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哲学者からAIエンジニアへの転身 ―“実存的な問い”と“社会的な意義”への追求【LABO/社員インタビュー#7】

アミフィアブルは「世界中の人々にITで“夢”を提供する」という想いから2015年に設立されました。そんな私たちをもっと広く知ってもらいたい。そしてより多くの仲間と出会いたい。そんな思いを持って綴らせていただきます。

私たちは、Consulting/Solution/LABO/Sales/BackOfficeの部門に分かれています。今回はLABO部門所属でAI関連のタスクを担当している野村さんにお話を伺いました。

――プロフィール
野村:2022年4月にJOIN
LABO/Expert Engineer
イギリスのヨーク大学卒業後、東北大学大学院で哲学を専攻、北陸先端科学技術大学院では情報科学を学ぶ。その後いくつかの研究室にて博士研究員として従事し、2022年4月にアミフィアブル株式会社へJOIN。研究室で培った知見を活かしAIエンジニア兼AIコンサルタントとして活躍中。

転換点はロシア文学との出会い

――野村さんのご経歴はとても興味深いですが、例えば十代の時の進路選択の際に何か影響を受けた出来事などがあれば教えていただけますか?

野村:二つありますが、いずれも中学生の頃でした。まず一つは、トルストイやドストエフスキーといったロシア文学と出会ったことです。文学は哲学への入り口と言われることもありますが、私もその例に漏れず哲学に興味を持つようになりました。人間ってなんだろう?自分の胸の内にある理性ってなんだろう?と、今思えばちょっとした中二病のようなものかもしれませんが(笑)、少し高尚な言い方をすれば“実存的な問い”に向き合おうとしたのかもしれません。それ以来、哲学はライフワークになり、今も学び続けている学問の一つとなりました。

もう一つは、中学生の時にある疑問、というより反感、を抱いたことです。義務教育は中学で終わるのに、なぜほとんどの人が高校に行くのだろう、と。他にも選択肢はあるのに高校進学が唯一の選択肢のような雰囲気が私にとっては違和感でしたし、むしろその雰囲気に抗いたいという気持ちがありました。今思えば人よりも少し傾向の強い反抗期だったのでしょう。高校進学をせず自分で道を探すという判断に対して周囲は反対しましたが、父親だけが理解してくれて、背中を押してくれました。その1年後に父は他界しましたが、今でも父を敬愛し感謝しています。中学卒業後は、ものづくりが好きで手先も器用だったため、宮大工や伝統工芸への弟子入りも考えました。ただ、私は学問を放棄したかったわけではなく、むしろ学び続けたかったため大学進学への意思を強く持っておりそのため大検を受けることにしました。

大検取得後はオーストラリアに語学留学をしたのをきっかけに、イギリスやニュージーランド、アジア諸国などへ一人旅をしていました。なかでも思い出深いのは、マウントウルル(英名エアーズロック)周辺をひとりで自転車で周遊したことです。大陸を縦断する長距離電車に揺られながら着いたウルル周辺の宿泊地から往復100㎞近い道のりを自転車で走る。異国の未知なる砂漠をひたすらに進んでいく感覚は不安で心細く先が見えませんでした。しかし、だからこそ、その先になにがあるのだろう、どんな未来が待っているのだろうという好奇心や期待感がまさるそんな体験でした。その体験以降、行き当たりばったりの一人旅を好むようになりました。

――大検を取得し海外の大学に進学されていますが、どのような経緯だったのでしょうか?

野村:先述した通り、海外に滞在し興味を持っていたこと、哲学を大学で学びたいという気持ちが合わさったのが大学留学でした。加えて、困難や不安に対してあえて、それに挑戦するような性格だったので、苦手だった英語を猛勉強しイギリスのヨーク大学に進学しました。しかし学部では、ほんの入門レベルしか触れることができず親に大枚をはたいてもらってせっかく留学したのに大した知識も修めることができなかった悔しさが残り、それがバネになりもっと深く勉強したいという思いが強くなって大学卒業後アルバイトをしながら独学で哲学を勉強するほどでした。その後、日本の大学院でしっかりと学びたいと思い、院試のためにドイツ語を一から勉強して2011年の大震災の年に東北大学大学院に入学しました。

