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「人間について学びたい」が導いた小児科医、研究者、経営コンサルタントへの道

 小児科医でグローバルヘルスコンサルティング・ジャパン(GHC)の病院経営コンサルタントとして活躍する西田俊彦さん。小児・周産期の領域で「INTACT(インタクト)」の略称で知られる極低出生体重児(出生体重1500g未満)の予後改善を検証する多施設共同研究では、筆頭著者として論文をまとめ上げ、2024年2月には海外の学術専門誌に掲載されました(概要はこちら)。

 医師として、研究者として、病院経営コンサルタントとして活躍してきた西田さん。なぜ小児科医を目指したのか。10年以上かけた論文執筆に駆り立てたものは何だったのか。経営コンサルタント転身の契機は――。本稿では、医師、研究者、経営コンサルタントである西田さんの歩みを突き進める背景に迫ります。そこには、幼少期から絶えず続く、「人間について学びたい」という探究心がありました。


電子工学と文学の接点で見出した医療

――医師を志した経緯を教えて下さい。

 医師とは縁のない家庭で生まれ育ったので、高校生になって進路を決定するまで、医師という選択肢は全くありませんでした。医師になることを志したのは、幼少期からあった「人間について学びたい」という2つの興味がそこに辿り着いたからです。

西田 俊彦(にしだ・としひこ)さん:医師、小児科専門医、公衆衛生学修士(MPH)、経営科学修士。東京医科歯科大学医学部医学科卒業、京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻・臨床研究者養成コース修了、ジョンズホプキンス大学ケアリー経営大学院・医療マネージメントプログラム修了。神奈川県立こども医療センター(小児内科)、横浜赤十字病院(小児科)、川口市立医療センター(小児科、新生児集中治療科)、東京医科歯科大学(小児科 助教、小児・周産期地域医療学講座 特任講師)、東京女子医科大学母子総合医療センター(特任助教、助教)、国立研究開発法人 国立成育医療研究センター研究所(政策科学研究部研究員)を経てGHC入社。国内外の雑誌で新生児医療分野の執筆多数。2024年2月には10年以上かけて研究してきた論文「Impact of comprehensive quality improvement program on outcomes in very-low-birth-weight infants: A cluster-randomized controlled trial in Japan」(「Early Human Development」)の筆頭著者を務めた。

 一つは電子工学分野への興味です。親がエンジニアだったことが影響したのか、小さい頃からコンピュータやプログラミングには興味を持っていました。中学受験の合格祝いがパソコンだったこともあり、中学時代には友人とベーシックなどのプログラミング言語で書かれたプログラムを入力したり、改変したり、また当時のパソコンは音楽用のカセットテープにデータを保存する時代でしたが、改造してそのスピードを上げるなど、パソコンいじりに熱中しておりました。

 その一方で、全く正反対ですが、文学への興味もありました。中学時代には担任の国語の先生の車で、軽井沢・清里辺りで開催されていた「堀辰雄」展に連れて行ってもらったことはよい思い出です。高校生の夏休み、カルチャーセンターの文学講座の受講を楽しみにするという少し変わった少年でした(笑)。祖父が仏教学者、インド哲学者で、同居していたこともあり、文学から哲学の分野にも興味の範囲が広まりました。

 高校生になって進路を考える際、電子工学分野は文学や哲学の世界で味わった人間への興味が満たせず、とはいえ人文系だと何が正しいか明確な答えが出るサイエンスの魅力にも欠ける。そこで行き着いたのが、より客観的なアプローチ方法で人間を探求できる医学、という道でした。

 高校3年になる春休みに、周りからは当然文系と思われている状況で、突然、医学部に行きたいと言い出した自分に対して、誰もが「何言ってるの?」という感じでした。とても医学部を目指せるような成績ではなかったからです。ただ、考え抜いた末にたどり着いた決断だったので腹をくくり、猛勉強の末、東京医科歯科大学医学部医学科に入学することができました。

