金田 美津江(埼玉弁護士会所属)
経歴:
東京都墨田区出身
首都大学東京法科大学院 修了
新司法試験合格
最高裁判所司法研修 修了
弁護士を志した理由
私が中学3年のときでした。当時父が経営していた会社が、倒産してしまいました。そのときにお世話になったのが、弁護士でした。破産の手続きから、私たち家族のケアまで、何から何まで支えてくれました。でも、当時の私には弁護士の仕事は詳しくわかりませんでしたし、そのときに「弁護士になろう」と思ったわけではありません。会社の倒産をきっかけに、私の人生は一変しました。両親は離婚し、私は母親に引き取られることになりました。当時住んでいた大阪から東京に引っ越して、2人で新生活をスタートしました。ただ、周りに友人や知り合いもおらず、東京で心機一転とはいきませんでした。
今思えば、それまでの私は社長の娘として何不自由なく生きてきたのだと思います。これまでとのギャップに不安な思いを抱え、やる気が起きない日が続きました。しかし、このままではいけない。もう一度人生をやり直そう。自分を変えたい。そう思って、何か熱中できるものを探しました。それで選んだのが、チアリーダーです。華やかで明るくて、いつも笑顔で。全力で応援して、周りの人を勇気付ける。その姿がとてもかっこよく映りました。そして、大学生活の4年間は、チアリーディングの活動漬けの日々でした。
そろそろ就活が始まるタイミングで、ゼミの教授から「弁護士という仕事もある」と勧められました。実は、チアリーディングに熱中しながらも、学業の成績は悪くありませんでした。というのも、母親は一生懸命働いてくれましたが、それでも家計に余裕はなく、成績が優秀だと学費が免除になるので、必死に勉強したのです。そんな私の成績を見て、ゼミの教授から弁護士の道を勧められたのです。弁護士になろうと思って入学したわけではないのですが、受験したのは法学部でした。やはり小さい頃に弁護士が助けてくれた記憶と、私もそうなってみたいという思いが頭の片隅にあったのかも知れません。でも、高校生だった頃は夢を描ける余裕なんてありませんでしたし、大学に入ってからはとにかく今を楽しむ、毎日を精一杯生きる日々でしたから、あまり真剣に考えたことはなかったのです。
教授の一言をきっかけに「目指せるんだ」と明確な目標に変わりました。どん底にいたあの頃の私と同じように、苦しんでいる人たちの助けになれるなら。そう思って、弁護士の世界に飛び込むことを決めました。
当事務所での業務内容
最初に入った事務所で多く担当したのは、労働問題、とりわけ残業代請求の案件をたくさん取り扱いました。これは、私自身の希望です。やはり忘れられない父の会社の倒産。あのとき、私の自宅には毎日のように従業員が「未払いの給料を払ってほしい」と押しかけてきました。当然ですよね。従業員のみなさんにも、生活と家族がある。一方で私たちも、明日からどう生きていけばいいのか、先が見えない状況でした。あの時のなんとも言えない気持ちは、今でも鮮明に覚えています。ですから、労働問題なのです。あのとき、従業員のみなさんには大変な迷惑をかけてしまいました。だから今度は、そんな労働者や家族のみなさんをどう守るか、その手助けがしたいと思ったのです。そこで、労働問題を中心に経験を積んでから、ネクスパート法律事務所に移籍しました。今も残業代請求はよく担当しています。処理した件数は、前の事務所から数えると100件を超えます。労働問題では、解雇の無効確認や退職勧奨などもあり、この分野は私の得意領域です。
もちろん、それ以外の案件も積極的に引き受けています。刑事事件、離婚・男女問題、交通事故、相続関係などです。これは、ネクスパート法律事務所が幅広いジャンルをカバーしているからです。いろんな分野を経験することで、その経験やスキルを別の分野で活かせるようになりました。これまで担当した案件の中で最も印象に残っている事件は、ある刑事事件です。「示談に応じます」と女性から連絡があったのは、私が地方出張に出かけている日でした。夜、帰ってきてからすぐに示談書をつくり、検察官にも被害届を取り下げるよう伝えました。ただ、検察側はすぐに動いてくれませんでした。私の頭に浮かんだのは、やはり「1日でも早く」という言葉です。今度は、裁判所に「これ以上身柄を拘束する必要はない」と意見書を提出します。すでに終電が過ぎていましたが、タクシーで裁判所に向かい、夜間窓口に意見書を投函しました。すると、翌日裁判所から解放の許可が下りて、男性は釈放されることになりました。父親から依頼を受けてから10日間。男性は無事仕事にも復帰でき、ご本人やお父様には大変感謝されました。
弁護士としての心がけ
情熱、行動力、粘り強い交渉、人を応援する気持ちは他の弁護士と比べて負けません。その男性の弁護を担当したときも、「1日でも早く釈放させてあげたい」という情熱で夜中でも裁判所に意見書を出しに行きました。今やるのか、やらないのか。判断は弁護士によって違うと思います。情熱からくる瞬時の判断、行動力は私の強みです。実際、その翌日に彼は釈放されたわけですから、あの判断をしていてよかったと思います。
そういう情熱や行動力の源になっているのは、やはり私自身が味わった過去の苦い経験です。どん底にいるときは苦しくて仕方ないけど、やり直しはきく。人は何度だって這い上がれる。これは弁護の仕事だけでなく、人生において私が最も大事にしている思いです。私は学生時代、チアリーダーをやっていました。チアリーダーは、人を全力で応援し、笑顔にする存在なのです。弁護に置き換えれば、いろんな悩みを抱えて相談にいらっしゃる方々に、「私が力になりますよ」と勇気付け、最後は笑顔になってもらう。似ている部分があるのです。持ち前の明るさと笑顔で、私を頼ってくださる人たちを全力で応援し、サポートし続けることを約束します。
今後の方向性
残業代をはじめとする労働問題は、引き続き得意な領域として伸ばしていきたいです。それと、刑事事件にもどんどん関わっていきたいと思います。刑事事件は性質上、弁護士が間に入らないとどうやっても解決できない、弁護士だからこそ助けになれる象徴的な分野です。弁護士になったからには、刑事事件のスキルをもっと身に付けたいと思っています。それ以外の新しいジャンルも、どんどん開拓していきます。例えば、企業法務です。これまでは労働問題に深く関わってきましたが、労働と企業は表裏の関係です。労働者を守ることは、会社を守ること。会社を守ることは、労働者やその家族を守ること。ですから、労働者だけでなく、会社側からも適切な経営や労務管理に携わっていきたいと思います。
どんな弁護士になりたいか。これはシンプルですが、私のことを信じて頼ってくれる人を、とにかく全力で応援する弁護士ですね。私は弁護士の中では若い方ですし、もしかしたら「任せて大丈夫か」と不安に思う方もいらっしゃると思います。でも、若いからこそ情熱的にサポートできたり、親しみやすく気軽に話せる部分もあると思うのです。
※掲載中のココナラ法律相談より抜粋しております。