1
/
5

What we do

ココルームせカフェのふりして事務所を開いています
ココルームが主催する「釜ヶ崎芸術大学」の詩の授業の様子
「表現」をとおした自立・自律を育むための活動、社会や地域の問題解決のきっかけとなる活動をココルームは日々試行している。ホームレス、障がい者、派遣切りの若者、ニート、生活保護受給者など、多様な人たちと関わりながら、「新しい公共」のありかたをさぐっている。 ★ココルーム3つの柱 <こえ> 勇気・責任を持った表現と実践をめざす「こえ」 <ことば> 有効な伝達と探求をめざす「ことば」 <こころ> 未来に向けた自立と自律をめざす「こころ」 ★インフォショップカフェ ココルーム 人々が集まり、語りあう、おうちみたいなカフェ。 アート、カフェ、本、お酒、情報掲示板ノート、インターネット無料。 大阪・西成にある商店街「動物園前一番街」のなかにあるココルームは、アートNPOが運営するインフォショップ・カフェ。アートと社会の接続点、人々のつながりをつくる場所をめざしています。 ちいさな店ですが、さまざまな人が集います。アーティスト、アクティビスト、高齢者、働く人、こども、旅人、、、世代も職業もばらばら。みんなで語りあえることを大切にしています。 ココルームは情報交換の場所であり、発信の拠点でもあり、今日もオープンしています。

Why we do

2014ヨコハマトリエンナーレに招聘出展しました
ココルーム主催の「釜ヶ崎芸術大学」の天文の授業の様子
★ココルームとは何ですか? 上田(代表理事)「一般的なアートではなく、アートとは‘生きる力’だと思っている。 生きること、働くことは表現であると考えている。 なぜなら、人は1人では生きていけないから。 例えば、病気で目を微かにしか動かせない人がいても、目を動かして何かを思いを伝えたり表現していて、それを見た私達は生きるということを深く考えることができるし、励まされる。 困難な状況にある人がいてその人を支援する、または支援されるというだけの関係はおもしろくないことだと思っている。 上下の立場や固定化した関係になりがち。 表現はこれを反転できるんですね。また抑圧されていた人達が勇気を振り絞って表現する時に、わたしは心を動かされる。 専門のアーティストが表現する機会をたくさん作るだけではなく、困難な状況にある人、抑圧された人、悩んでいる人達が表現をできる場を作っていきたい。 自律的な生き方を考えていくきっかけになるのではないかと考えている。 「生きることは素晴しい」と彼らから勇気をもらっている。 こういったアート活動を最近ではソーシャルインクルージョン(社会包摂)と言うこともあります。 社会に介入するアートを私たちは実践しているのです。 しかしこれはまだ価値が定まっていないアート。でも私はアートって新しい社会に向けて漕ぎだす舟のようなものだと思っています。」

How we do

労働者のまち「釜ヶ崎」で、 人と人とが出会い、表現する (『まち・むら』128号 p.17〜より)  「毎日が演劇です」 沖田都さんは北九州市に生まれ育ち、地元の劇団で芝居漬けの日々を送っていた。しかし劇団の運営や俳優としてのあり方に悩み、精神的に行き詰まってしまった。沖田さんの感性を知る劇作家が見かねて、ココルームで働くことを勧めてくれた。 「迷いましたが、自分を変えたいという願望も強かったので一か八かで生まれて初めて北九州を出ました」。ココルームでは昼食や夕食をみんなで食べる。畳を敷いた店の一角で、お客さんも交えてちゃぶ台を囲む。「最初はガチガチになって食べていました」と笑う。けれど上田さんをはじめ女性スタッフの温かな気遣いや柔らかな言葉のやりとりのなかで少しずつ肩の力が抜けていくのを感じた。「ここには”おかあさん”がいっぱいいました。子どももおじさんもやって来て、気負いなくいろんな話をしていっしょにごはんを食べる。想像しては素敵だなあと思っていたものが目の前にありました」心がほぐれていくと体が整い、少し体重が増えた。「健康的でいいなあと思う。そう思える自分がうれしいです」と話す沖田さんは演劇への思いも取り戻した。「ココルームで働くことは俳優として生きることと同じだと思うんです。釜ヶ崎というまち全体が高度経済成長のためにつくられた人工的な場所。世界から旅行者が来る一方で高齢化が進む。そのなかにあるココルームは濃い演劇体験ができる劇場なんです。自分の部屋は楽屋で、毎朝扉を開けた瞬間に芝居が始まる。毎日が演劇です」 啓発や代弁はしない 遠藤智昭さんの本業はカメラマンである。社会問題を切り取るようなドキュメンタリー写真を撮ってきた。客として出入りするうちにココルームの活動に興味をもち、手伝いを申し出たのをきっかけにどんどんはまっていった。 「とにかく毎日何かが起こる。たまに”今日は何もなかったなあ”と思っていると、夜遅くに知らないおじさんがフラフラ入ってきて好き放題言った挙げ句に”火をつけてやろうかと思ってたけど応援するわ”なんて言い出したり(笑)」 カメラマンになる前は研究者だったという理論派の遠藤さんにとって、スタッフが会議もせずに大きなプロジェクトを次々進めていくのは驚きだった。「サッカーにたとえると、それぞれポジションはあるが常に臨機応変に動く。守備の人がシュートしてもいいし、攻撃する人がほかの人のサポートに回ることもある。それを言葉で確認せずに配慮と勘でやっているのが見えてきた時、驚くと同時に”面白い!”と心底感心しました」 自分の撮影プロジェクトへの協力を打診した時、上田さんから返ってきた言葉も心に残っている。「”ここは啓発や代弁をする場所ではありません。私たちは支援団体でも運動団体でもないんです。遠藤さんの仕事に共感はするけど一緒にはできません”とはっきり言われましたね」実は遠藤さんの自宅は神奈川県にある。目的の撮影は終わったが、ココルームが面白くて帰れずにいる。 指示も禁止もない職場 山口諒子さんはカフェの厨房を担当する。3人の子を育てるお母さんでもある。当初は「みんなが何をやっているのかよくわからなかった」と笑う。厨房に入るようになって、スタッフ一人ひとりの動きが見えてきた。取材を受け、視察の対応をし、持ち込まれてくるあらゆる相談をきく。事業の記録や報告書の作成に助成金の申請などパソコンでの仕事も際限がない。「こんなにいろいろな仕事があるんだなあと理解できた時、私もスタッフの一員になれたんだと実感しました」以前は障害者施設で働いていたが、規則に縛られるしんどさから退職した。ココルームでは指示も禁止事項もないことに逆にとまどった。今は足りないことや自分にできることを察知して動ける。スタッフ全体がそうやって自然体で補い合う空気が心地よいと感じている。「もうひとつわかったのは、ココルームが実はすごく有名なこと(笑)。ココルームがテレビに映ってるのを見た時はビックリしました。でも私にとってここは日常であり働く場。これからも淡々と自分の仕事をしていきたいです」   多くの人がココルームのスタッフとして働くなかで次の道を見つけ、巣立っていった。上田さんは「見送るのが私の役目」と笑う。「ぎくしゃくして離れていった人もいるけど、数年後に再びつながることも多いんですよ」 スタッフのありようは「アートと社会の接続点、人々のつながりをつくる場所」という理念を掲げるココルームそのものを体現しているようだ。今も”釜のおっちゃん”たちとアートを通じて学び合う「釜ヶ崎芸術大学」をはじめ、いくつものプロジェクトが進む。ゆるやかに、しかしぶれずに。ココルームの道のりは続く。 (ライター 社納葉子)