なぜ同じ一つの細胞が多様な変化を遂げるのか

――大学ではどのように過ごされたのですか。

 「医学部で学ぶ=臨床医になる」だけではないという理解でしたので、興味の赴くままにさまざまなところへ顔を出させていただきました。

 教養部時代から基礎医学の研究室に出入りし、実験をやらせてもらったり、抄読会・輪読会に参加させてもらったり。そうかと思えば基礎医学とは全く異なる社会医学・疫学の研究活動に同行させてもらったり、公衆衛生系のクラブ活動に参加したりしました。

  • ヒトを分解してミクロに探究する「基礎医学」
  • 個人としてのヒトを相手にする「臨床医学」
  • 集団としてヒトを研究する「社会医学」

などさまざまなアプロ―チがある中で、何が一番フィットするだろうかと探る気持ちで、あまり一つの方向性にとらわれない活動をしていました。

 臨床については、次第に小児科への興味に収れんされていきました。当初は人間を深く知りたいということで、精神医学の世界にも興味を持ちましたが、自分としてはさまざまな角度から見て、小児科への魅力の方が勝りました。

 まずは、生まれた赤ちゃんが大人になっていくまでの成長発達の過程や変化が面白い。世の中、本当にさまざまな方がいますが、元を辿れば誰もが同じ受精卵という1つの細胞に行き着くのに、身体能力も知的能力も含めて、どうしてこれほど多様な変化を遂げるのだろうというところです。

 また、臨床における小児への対応が比較的シンプルで、自らが行った医療行為の結果が出るのも早く、分かりやすいという点も興味深かったです。大人はさまざまな生活習慣の蓄積から生じる慢性疾患で、なかなか治せないというものが多いですから。

「専門」に頼らない新生児医療に必要な総合力

――小児科は最も大変な診療科の一つという印象が強いです。躊躇することはありませんでしたか。

 確かに、大人なら自分の意志や症状を分かりやすく伝えることができますが、小児はそれがうまくできなかったり、そもそもまだしゃべれなかったりする時期もある。排泄は介助しなければならないし、診察時に暴れるようなことは日常茶飯事です。ただ、だからこそ小児科は患者の言葉に頼らず、しっかりと向き合い、観察する。全身状態、肌の色、体の動かし方、細かな表情やしぐさの微妙な変化を見逃さないという部分が鍛えられるという風に考えました。


学生時代の西田さん(写真右)

 また、敬遠されがちの科の方が、自分には合っているようにも思えました(笑)。人がやらないことの方が、価値が出やすいとも考えられますし。

――小児科では何を専門とされたのですか。

 一番インプレッシブだった新生児医療です。新生児医療は、それこそ生まれてすぐの救急蘇生から、どうサポートしても生きられない赤ちゃんの看取りまで、あるいはその後の発達フォローまで、採血・点滴はもちろんのこと、心臓エコー、気管支鏡、脳波等、基本的に一人で評価できないといけない。何と言うか、違う生き物を診ているようなレベル感です。私が診た最も小さかった新生児は300グラム台、最も週数の早かった新生児は在胎22週で、ヒトの生存限界との闘いを意識する領域で、チャレンジングでした。他にも、先天性心疾患合併の染色体異常があり手術ができない患者さんの看取り、重症仮死後遺症で人工呼吸器により生命を維持している患者さんの在宅移行など、お子さん本人だけでなく、家族も含めてどのような選択が最善かを模索し続けた日常でした。

 新生児医療では、主治医は患者の全身を管理できます。医療は専門分化が進んでいて、専門性を高めるためには専門分化が重要ではあるのですが、一人の患者のここは分かるけど、そっちは分からないというのは、何となく自分の性に合わないと感じていました。

 臨床研修医として過ごしたのが、神奈川県立こども医療センターだったことも大きいです。一般的な大学病院の小児科は患者数が少なく、特定の疾患に偏りがち。一方で同センターは、小児医療の最後の砦とも言える存在だったので、小児科の中でもさらに専門分化した世界の第一線で活躍されていた指導医の下で、重症もしくは希少な疾患の症例の診療経験を積むことができて、非常に充実した生活でした。

