10年に一度の大寒波
今週の前半、全国的な寒波に見舞われましたね。
私は24日中部地区で仕事を済ませ、滋賀の草津に泊まり、25日京都、大阪に寄ってから帰京する予定でした。
24日の夜の滋賀あたり非常に危険な香りがしていたのですが、翌週も翌々週も予定がびっしり詰まっており、リスケジューリングが難しい状況でしたので、予報が外れることを祈りながら24日朝、車で東京を出発しました。
18時すぎ、最終アポイントの愛知県小牧市で仕事を終えた頃、雪が降り始めたので、早めの夕食を取り、祈るような気持ちで滋賀に向かいました。
新名神に入った頃には降雪は強くなり、路面も凍結し、かなり緊張感が高まります。
泊まる予定のホテルが近づいてくる中、最後の休憩をしようと土山SAに立ち寄ります。
トイレを済ませ、温かいコーヒーを買い、最後のひと頑張りと出発しました。
そしてついにその時を迎えます。
立往生です。
立往生が一番ひどかったのは地図の土山~菰野間、私がいたのはそこよりは少しマシな草津JCT手前の赤丸のあたりでした。
夜の8時頃から翌朝8時まで、たっぷり12時間立ち往生しました。
20時から0時までの間は、少し進んでは止まりを繰り返していたのですが、0時を過ぎたあたりからは全く動かなくなっていました。
名前は確認していませんが、トンネルの中でした。
お腹は空いていないぞ(と言い聞かせ)
トイレはさっきしたから大丈夫(と言い聞かせ)
いつ寝れば良いんだろう?
などと考えながらひたすら動き出すのを待ちます。
トンネルの中だったので電波も悪く、テレビ・ラジオでは情報が取れませんでしたが、代わりにマフラーが雪に埋もれる心配はせずにすみました。
辛うじて電波の届くスマホのTwitter情報を頼りに、2時頃までは起きていたのですが、気が付けば眠っていました。
そして翌朝…
目が覚めると8時でした。
目の前には眠りに就いた時と全く同じ景色が見えました。
一歩も動かなかったようです。
なんだかんだで一度も目が覚めずにしっかり6時間寝ることが出来ました。
トイレもまだ大丈夫そうです。
しばらくするとようやく前のトラックが動き始め、トロトロながら1時間ほどで草津SAに到着。
その頃には最大懸念のトイレ問題はそろそろ大丈夫じゃなくなりつつありました。
再会のあまりの嬉しさに、入口・便器さんの写真を撮り、トップ画に据えさせていただきました。
飲みすぎて気分が悪い時の何倍もトイレを愛おしいと感じました。
カラダも冷え切っていたので、朝食にかき揚げそばをいただき、予定していた京都・大阪の仕事に向かいます。
立ち往生脱出後
引き続きあちこち大渋滞だったため、大幅に遅れながらも予定をこなし、ひと息。
帰りはまだ何カ所も通行止めが解除されていなかったので、もう一泊し翌朝帰路に就きました。
立ち往生は辛かったですが、奇跡的に食事・トイレ問題は大きな被害にならず、車や私自身にもダメージはありませんでした。
私が夜を明かしたトンネルの数10キロ後方では24時間以上立ち往生した方もいたと聞きます。
スタッドレスタイヤを履き、燃料も満タンにし、食事やトイレも早めに済ましていましたが、チェーンや非常食、携行型トイレは準備していませんでした。
こんな天候が予想される場合はまず予定を変更し、外出を控える。
それが無理ならより重装備で臨むことが大切だと学びました。
自分を、そして何より大切な社員を守るために、まだまだ出来ることはたくさんあるんだと思い知らされた2023年1月でした。