これはまだ仮説なのだけど、ウェルス(wealth 富)を産むのがボーダレス・ワールドというならば、ウェルネス(wellness 豊かさ)を産むのはバーティカル・ワールドだと思う。
これまでの世界は、地球の表面をぐるりと世界中繋げることによって分業と生産性の向上を成し遂げることを目的とした。
有名なジョークに、「製品とは、ドイツ人が発明アメリカ人が製品化イギリス人が投資フランス人がブランド化イタリア人がデザイン日本人が小型化と高性能化に成功、中国人がパクり韓国人が起源を主張する」というものがあるけど、まさにそんな感じだ。
資本主義は便利なツールだった。匿名化されたマネーというエネルギーを集約し、集中投下し大量生産する、それを地球上に流通させる、そんなことがメインの時代が500年続いた。それがボーダレス・ワールドであり、結果として世界はコモディティ(マクドナルドとスタバとナイキ)で溢れ、人々は言うならば安易で薄い人生を送ることになった。おまけに地球環境は末期的な状況に陥った。世界の全てが同じ色に染まった。
しかし、今後の世界はこのボーダレス・ワールドからバーティカル・ワールドへと舵を切る。バーティカル・ワールドとは、地球の奥深くから垂直に上に伸びてゆく世界観だ。地球のコアからマントル、そして地表、自然環境、人々の生活、生産活動、空、宇宙へ伸びてゆく。
具体的に言えば、各地域の地殻、鉱物資源、温泉等、地質、土の性格、地層、遺跡と歴史、自然、そして土地から産まれる生産物、その上に住む人々の居住、生活スタイル、建物、気質、積み重ねた文化、技術、さまざまな社会システム、とりまく自然環境、空と海、星へ縦に伸びる多層的なレイヤーを整えて知覚してゆくことがウェルネス(健康で幸せな深みのある豊かさ)へと繋がる。
ボーダレス・ワールドは効率性を追求し、バーティカル・ワールドは効果性を求める。
地方創生・地域開発という文脈において、地産地消という食にまつわるワンケースをより本質化させ、多義的に適用可能にするのがこのバーティカル・ワールドという考え方である。
嬉野の茶畑の上にしつらえられた台の上でティーセレモニーを頂きながらふとそんなことを考えた。国破れて山河あり。現状を前提とするのではなく、もし戦後のように一旦、誰もいない更地になったなら、今の知識と技術を用いてどのようなコミュニティを創生するだろうか?一旦、ゼロベースで考えてみるべきだろう