病院間アウトカムの差に衝撃、医療の質向上への歩み

――蘭エルゼビアが発行するヒトの早期発達を扱う学術専門誌「Early Human Development」に2024年2月、筆頭著者を務めた論文「Impact of comprehensive quality improvement program on outcomes in very-low-birth-weight infants: A cluster-randomized controlled trial in Japan」(邦題:極低出生体重児のアウトカムに対する包括的医療の質向上プログラムのインパクト-日本におけるクラスターランダム化比較試験-、概要はこちら)が掲載されました。14年前の2010年からのプロジェクトですが、そこまでの経緯を教えて下さい。

 新生児医療の現場で経験を積み、さまざまな学会で同じ専門の医師たちと話していると、病院ごとにやっていることが全然違うということが分かってきました。やっていることが違うだけならいいのですが、例えば、この病院では肺の合併症が多い、未熟児網膜症の合併症が多い、あるいは同じくらいの週数、出生体重の症例なのに助かる病院と助からない病院があるなど、病院間でアウトカムが大きく異なるということが分かってきました。これは問題だろうと。

 こうした医療のバラツキを減らし、医療の水準を高く保つための取り組みの一つが、各学会がまとめているガイドラインですよね。こうした問題意識から、日本周産期・新生児医学会の新生児蘇生のガイドライン作成にかかわり、ガイドライン普及プログラムの作成、さらには学会事業として、実技を含む研修と試験により認定証を発行する新生児蘇生普及事業」の立ち上げに関わらせていただきました。一方で、臨床研究の方法論や進め方などを学ぶため、京都大学大学院医学研究科(社会健康医学系専攻臨床研究者養成コース)で修士号を取得しました。

 このような活動をする中で出会ったのが、当時の厚生労働省研究班による「アウトカムを指標としベンチマーク手法を用いた質の高いケアを提供する『周産期母子医療センターネットワーク』の構築に関する研究」です(関連記事『周産期医療の施設格差が明らかに 37施設のうち5施設で死亡率が20%超える』参照)。この研究は、1500グラム未満出生の低体重児のデータベースを用いてベンチマーク分析し、病院間でアウトカムにかなりの違いがあることを明らかにしたものでした。

 この研究でデータベースをまとめた東京女子医科大学母子総合医療センター教授=当時=の楠田聡先生は、「日本の新生児医療は世界最高水準であっても、さらに成績を上げる余地がある」と述べており、これに共感しました。合わせて、東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学准教授=当時=の森臨太郎先生から、「日本のお家芸であるカイゼンが医療の世界では常識になっていない。周産期医療の質向上を促す研究として実施できないか」と提案があり、この2名の先生が中心となって介入プロジェクトを立ち上げようということになりました。

 その当時、私は大学院を卒業して東京医科歯科大学に戻り、同大学病院にNICU(新生児集中治療室)を立ち上げるプロジェクトを担当し、学内や東京都庁に出向いたりなどして3年間、駆けずり回っていました。そんな時に楠田先生や森先生のプロジェクトがまさに始まるところで、両先生から誘っていただき、お手伝いさせていただくことになりました。始動は2010年のことで、厚生労働科学研究費補助金 行政政策研究分野 厚生労働科学特別研究「『周産期医療の質と安全の向上のための戦略研究』に関するフィージビリティ・スタディ」としてスタートしました。

厚生労働科学研究成果データベースより。「医療の質向上」という大きな問題意識に引き寄せられて参画した「『周産期医療の質と安全の向上のための戦略研究』に関するフィージビリティ・スタディ

マネジメントこそが日本医療の大きな課題

――論文を書き終え、プロジェクトをどう振り返りますか。

 結果がまとまる前から感じていたのは、日本の医療では質の改善や向上といった部分がまだまだ未熟であるということです。

 一般企業では当たり前のように行われるクオリティ・コントロールや品質チェックですが、医療の仕組みとしては非常に限定的です。もちろんこれは医師の専門性や裁量権であったり、医療の不確実性であったり、議論をしにくくする要素があるのも確かです。が、とはいえ第三者的な視点で、診療のプロセス・アウトカムのデータから診療の見直しにつながるフィードバックが入るような仕組みは、質の向上のために必要だろうと考えます。

