ちょうど5年前に山口絵里子さんの「裸でも生きる」を読んで、当時は遠い世界の話だなと思っていたけど、それから3ヶ月もしない内に起業して、期せずして社会起業家みたいなラベルが貼られている僕がいます。ちなみ、周りが勝手にラベルを貼ってるだけで僕は自分のことを社会起業家だと思ってません。ただの中小企業の社長です。
がむしゃらに自分の想いを実現していくってかっけぇ!自分もこうなりたい!と当時の僕は思いました。でも、今は正直そう思いません。自己犠牲はダサい。とてつもなくダサい。ただの自己満足である。
5年弱今の仕事をやってきましたが、一つ言えるのは、どんなに社会にとって良いことをしてても、「金が稼げないのは罪」ということ。
1人でやるなら良いと思う。自分で全て責任持てるので。
でも、誰かを雇ったりするなら、そこには家庭があったり、メンバーのそれぞれの人生があるわけで、彼らの人生を犠牲にしてまで世の中に良いことをしようぜっていうのは激しい自己矛盾だと思ってます。
もっと言えば、自分の事を幸せにできない人は他人を幸せにできない。近くにいる人も幸せにできない人に、見も知らない他人を幸せにはできないと僕は思います。本人が疲弊していると周りも辛いので、経営者は自分のことを幸せにする努力をすべきで、そうでないと会社ってうまくいかないんじゃないかと僕は思ってます。多くの人は勝ち馬に乗りたいわけで、当たり前だがわざわざ疲弊している人の側にいたくない。
自分を幸せにするという意味は、過去の自分にはよく意味がわからなかった。なぜなら、やりたい仕事をできていることが幸せだったから。ただ、やりたいことをできているという事が当たり前になってくると、どんどん不幸せになってくる。色んな欲が出てくる。
社会起業家界隈は、人間として磨耗していく人たちも多く、外からの見た目の華やかさと実態が乖離しているケースが多いです。
それでも、やり続けるんだと覚悟を持つならやるしかないし、そうでないなら、誰かから強制されているわけではないし、外野は「お疲れ様でしたー!次のチャレンジに期待!」とか大して気にしていないのでとっとと辞めちまえと思う。
社会起業家業界は、正直ビジョンと能力の乖離が大きすぎる。通常のビジネスよりもファクターが多いし、相当の力がないと前に突き進み続けることって難しくて、想いだけではどうにもならないことばかりだと思ってます。
想いをお金に変える力が絶対的に僕は必要だと思う。
先輩社会起業家たちが全くお金にならない領域を寄付や行政からの委託でなんとかお金にして、事業にできるようにはなってきていて、それは本当にすごいことだし、後陣は先輩たちの失敗や成功ケースから学べるのでそれは先人の方たちの努力の結晶でしかない。NPO?なにそれ?ボランティアとほとんどの人が思う中で、道なき道を開拓していくのはそう容易いことではないと思います。
一方、社会起業家界隈に行き詰まりが見えてきているのも事実です。寄付している企業が、数年経つと寄付に飽きだしたり、売上は上がっていてもほとんど人件費で飛んで行っていたり、組織内でのライフパスが描けなくて辞めて行く人が多かったり。
僕は、お金を稼ぐことに徹底的にこだわって行きたい。会社としては、生み出した利益で新たな実験や仕掛けをどんどんしてきたいと思うし、個人としても美味しいご飯は食べたいし、友人と談笑したり、芸術に触れたり、たまにはバケーションに行ったり、自分の感性を研ぎ澄ませられる環境を確保した上で経営をしたい。その方が会社にとっても良いと思ってます。
ちなみに、NPOではなくStartupの場合、死ぬ気で働いて給料がなくても、その後の伸びによってUpsideが狙えるので一応均衡は保てていると思う。
やりたいことをやるためには、しっかりとした財政基盤が必要。「やりがい」みたいな言葉が横行している中で、「やりがい」だけじゃ飯は食えないよって自分にも言い聞かせながら引き続き頑張ります。
社会性と事業性が交差する筋道を見出して、圧倒的な利益を出しながら、やれることを増やしていくために、日々精進します。
僕自身がお金で本当に苦しんだので、自戒です。
以上、5年前の自分へ。