震災復興の最前線とも言われる浜通りエリアで、地域コミュニティづくりや体験プログラムの企画運営に携わる吉田花奈さん。
吉田さんは長崎出身。長崎から1,000㎞以上離れた福島に移住し、まちづくりに関わるようになったきっかけと仕事にかける思いを聞きました。
Q. 現在の業務について教えてください。
福島県浪江町で、コワーキングスペース「ナミエシンカ」の運営や地域コミュニティをつくるイベントの企画・運営、ツアーの企画・実施を中心に担当しています。
浪江町は、福島県の沿岸部「浜通り」のほぼ中央にある町です。「なみえ焼きそば」が生まれた町、としてご存じの方もいるかもしれません。
浪江町は、東日本大震災と原子力災害の発生以降は全町民が避難を余儀なくされ、約2万人いた人口が一度ゼロになりました。町面積の約8割は帰還困難区域に指定され、いまだに居住することはできません。
避難指示が解除された地域では、避難先から帰還された方や新しい移住者が増えつつあり、約2,500人が暮らしています。
私の業務はそんな浪江の「復興」に関わる仕事です。地域コミュニティづくりを通して、一度は失われた地域のつながりやにぎわいを、もう一度この町に取り戻していきたいと思っています。
Q. 吉田さんは2025年に入社して、今年で丸1年。入社時はどんなお仕事からのスタートでしたか。
私が入社した当時は、ちょうどMYSHが浪江町の取り組みに本格的に関わり始めたタイミングでした。ほぼ、気持ちとしては「立ち上げメンバー」でしたね。
最初は先輩社員と一緒にコワーキングスペースの窓口業務やイベントのサポートから入り、徐々に企画にも携わるようになりました。
1年目の割と早い段階で、コミュニティイベントを立ち上げた経験は思い出深いです。
現在はコワーキングスペースを運営しつつ、この拠点やプロジェクトに関わる人を増やしコミュニティをつくっていくために、毎月イベントを開催しています。
はじめは十数人の参加だったものも、町の方のニーズに合わせて内容を工夫したり、切り口を変えて新しい企画を展開していくことで、確実に参加者は増えています。昨年は延べ80人が参加してくれました。
浪江町の過去・今・未来を考える若者向けの1泊2日のツアーでは、参加者の約半数がツアー後も浪江町を再訪してくれています。着実に町の関係人口を増やしていくことができました。
Q. 入社のきっかけについて教えてください。
最初のきっかけは、MYSHの南相馬体験プログラムでした。Instagramの広告で流れてきたのを見て社会人2年目の時に参加したんです。
中学生の時に宮城県の気仙沼市でスタディツアーに参加して以来、東北の被災地にはずっと関心を持っていました。大学生時代は岩手県の釜石市でインターンをして、インターン後に福島の浜通りを一人旅したり。「また東北に行きたいな」という気持ちはずっとあったんです。
南相馬の体験プログラムは、2泊3日で市内を巡って、まちづくりを実践している人にお話を聞いて、自分たちは「何ができるか」をワークショップで考える内容でした。それからはMYSHの社員とつながりができて、東京のイベントやご飯会に呼んでいただくようになって。しばらくして「MYSHの仕事、興味ない?」と誘われました。
Q. 当時は転職を見据えていたのでしょうか?
最初は転職も移住も全然考えてなかったんです(笑)。
当時の仕事は楽しかったのですが、もともとやりたかった「まちづくり」の仕事には直結していない実感はありました。
私がやりたかったまちづくりは、「地域の魅力を大事にして、そこに住む人が自分のまちを誇れる状態をつくること」なんです。地域の中の人と外の人との交流から、日常と非日常が交わる瞬間をつくることが好きで。ゆくゆくは故郷の長崎でまちづくりに関わりたいとも考えていました。
就活でもまちづくりに関わる会社を探したんですが、不動産開発とか“箱もの”系の仕事に進むか、公務員かの選択肢しか見つけられなくて。
でもMYSHのメンバーと話をしていく中で、「この会社の仕事は私がめっちゃやりたかったことだ!やりたかったことが仕事になる」と確信して。
社長の向井さんから「MYSHでまちづくりの実践を積んで、長崎に還元すればええやん。長崎に支社作ったら?」と言われて、自分のキャリアの先まで初めてイメージできたんです。
多様な地域に関わりながら、コミュニティづくりからまちづくりを実践できる会社は他にはないと思います。
Q. 実際に入社してみて、大変だったことはありますか?
MYSHの仕事は想像よりずっとハードでした(笑)。
体験プログラムに参加していたので、地域の人や若者と交流する「楽しい仕事」をイメージしていたので、ちょっとギャップはありましたね。
特に一つひとつのイベントの事前準備は大変だな、と思います。
実施後の報告書づくりも、言葉一つ、一文一文までかなり丁寧に考える必要があって。
「ここまでやるんだ…」って最初は驚くこともありました。
前職もベンチャーだったんですが、仕事のスタイルはもっと個人プレー寄りだったので、常にチームで取り組むMYSHの仕事の進め方にも最初はかなり苦戦しましたね。
Q. MYSHで働く中でやりがいを感じる瞬間はどんな時ですか?
企画した浪江町のツアーで、参加者の方から「人生変わりました」って言ってもらえた時は、本当に嬉しかったです。
「誰かの人生が変わるきっかけ」を、自分が届けられているっていう感覚はすごくやりがいがあります。
地域に入り込んで働けることも面白いです。
浪江町で働くようになって、仕事だけでなくプライベートでもフラットに話せる人とのつながりがたくさんできました。
ご飯屋さんに行っても、みんな知り合いになっているから「いらっしゃいませ」じゃなくて「こんにちは!元気?」みたいな。イベントに行っても、誰かしら顔見知りがいますよ。
浪江の人は、全員「濃い」バックグラウンドや思いを持っていて、面白いんです。原発事故で一時避難して戻ってきた人や、外からの移住者がほとんどなので、みんなそれぞれ強い想いや背景を持っているんです。
思い切って移住してよかったと思っています。
Q. 入社して成長できたことを教えてください。
一番大きいのは、「丁寧さとスピード感を両立する力」だと思います。
MYSHって、いろんな地域・いろんな事業を同時に動かしているので、スピード感はすごく求められるんです。でもその一方で、行政や地域の方との仕事だから、一つひとつ丁寧に進める必要もある。
その両方を回していく感覚は、この1年でかなり鍛えられたと思います。
あとは、相手の立場に立って考える力ですね。社内も社外も、本当に多様な人と関わるので、以前より見える視野はかなり広がったなと感じています。
Q.最後に、MYSHでこれから挑戦したいことを教えてください。
まずは、この福島浜通りの変化の渦中で、自分自身も“変化をつくれる人”になりたいです。
変化の中にいるからこそ、自分もただ関わるだけじゃなくて、新しい変化を生み出せる側になりたいと思っています。
将来的には長崎にも関わっていきたいです。
まだ具体的な形は見えてないんですけど、福島で学んだことや経験を、いつか地元にも還元していきたいです。