社内のプロジェクトメンバーとブレストする西田さん。この日のテーマは「医師の働き方改革」

 このようなQC/QA(品質管理・品質保証)、QI(品質向上)活動に関して、少なくとも自分が学んだ時代の医学部のカリキュラムには含まれていませんでしたし、INTACT研究以前からデータベースとそのベンチマ―クはありましたが、研究の域にとどまり、実際の診療を変えるレベルでの活用にはつながりにくい状況でした。そういう意味で、研究のためのデータから実臨床を改善していくためのデータへと位置づけを見直した意義は大きかったと感じております。

 翻って、研究実施という点でも課題がありました。臨床医の努力に頼る形ではデータの入力も捗らないという課題が浮上しておりましたし、また介入の質はどうだったのか。この研究に参加し、介入群として改善に取り組んだ施設には介入期間終了後に自施設での変化を業界専門誌上で紹介してもらう連載を企画し、それなりにポジティブに受け止めていただいた感触はありましたが、このプロジェクトを推進してきた自分たち介入する側のマネジメント能力不足も否めず、「もっと質をモニタリングし、マネジメントするということがうまくできたら、より多くの施設の診療の質向上につながったのではないか」と悩んだこともあります。これからの時代、確実に実行すべきことを実施できるよう支援する、そんなマネジメントが絶対に必要と感じております。

※連載企画は雑誌『ネオネイタルケア』(現『 with NEO』)誌上で掲載。INTACTプロジェクトで介入群となった施設から2015年1月~2016年7月まで自施設の取り組みを全19回連載形式で報告。当時の資料を参考にGHC作成。

 結果的に、介入研究の主アウトカムだった「3歳時の障害なき生存」という点では、介入群・対照群間で統計学的有意差を検出するには至りませんでした。その背景として研究開始前後で全体として大きく診療成績が改善していた、ということがわかっています。

 このプロジェクトの結果にはさまざまな意味が含まれていると思いますが、端的に言い表すと、医療の質向上を実現できた病院もあれば、できない病院もあったということです。介入プロジェクトを通じて課題抽出をし、成績表を作って、PDCAを回す仕組みなど提案しました。だだ、結局、実際どこまで診療を変化させることができたか、やろうと決めた計画をその通りに実行できたか等、検証すべきところが多々あるのが現実と感じています。

 この研究だけでなく、そして周産期・新生児医療に限らず言えることですが、専門分化された忙しい日常の中で、各専門家は自らがベストと思う診療を提供する。その結果をみると、ベンチマークでは大きなばらつきが存在する。この実態は、提供される医療サービスの質の問題というよりも、質の向上を指向するマネジメント手法、そして医療提供の質のマネジメントが確立されていない問題だ――。そう強く感じたことが、マネジメントを学び、病院経営コンサルタントへ転身するという、今現在の自分につながる原点となりました。

――マネジメントはどのように学び始めたのですか。

 米国のジョンズホプキンス大学ケアリー経営大学院で学びました。海外留学したのは当時、国内には医療に特化したマネジメントという点で、自分の中でピンとくる学び先がなかったからです。医学で有名なジョンズホプキンス大学のビジネススクール、ケアリー経営大学院で、ヘルスケアマネジメントの修士コースを見つけたときは、「これだ!」と思いましたね。

留学先のジョンズホプキンス大学ケアリー経営大学院のクラスメイトと。中央左が西田さん

 米国に行って感じたのは、「日本と考え方や体制が全然違うな」ということです。MBAホルダーの専任マネジメント職が何人もいて、さまざまなデータを分析する専門のチームもある。医療提供(オペレーションやデリバリー)について研究する研究者もいるし、研究の蓄積でもあるヘルスケアマネジメントの分厚い教科書もある。

 ただ、米国も素晴らしく洗練されたマネジメントができている病院とできていない病院があり、差が激しい。そもそも国民皆保険制度でもなく、医療へのアクセスにも課題がある。冷静に米国の良いところはしっかりと学びつつ、日本でもフィットする考え方や仕組みは活かしていきたいと再認識しました。

大切なものを残しつつ、医療の持続可能性推進を

――「人間について学びたい」という入口から、小児科医、研究者、今は経営コンサルタントとしてご活躍されています。今のご自身の入口となった人間探求の原点を振り返り、どのように感じますか。また今後の目標などあれば教えて下さい。

