こんにちは、RETAIL INNOVATION代表の永田です。
さて、めちゃイケが来春ついに終わりを迎えることが決まった。
僕の青春時代に色を添えてくれた番組なだけに寂しさはひとしおだ。
油谷さん、SMAPライブ潜入、ヨモギダ少年愚連隊など、楽しい思い出が走馬灯のように蘇ってくるが、その中で、企画こそ思い出せないものの妙に忘れられない言葉がある。「シャカリキ」という言葉だ。
子供心にどこか新鮮で、かっこいいな、いつか使ってみたいな、と思ったのだろう。皆さんにも何故か記憶に残っているフレーズなりが一つや二つあるだろうが、僕にとってはこれがそうだ。
この言葉がどこで使われていたか気になって調べたところ、恐らくオファーシリーズの「シャカリキに頑張るゾ!動物王国スペシャル」でないかと思われる。(3時間余りの動画を確認する気は起きないが、タイトルにあるのだからきっとそうだ。)
オファーシリーズとは、簡単に言えば岡村隆史が未経験の分野にシャカリキに(全力で)チャレンジする、コント調のドキュメンタリーだ。
最初は下手くそだった岡村隆史が、彼のキャラクターで笑いを生みながらも徐々に課題を乗り越えていき、最後は目的を完遂して視聴者の感動を誘う。もちろん僕が大好きなシリーズの一つだ。
なるほど、僕はいつの間にか、岡村隆史のシャカリキな姿勢に感化されていたのかもしれない。思い起こせばセレベビーを立ち上げた4年前、僕は本当に、無謀なの?ってぐらい、何も持ち合わせていない人間だった。
子供写真のマーケットがいかに旧態依然としていて使い勝手が悪いかを知り、超フライングスタートで事業を始めてしまった。今でこそ仲間ができ、静かなオフィスで仕事ができるようになったが、それまで3年もの間、たった一人、ノマドワークでシャカリキに走り続けてきた。
なぜ?新卒で大手保険会社に入社した僕が起業した理由
元々僕は損保会社で資産運用をする仕事をしていた。簡単に言ってしまえばREIT債、CMBS、プロジェクトファイナンス向けの融資など、金融機関が組成した商品を買う役目だ。外出することは基本的になく、机の上で稟議やモニタリング資料を作成する日々だった。
最初のうちはファイナンスの知識を吸収することが面白かったが、すぐに飽きた。だって、頑張って人の金増やしても自分のリターンなんてないし、何より、金を出して終わりという仕事に熱を感じなかったから。その金を使って何が実行されて、現場でどんな感情が沸き起こったかなんて上辺ほどもわからない。
そうして悶々としている頃、東日本大震災が発生した。
保険会社の本業は当然ながら保険金の支払いだ。すぐに現場へ駆けつけて速やかに保険金をお支払いしなければならない。大規模災害のため本社にも増援要請が届き、衝動的に立候補した僕は、震災から1週間後に仙台へ向かうことになった。
現地の環境はとにかく過酷だった。水やガスが止まっているうえに、食料品も不足している状況だ。3月の仙台の気温は10度前後で夜の冷え込みは厳しいが、ただ耐えるしかない。
宿はというと、会社が温泉宿を手配してくれていた。
なるほど社長賢い!これなら水とガスがなくても湯船で暖を取れるじゃないか!
