もう長いあいだ、私は「価値とは何か」を考えつづけてきた。会社の価値、人の価値、お金の価値。答えの出ない問いだと分かっていながら、そこから離れられなかった。ValuationMatrix(VM)は、その問いに、道具というかたちで一つの答えを出そうとした試みだ。
はじめに、身も蓋もない事実を書いておきたい。財務データそのものには、もう価値がない。売上も利益も、有価証券報告書の数字も、いまや誰でも、ほとんどタダで手に入る。かつては情報を持っていること自体が力だった。その時代は終わった。数字が誰の手にもあるということは、数字を並べるだけの分析には、もう差がつかないということでもある。
では株価はどうか。株価は価値ではない。株価は、価値と、相場と、信用が混ざり合ったものだ。相場の気分で上下し、その会社がどれだけ信用を集めているかで割り増しされたり割り引かれたりする。だから株価を追いかけることは、価値を見ることとは違う。むしろ、価値と株価のあいだに開いた差こそが、じっくり選んで長く持つ投資家にとっての手がかりになる。VMがまず見ようとしたのは、この「価値のほう」だ。
ただ、ここで一つ、正直に付け加えておきたいことがある。「価値とは何か」に、私は唯一の正解を持っていない。価値を語る枠組みはいくつもあって、私自身が長く使ってきた見方も、数ある見方の一つにすぎない。だから価値は、こちらの哲学から一方的に押しつけるものではなく、それを必要としている相手の側から立ち上げるものだと、いまは考えている。同じ会社でも、事業を継ぐ人が見たい価値と、買収する人が見たい価値と、運用する人が見たい価値は、まるで違う。VMが目指したのは、決まった正解を配ることではなく、相手ごとに価値の見え方を組み替えられる、そういう道具であることだった。
その上で、VMが具体的に何をするのかを三つに絞って書く。
一つめは、世界の会社を同じ土俵に乗せる、整形された財務の基盤を持っていること。国が違えば開示の作法も会計基準も違う。年度によっても揺れる。その違いをそろえ、比べられるかたちに整えた一次情報の構造を持っている。分析の質は、結局その土台の確かさで決まる。
二つめは、数字の後追いではなく、質を評価すること。財務の定量分析は世の中にいくらでもある。VMがやるのはその外側だ。会計の誠実さ、経営者の器、事業の本質的な強さといった、数字に表れにくい「質」を採点する。そしてその中心に置いたのが、戦略オプション付きの企業価値評価だ。いまの事業の価値を測るだけでなく、その会社が次に取りうる打ち手――新しい事業、提携、撤退――を一つずつ評価し、実現の確からしさで重みをつけて価値に足し込む。会社の「次の一手」にまで、値段をつけようとしている。
三つめは、道具そのものを売るのではなく、相手の仕事に合わせて作り込むこと。VMという製品をそのまま渡して終わり、ではない。相手の業務の実態に合わせて、専用の分析や、ポートフォリオを管理する仕組み、さらには分析から執行までを一続きにする自動売買の設計まで、土台の上に作り込む。そこではじめて、その人にとっての新しい価値が生まれる。
結局のところ、VMは「価値を見る」ための道具であると同時に、「価値は相手ごとに違う」という前提の上に立った道具でもある。数字が誰のものにもなった時代に、それでもなお差がつくのは、数字の外側にある質を読み、それを相手の必要に合わせて組み立てられるかどうかだ。私はそう信じて、この道具を作ってきた。
価値を見る目を持つ人が増えたぶんだけ、世界の値づけは正される。その最初の一人に、あなたがなればいい。