 現職の、病院を経営面で支援し、医療の価値(質/コスト)を向上するという取り組みは、とてもやりがいがありますし、その価値観にも共感しています。ただ、それだけでは物足りないと感じてしまうところも自分にはあります。

 そういう意味で言うと、GHCは本業のコンサルティング業務から離れたところで、さまざまな病院や関連団体、行政や自治体、学会との共同研究の推進にも積極的で、これらはとても興味深く、コンサルタントとしての本業が忙しいのについつい、手を上げて担当しています(笑)。例えば、半数以上のがん診療連携拠点病院等から構成され、実名公開によるベンチマーク分析を通じてがん医療の質向上を目指すCQI(Cancer Quality Initiative)研究会の活動支援。GHCは同研究会のデータ分析を含めた事務局をやらせていただいており、このデータ分析の経験はエキサイティングでした(『過去最高121病院が参加、第16回CQI研究会開催、がん医療均てん化の第一歩は「ベンチマーク分析」』参照)。GHCで全国がんセンター協議会のデータを用いて、入院と外来の症例あたり粗利比較を分析するプロジェクト(参考資料はこちら ※p14)も印象深かったです。

CQI研究会で講演する西田さん。データ分析の主担当として、さまざまな新たな知見を生むきっかけを作った(プレスリリース『子宮頸がんの早期発見減少、コロナ禍の「検診控え」影響か』参照)
全がん協32施設のデータを用いて分析した「がん種別一症例あたり入院・外来の粗利比較」。財務省の財政制度等審議会の資料にも採用された

 「人間についての学び」は、私がそうであったように、切り口はさまざまだと思います。小児科は、目の前の1人の子供の病気を治すということを基本としつつも、家庭環境に働きかけることもありますし、予防接種や事故予防の啓発活動にも関わります。子育てで悩むお父さんお母さんに寄り添いつつ、不登校のお子さんの話にも耳を傾けます。かと思えば、保育器の中の小さな赤ちゃんに必要な救命処置もしますし、状況によっては治療を控えてご家族と共にお看取りもします。その時その時必要なものは何か、考えながら、成長してきたと感じております。

 今後は、臨床での経験を忘れずに、しかしどちらかというと社会的な切り口から、どうしたらよりよい治療やケアを病院が提供できるのか、地域住民の健康寿命を延ばしていけるのか等、興味があるところを引き続き模索していきたいです。

 マネジメントという視点からは、一言で言うと「根性論よりも持続可能性」ですね。マネジメントというと、経営的な側面ばかりが注目されますが、お金の話だけではなく、組織で働く人のモチベーション管理、提供するサービスの品質管理も含めて、総合的な取り組みで医療をもっと良くしていく方法を探していきたい

 その一方で、根性論も完全否定はしたくない。住み込み寮で24時間365日呼び出される生活で培った感覚は、私を育ててくれた大切なものの一つである一方、改めるべきところも多くあったと思います。効率性や持続可能性の推進は間違いなく必要なのですが、それによって失われるものについて、それが本当に失われてしまってもいいのか否か、そういう視点も持ちながら、部分最適よりも全体最適、短期より長期という視点を持ちつつ、学び続け、そして貢献していきたいです。

――本日はありがとうございました。


西田さんの1日の業務スケジュール

出張なしの場合
  • 9:00/始業/オンラインによるチームミーティング(在宅勤務がメイン)
  • 9:30/分析資料作成、後輩アナリストからの質問対応、担当病院への営業活動
  • 12:00/昼休憩
  • 13:00/分析資料作成、後輩アナリストからの質問対応、担当病院への営業活動
  • 19:00/終業
遠方出張ありの場合
  • 9:00/新幹線もしくは飛行機で現地へ(移動中にメールチェック等、対応)
  • 13:00/クライアント病院へ移動(プロジェクトリーダーと現地集合)
  • 13:00~17:00/医療機関でのコンサルティング(プロジェクトリーダーとともにプレゼン、ミーティングをファシリテート)
  • 18:00/帰路・車内/機内で訪問報告作成やメール対応
  • 22:00/帰宅
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