そんな考えを抱いた自分はバカだった。
そこの宿には全国津々浦々から様々な会社の社員が派遣されてきており、おそらく数百名が宿泊していた。その数百名が体を洗いたい、しかし蛇口からお湯は出ない。すると何が起きるか。
湯船に湧いて出たお湯が、桶で汲み尽くされるのだ。
僕が行った時には後の祭り。湯船の底に5センチほどのお湯が残っているだけだった。仕方なく寒さに震えながら水で体を洗ったのも、今ではいい思い出だ。
余談が過ぎた。
現地、特に沿岸部では家があればまだマシ、契約者は避難していてどこにいるか全くわからない状況だったので、電話連絡や1件1件訪問をして、お会いできればすぐに査定を完了させお支払い手続きをする、という地道な活動を続けた。
ようやくお会いして、保険金をお支払いできます、とお伝えする。たったそれしかできない事がもどかしかったが、未曾有の出来事で計り知れない不安に苛まれる契約者にとって、それだけでも大分不安が解消されるようだった。
泣きそうな顔で「ありがとう」と言われ、僕も泣きそうになる。
あぁ、こういう仕事っていいな。みんなにありがとうと言われる人間になりたいな。
あの時そう感じたことが、僕を起業に突き動かしたのだと思う。
翌年僕は会社を辞め、起業の準備をするためにビジネススクールに通うことにした。
子供写真業界に挑んだワケ
ありがとうと言われるには、困っている人を探せばいい。
ちょうど僕の周りには子供が生まれる人も多く、生の声を集めやすかったことと、ママは漏らさず子育て初心者であり、悩みは尽きないだろう、ということからママの生活にフォーカスして色々な市場を調査した。その一つが子供写真市場だ。
読者の中には経験された方もいるかもしれないが、この業界、驚くほど時代遅れなのだ。
最大手は市場の過半を占めるほど強大なのだが、その会社でさえ、ネガ(データ)は撮影から1年後まで渡さず、プリントをお願いするのに一枚数千円、写真数点を使ったアルバムが1冊2-3万円という高価格だ。
それに出来上がりの写真もどこか昭和を感じさせ、全然お洒落じゃない。(これは個人の見解です。)
このご時世、ユーザーが欲しいのは間違いなくデータなはずだ。そのまま保管したりシェアするのにも便利だし、アルバムを作るにしても外部にもっと安くて良いサービスがいっぱいあるのだから。
また、スマホで日々膨大な数の撮影データを生み出している現代人にとって、写真を撮りにいって、たった数枚の紙の写真に何万円も支払うというのはあまりに割高な気がした。
そこで、自分だったらどんなサービスなら使いたくなるか、という視点でサービスを構想することにした。
子供の成長速度って驚くほど速いので、ライトユースで気軽に撮りに行けるサービスがいい。
現場で高いアルバムとかおススメされてもウザいし、時間取られるのも億劫だから、スタジオではシャッターを切るだけでにしよう。それ以外は全てオンラインで完結させよう。
いっぱい撮ったデータも全てが欲しいとは限らないから、ウェブ上で欲しい写真を選択して購入できるようにしよう。
レンタルスタジオの空き時間を上手く活用できれば場所代も変動費化できるかも。
カメラマン?探せばいるっしょ!
ウェブサイト?お金ないし俺が勉強すればいいっしょ!
構想が出来上がるとすぐ、ビジネススクールで調達したなけなしの奨学金200万円を資本金にして、僕の子供写真業界に対する挑戦が始まった。
シャカリキすぎた3年間
先述した事業構想を形にすべく、僕は1ヶ月あまりで撮影サービス「セレベビースタジオ」を立ち上げた。しかし、今になって改めて思う。
「お前の自信はどっから湧いてきたの?」
当時の僕はカメラの素人、カメラマンの知り合いもいない。プログラミングなんてかじったこともない。事業を思い立った初日にHello world!!をブラウザに表示して手を叩いたほど、ない。誰が見ても準備不足だ。
それでも昼夜勉強して、サービスを創っていくプロセスは楽しかった。
xamppの読み方を知り、wordpressというすごいものに触り、色々なプラグインを動かしたりコードをいじってみたり、試行錯誤を続けること約1ヶ月、初めてのウェブサイトを公開するに至った。今思えば顔から火が出るほど恥ずかしい出来だが。
