当たりにし、衝撃を受けたことは今でも覚えています。
当時は、社会人をしながら実業団でテニスをプレーしていましたが、個人的な区切りとしても実業団は、30歳で辞めようと思っていたんです。でもハワイでピックルボールを見てから、次は「これをやりたい」と思い、色々探していたら、学生時代のライバルであった熊倉と再会しました。
正直ピックルボールをプレーしはじめた当初は、「楽しいな」「テニスほど疲れないな」くらいの感覚でしたが、次第に試合に出るようになると、ピックルボールの持つ奥深さに気づきはじめ、どんどんどんどん魅了されていきました。
また文化的な面で言うと、ピックルボールの発祥地であり、本場であるアメリカに視察に行った際に見た「オープンプレー」が今でも強く印象に残っています。
アメリカ視察中の写真
レベルに差があっても、知らない人同士でプレーをしても、めちゃくちゃ盛り上がる。「ナイスプレー!」と自然に声がでたり、歩くのが大変なおばあちゃんとも楽しめる。
テニスは、ある程度レベルが揃わないと競技として成立しにくいけれど、ピックルボールは、そのコートに立つ多様な4人が、コミュニケーションを頻繁に取りながら創り上げていくフラットさがあると思います。
シンプルに、テニスと比べても圧倒的に味方とも、相手とも物理的な距離が近いので、自然と「最近どう?」「仕事の調子は?」などの会話が生まれやすい特徴もあるのかなと。
アメリカで見たあの光景を思い出すたびに、より多くの多様な人がピックルボールを通じてひとつになる楽しさ、あのシーンを日本にも広げたいと心を震え立たせてくれます。
パドルタッチ月村が、「パドルタッチ」に込めた想いとは?
サミー:月村さんといえば「パドルタッチ」ですよね。名前の由来や込められた想いについても教えてください。
月村:ピックルボールの本場、アメリカに広がっていたのは、ミスをしても、ナイスプレーでも、毎回プレーが切れる度にパドル同士をタッチをする光景でした。
ゲーム後にパドルタッチをする瞬間の様子
レベルや性別、文化の違いなど関係なしに、パドルタッチを通じて垣根が溶ける空間自体に、ピックルボールそのものの魅力を感じたんです。競技としての面白さはもちろん、このスポーツには、人をつなぎ、笑顔にする力があると感じました。
「この景色を日本でも創りたい」という気持ちが、常に原点です。
そこで、まずピックルボールが発展途上の日本では、この業界を引っ張る存在が必要だと思いました。競技性の発信だけではなく、ピックルボールそのものの“文化”を体現する存在。
僕は、ピックルボール選手として自分を発信したいわけではなく、
どれだけピックルボールを楽しんでいるのか、どれだけピックルボールが持つ楽しさそのものを伝えられているのか。それが僕の使命だと思っています。
サミー:パドルタッチには、ピックルボールならではのカルチャーを日本に広げたい熱い想いがあることが伝わりました。月村さんは、情報発信だけでなく、現場で体験会やイベントもやっていると思いますが、どのようなやりがいを感じていますか?
月村:計算してみるとこの2年間で、推定2.5万人の方の体験会を担当させていただきました。ピックルボールを知っている人も、そうでない人も、皆さんの「はじめて」に立ち会えることは、大きなやりがいです。
その中でも特に好きなシーンは、
グループで来た人たちを一度シャッフルして、それぞれ別で来た人たちと混ぜて練習してもらい、最後に戻す瞬間。グループ内で、「え、上手くなってる!」「〇〇やるじゃん!」と言う言葉が飛び交う姿を見ると、
ピックルボールが誰にとっても始めやすいスポーツであること、そして気軽に知らない人同士でも、いつもの仲間とも楽しめること。そんな魅力がしっかりと伝わった!と思い、とても幸せな気持ちになります。
サミー:特にはじめてピックルボールをする人にとって、「楽しい」と思って帰ってもらえた時はとても嬉しいですよね。実際に体験会に参加した人が、その後、定期的にピックルボールをしていることもあるのではないですか??
