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【創業秘話】人生や仕事は「何」をするかも重要だが「誰」とする方がもっと重要だ。

元々社長になりたかった訳ではなかった。

小学校からサッカーを始めて、物心ついた頃の夢はプロサッカー選手。

才能があった訳ではない。

自分がサッカーを始めたクラブチームの監督が叔父だったこと、その叔父がカリスマ天才サッカー指導者だったことが大きな理由だった。

勉強はそこそこできた。

高校は、滋賀県内の私立高校に進学。

進路相談の際「この成績なら特別推薦で〇〇大学(関西では有名校)に行けるぞ。」と高校の先生に言われた。

日本特有の常識というレールに乗りたくなかった。

その勧めを断り、18歳で地球の裏側の異国ブラジルへ。

そこで目の当たりにしたサッカーはもちろん、文化、習慣、生活、世界観の違い。

当時サッカーは日本ではJリーグが始まったばかりで「流行」だったが、ブラジルでは「文化」だった。

人々の生活の一部だった。

日本では進路は様々な選択肢があるが、その頃のブラジルで成功するにはサッカー選手以外の選択肢がない。

ハングリーさが違うし、サッカーにかける情熱がまず違う。

「キミは何に乗って日本から来たんだ?」と聞かれ、「もちろん飛行機だよ。」と答えると「バカだな、バスで来たら安いのに。」と大真面目に返された。

日本が陸続きだと思っていて、地球の反対側にある事を知らないということにハンマーで殴られたような衝撃を受けたのを覚えている。

自分の常識は世界の常識ではない、そう言ったことを肌で感じ、早くから多様性の感覚は養われていったのかもしれない。

その後、コロンビアでセミプロとして半年間プレーして、サッカー選手としての夢は区切りをつけた。

22歳の時だった。

「叔父が天才指導者だったこと、若くして海外に出たこと、逆にプロにはなれなかったこと」が自分の見聞を広げ、人生の財産となり、可能性を広げた。

帰国後、大卒の経歴はあった方がいいと思い、少し勉強して某有名大学通信学部に入学したが、やっぱりやりたくないことだったために、1年ほどで辞めた。

きっかけはこんな時から

滋賀に戻ってからは、総菜屋で配送のバイトをしながら自分の育ったクラブでサッカーコーチをしていた。

その平日の夕方に毎回練習を観に来られている親御さんがいた。

普通のお父さんは毎回来れる時間ではない。気になり、ある日聞いてみた。

「仕事何をされているんですか?」

「あー、会社やってるんよ。」

「そうなんですねー、何の会社ですか?」

「広告デザインやねん、今度東京に事務所出すつもりやし、行く?」

「え、僕ですか?」

「そうそう。行く?」

「僕はデザイン学校も美大も芸大も出てませんが、大丈夫ですか?」

「大丈夫、大丈夫。現場で全部覚えたらいいから。」

「少し、考えさせてください。」

「会社一緒にやろう。次の社長はやって。」

(先代に資質などをずっと観察されていたのが推測される)

当時、サッカーコーチで生計を立てるのは難しく、その頃私は滋賀や京都のCLUBでヒップホップMCとしても活動中で、カッコいいイベントフライヤーが作りたいなと思っていたり、母親がウェディングサロンを経営していて、家にMacがあったことも重なり、直感的にデザインをやりたいと思ったのを覚えている。

その半年後、東京に。

最初は浜松町にあった取引先の制作部に席を間借りさせていただき、一緒に仕事させてもらった。

一応「出向」といえば聞こえはいいが、そんなカッコいいものではない。

何も出来ないから、一から死にものぐるいで仕事を覚えた。

関西から出てきた大変そうな私にその取引先のみんなが懇切丁寧に教えてくれた。

(その会社とのご縁は未だに続いている)

その数ヶ月後、日本橋人形町あたりに住居兼オフィスとして移った。

一人仲間が増え、二人増え、一人辞め、二人辞め、一人増え、また二人増え、二人辞め。

色々な仕事をした。徹夜もした。4人で二日徹夜したのに終わらなかった仕事もあった。

ミスもいっぱいした。クライアントにこっぴどく怒られもした。

仕事や取引先も増えたり、減ったりの繰り返し。

はたまたコンペやプレゼンに通ったり、評価もされた。

デザイン、ディレクションだけでなくプロデュース、マネジメントなども数多く経験させてもらった。

先代は数字にはとにかくうるさかった。それで鍛えられた。

振り返ると順風満帆ではなかった。

気づくと十数年の月日が流れていた。

「奥さんと息子二人を頼んだ。いい会社にしてや。」

自分にチャンスをくれた先代は、2018年に59歳の若さで他界された。

普通は数ある中から、会社を選ぶ。

私は逆に選んでもらった。

何も見える武器がなかった自分をパートナーにしてくれた恩義は計り知れない。

それに応えるべく、この会社「ウインズ」をもっと魅力的にしていきたい。

具体的には、働いているみんなが目標に向かってお客さまのために能動的に仕事ができるチーム、その家族も含めて「ウインズ」の一員であることを誇りに思ってもらえるようなチーム、自分自身がワクワクするようなチーム。

昔は強がっていたし、弱さも見せたくなかったし、一人ですべてやりたがった。

自分一人で決めたことに対してスタッフにも協力してくれというスタンスだった。

でも社長になってからわかったことは。

私は完璧な人間ではないし、一人では何もできない。

優秀な仲間に恵まれているから今がある。目標を共有していればそれぞれの道があっていい。

そしてこれだけは言える。

人生や仕事は「何」をするかも重要だが「誰」とする方がもっと重要だ。

誰といつどこで出会うかわからない。

今一緒に働いている仲間の「誰」、これから出会うだろう仲間の「誰」になっていけたらいいなと思う今日この頃。

私にとって先代がそういう存在であったように。

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