当時、実は共同創業者がおり、彼にはその間カメラマンとレンタルスタジオの手配をお願いしていた。彼もまた見事に仕事をしてくれた。外苑前のレンタルスタジオを、非稼働時間だけ格安で使わせてもらう約束を取り付け、さらには中国人で片言の男性学生カメラマン一人を連れてきてくれたのだ。
こうして着想から1ヶ月あまりで、超ブサイクな撮影サービス「セレベビースタジオ」がオープンした。
正直最初は不安しかなかった。しかし驚くことに、サービスリリースしたその月からポツポツと撮影の申し込みが入ったのだ。本当に信じられなかったが、自分のビジネスモデルにかすかな手応えを感じた瞬間で素直に嬉しかった。
ただ喜んでばかりもいられない。なんせ被写体は赤ちゃん、撮るのは片言の中国人だ。
うまくいくはずがない。
子供をあやす役割がどうしても必要になった。であればもう、自分たちでやるしかない。そこで僕は入念にシミュレーションを行い、あやし役としてカメラマンと共に当日お客様を迎えた。お客様も驚いただろう、小さな雑居ビルのエレベーターが開いて、登場したのが怪しげな男二人なのだから。
実際に現場に立ってみて最初の学びは、赤ちゃんは僕を見ても笑わないということだった。笑うでもなく怖がるでもなく、ただきょとんとした顔で僕を見つめるのだ。これは困った。
最終的に僕は撮影の邪魔だと知り、撮影が終わるまで洗面所(スタジオはワンルームマンションを改装したものだった)に閉じこもった。
しかし、唯一の救いはカメラマンが綺麗な写真を撮ってくれたことだ。僕がいなくなってから赤ちゃんも笑顔を見せてくれたらしく、お客様にも満足していただけたようだった。
その後も、特にプロモーションをするわけでもないのに、月10~30件ほどの予約が安定して入ってきた。途中、サービスを開始して間もなく、共同創業者だった男が退社するというハプニングもあったが、手応えを感じていた僕は一人で会社を続けることにした。
それから約4ヶ月ほどだったか、中国人カメラマンと、あぁでもない、こうでもない、と言いながら手探りでサービスをブラッシュアップしていた頃、二つの転機が訪れた。
一つ目は、これまでずっと間借りしていたレンタルスタジオのオーナーが、海外で事業を興すためレンタルスタジオ事業を辞めるというものだった。そして、もしやる気があるのなら、レンタルスタジオ事業をタダで譲渡してくれるという。
これは僕にとって渡りに船だった。スタジオの空き時間を間借りするのでは稼働が安定せずジリ貧だと感じていた一方で、自分でスタジオを構えるほどのお金は無かったからだ。そこで僕は二つ返事で、レンタルスタジオ事業を引き受けることにした。
二つ目の転機はややネガティブだ。これまで一緒にやってきてくれたカメラマンが辞めたいと言い出したのだ。これにはさすがに困ったが、一方で、サービスの核であるカメラマンをこの機会に探し直すのも重要だと思いこれを了承した。
そのカメラマンには1ヶ月の猶予期間をもらい、その間に僕は新しいカメラマンを急いで探すことになった。
新たなカメラマンの条件はこうだ。
■ 女性
■ 赤ちゃん・子供の撮影実績があること
■ 片言でないこと
ウェブページを探索してカメラマンのリストを作り、片っ端から面会の依頼を送った。もちろん大半は無視されたり断られたりという具合だが、そんな中で三名ほどのカメラマンとお会いし、無事協力を取り付けることができた。ちなみにそのうち一人は未だに仕事でもプライベートでも付き合いがあり、僕が最も自信を持っておススメできるカメラマンだ。
こうしてセレベビースタジオは2014年9月から、自前のスタジオを持ち、優秀な女性カメラマンたちと共に再スタートした。
もちろんそこからも、僕は全ての撮影現場に立ち会った。といっても、撮影中は邪魔になるので、洗面所から撮影の様子をひっそり伺うことしかできないのだが。
現場に立ち会って分かったことは、中国人のカメラマンと比べてお客様の満足度が明らかに高いということだった。それは何故かといえば、3名の女性カメラマンが、子供との距離を縮めるのが素晴らしく上手かったからだと思う。
カメラマンの質は何か、というのはいい問いだ。
構図の決め方、シャッタースピードや絞りの状況判断、ライティング、レンズの性能、など様々な要素を自慢するカメラマンがいるが、こと子供の撮影に関しては、正直そんなことどうだっていいと個人的には思っている。少し語弊があるかもしれないのでより正確に言うと、一定のスキルと性能があれば問題ないと思う。