月村:実際に何度もありました !体験会に参加してくださった方が、ピックルボールの大会に出場している姿を見た時は、本当に嬉しいです。実際にピックルボールの魅力を届ける事ができた!と、世の中に貢献できている実感にもつながります。
ピックルボールワンに転職してから忘れられない出来事とは?
サミー:月村さんにとってピックルボールワンに転職してから忘れられない出来事や思い出に残っていることはありますか?
月村:他のメンバーとも一緒になるかもしれないけれど、昨年8月末に行われたPPA TOUR ASIA Sansan FUKUOKA OPEN 2025(以下PPA)が圧倒的な思い出です。福岡県糸島市で開催された6日間の大会では、のべ1万人以上が来場、1300名もの海外選手がピックルボールをプレーしに集まる大きなイベントとなりました。
僕は、PPAに関わるボランティアの方々の対応を担当していたのですが、日本での初開催の中、熊本や台湾、中にはイギリスからも参加してくださった方がいて、その強い想いに感動したことを今でも覚えています。
PPAでボランティアの方々に声かけをする月村の様子
日本で初めてのPPA開催。
どのように運営するのか、何人の方が来てくれるのか、正解が分からないままどんどん日にちが迫ってきました。もしピックルボールが本当に当たり前のようにプレーされる日が来たら、必ずこのPPA開催は教科書に載ると思う。そんな想いを精一杯、ボランティアの方々に伝えました。
「僕たちはコートを作ってるだけじゃない、歴史を作っているんだ。」
準備の時に盛り上げるために言っていた言葉。ドキドキした想いではじまったPPAも、大会期間中の日を追うごとに言葉にできない想いが込み上げ、最終日の撤収の時には「みんなで歴史を創れたね」と。
大の大人同士で、本気で泣きあえたことは一生の思い出です。
ピックルボールワンで働く楽しさは、「みんな」で市場を創って行けること。
そのみんなは、ピックルボールワンで働く人だけでなく、ピックルボールに関わってくださる全ての方々です。
ピックルボールがつくる、心温まる未来。あなたにとってFUN AS ONEとは?
サミー:最後に、月村さんは、これからどんな未来を描いていますか?
月村:一番の理想は、ピックルボールがカフェみたいな存在になること。
目的がなくても、ふらっと行けるほど身近で、そこには、純粋な楽しさがある。年齢も性別も人種も関係ない。そこにいくと、心があたたまるような、サードプレイス。
僕にとっては、年齢も性別も人種も関係なく、ただみんなで楽しみを共有し合う!「純粋に、楽しい!」という気持ちが、FUN AS ONEだと思っています。
FUN AS ONEを楽しそうに語る月村の様子
これからも、ピックルボールが持つ楽しさを、とにかくより多くの人に届けたい!そんな想いでピックルボールの未来を創って行きます。
Let’s paddle touch! ーレッツパドルタッチ!
サミー:月村さん、ありがとうございました!!
次回、〈PICKLEBALL ONE History #4〉「ピックルボール愛好家 山本悠平が語るPICKLEBALL ONE GINZA SHIMBASHIに込めた想いと、
ここからつくる未来」もお楽しみに!
私たちピックルボールワンが目指す世界
PICKLEBALL ONE ブランドメッセージ
テクノロジーが進化しても、
人と人とがつながる時間の価値は変わらない。
私たちはそう信じています。
ピックルボールをきっかけに生まれる出会い、笑い声、
そして「またやりたい」と思える時間。
それらすべてが、誰かの一日を、人生を、少しずつ豊かにしていく。
ピックルボールを通じてひとつになる楽しさ “FUN AS ONE”。
新しい発見を「生み出し」「つなぎ」「広げる」コミュニケーションハブとして、ピックルボールが持つ“人を幸せにする力”を、もっと日常に。
ピックルボールワンは、そんな未来を本気で描いていきます。
FUN AS ONE — ひとつになる楽しさ