じゃあ何が大切なのかと聞かれたら、与えられた時間の中で子供との距離をゼロにできる能力だと答える。
親御さんは撮影の時、子供が緊張しないか、ちゃんと笑顔の写真が撮れるか、など想像以上にプレッシャーを感じて来られることが多い。
そんな親の不安をよそに、子供がカメラマンと楽しそうに遊び、帰る頃には「まだ帰りたくない」と子供が駄々をこねてくれたら成功だ。もちろん写真にも子供とカメラマンの距離感が表れるので、距離感を縮められた写真は間違いなくいい写真になる。そうした経験が親御さんに感動を与えるのであり、それができるのが良いカメラマンなのではないかと思う。
そして、幸運にも、新しく協力してくれた女性カメラマンたちは皆さん良いカメラマンだった。そのおかげで、ノンプロモーションにも関わらず、利用者は口コミでゆっくりではあるが順調に増えていった。
こうしてユーザーのニーズに対する理解が深まっていく中で、次に目論んだのはマッチングサービスへの転換であった。今行っている写真撮影サービスを、もっと多くの人に届けたい、というのが目的だ。
この当時は、5千円台、1万円台の2つのスタジオ撮影プランに、屋外で撮影する出張撮影プランを加えた3サービスを提供していた。撮影データはいずれも既定の枚数を、外部のファイル転送サービスを使って一括納品する形式だった。
新たなマッチングサービスではこれらのプランを維持しつつ、データの納品プロセスは自社サーバーで完結できることを目指した。また、自社のスタジオは登録カメラマンが共有して使える、という業界初のシェアスタジオという仕組みも導入することにした。
アプリケーションなんて作ったこともなかったが勢いだけで開発に着手し、カフェでカタカタ、撮影中は洗面所でカタカタ、試行錯誤を重ねること半年、なんとか取り合えず動くものが出来上がった。
同時に、新たに登録していただきたいカメラマンにもアタックし、無事数名のカメラマンを確保。2015年7月、ようやく今のセレベビーがスタートしたのだった。
実際のところ、セレベビーの船出は順調だった。それまでじっくりたっぷり現場でニーズ検証をしていたので、マッチングサービスへはスムーズに移行することができたのだと思う。
ただ、ユーザーが増えれば今度は新たな問題がやってくる。ユーザーの問い合わせ対応、システムのバグ潰しなどでアップアップになってしまったのだ。
こうなるといよいよ人を雇いたくなるが、金がない。ユーザーが増えたといっても、自分のカップラーメン代を出すのが精いっぱいだった。
こうして人手不足、資金不足の二重苦を味わいながら、鶏と卵はどちらから先に誕生したのかと頭を抱え、奔走すること半年。これまた幸運にも、元いた会社の同期で、現取締役の谷野と出会った。
嬉しいことに、彼はセレベビーの事業内容に関心を持ってくれ、当面の間タダ働きでいいから手伝うと言ってくれた。
奇特な人である。
しかし彼も生き物だ。いつまでもタダ働きでは飯を食えず死んでしまう。
そこでいよいよ資金調達に向けて動き出す。それが2016年1月のこと。
ここからの話は割愛するが、資料作りという謎の課題に翻弄され、今の投資家と会えたのは翌年2月。多くの投資家にお会いしたが、彼の人柄の良さと、事業に対する理解や展望が一番マッチしたことから、1ヶ月後には投資を受けることを決めた。
そして今
ようやく壮大な自分語りが終わる。
振り返ってみると本当に長かったが、多くの人の縁に助けられて、何とかここまで来ることができた。良いメンバーに恵まれ、おしゃれなオフィスを使わせていただいている今が非常に感慨深い。
ICE COLD SOLD HERE.
インターン丸ちゃん。風邪ですか?
ただ、僕としてはようやく始まったな、という気持ちだ。
これからようやく、組織としてセレベビーが成長していくと考えると楽しみでたまらない。始めましょう、シャカリキに頑張るゾ セレベビー・グローススペシャル!!
そんなセレベビーではエンジニア、マーケターを絶賛募集中だ。子供写真業界を塗り替えたい!面白そう!とちょっとでも思ってくれた方は、気軽に話を聞きに来てほしい。
Wantedlyに募集は出していないが、Facebookのメッセージがある。気軽にご連絡ください。(こんなこと書いていいのかな?)
ありがとうございました。