学部で受けた授業で特に論理学が肌に合っていたため分析哲学と呼ばれる分野で研究を行いました。分析哲学は、論理学の明晰な形式言語上で言語や概念の分析を行う分野です。修士課程ではクワインという哲学者の存在論を研究しました。詳細は省きますがこれは「存在」という雲をつかむようなトピックを論理式を通じて明らかにしていこうという試みです。また、クワインはプラグマティズムと呼ばれる知識を道具とみなし知識の実用性を重視する一派に数えられますが、彼の研究を通じて私もこの立場に強く影響を受けています。また、個人的に興味を持っている分野として「歴史の分析哲学」というものもあり、これは科学哲学の手法を歴史に当てはめて、検証可能性や整合性を考察する分野です。ちなみに私は東北大の先生の影響もあり「歴史とは物語りである」という考えを持っています。物語りとは過去のイベントを繋ぐ言語行為であり、このインタビューもまたひとつの「自己物語り」であると言えます。

話を戻しますと、分析哲学は論理学を使います。そのため論理学とくに“様相論理”と呼ばれる分野を専門的に理解して使いこなせないと突っ込んだ研究ができません。そして、様相論理は認識、時間、または、言語の意味を論理式に置き換えることでセキュリティ検証、定理自動証明や人工知能といった分野とも関連していて哲学と情報科学と数学が融合したような領域であり、情報科学における論理の研究が盛んであった北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)の情報科学研究科に進学しました。そして、情報科学に転身したことでプログラミングを始め機械学習や自然言語処理といった分野も会得することができ、それらの経験がまさに今の私の仕事において重要なスキルとなっています。

研究から実地へ。社会的な意義の実証。

――なぜ5年ほど続けた研究職から一転、一般企業に就職しようと思ったのでしょうか?

野村:中学生の頃と同じく“実存的な問い”に再び直面したからです。博士号を取得しポスドクをしていたのですが、「自分はなぜこの研究をしているのか?」という疑問が湧いてきました。論文を書いていても「これは机上の空論ではないのか?」と疑念が頭をよぎりました。研究内容を自然言語処理による法律文章解析や法律推論といった実践的分野に寄せてもなお、自らの研究の実用性や有意義性について自分自身を納得させることができませんでした。それは研究や論文の先にある世界や人々の姿が具体的に想像できなかったからです。論文数や獲得資金などの業績を追求することよりも、それらの問いに向きあうことのほうが私にとってずっと大切なことでした。受験勉強よりもロシア文学に耽溺した中学生当時を思い出しました。これは私にとって嬉しいことであり、人生と向き合っていると感じた瞬間でもありました。

そのような自問自答のなか、若い頃に読んだゲーテの『ファウスト』という戯曲を思い起こしました。

≪高齢のファウスト博士は、自分が何も知らなかったことに絶望しているところに、悪魔メフィストフェレスが現れる。悪魔の囁きによって欲望を求め、若返りや時を超えた試みをするが、どれも満たされず幸せになれない。ある時、彼は人々のために干拓事業を始め、世の中や人々のために役立つことに感動を覚えて「時よ止まれ、お前は美しい」と満足の内に発言した後、彼は息を引き取った。≫

私も同様に、研究室では社会的意義や世の為人の為に役立っているという感覚を得られませんでした。ファウストと私自身が重なったのです。そして自分の知識や経験を社会的な意義のあることに直接役立てたいと強く思い、社会に出ようと決めました。

「ワクワク」が私の羅針盤

――アミフィアブルを選んだ理由を教えてください。

野村:就活の軸は、先述した「社会的意義のあることに携わりたい」ということに加えて「いままで研究してきたことが本当に役に立っているということをこの目でみたい、もしくは自分自身で実証したい」という思いがあり、そのような目標を実現できる場所で働きたいと思っていました。自然言語処理は世間を賑わせていましたが、もう一つの研究分野であった様相論理の実用性が不明瞭であったためこれを活かしている(といわれている)ソフトウェア検証の分野に飛び込んでみようと考えました。

昨今のDI/DXのブームにより業務の自動化をターゲットにしている事業は多く、その中で基幹システムのテスト自動化を行っているアミフィアブルの求人を見つけました。ここではAIを活用した自社サービスである「MLET.Ⅱ」というアプリケーションを開発しているとのことで、興味を持ち自ら応募をしました。
(※MLET.Ⅱとは、テスト工数削減・品質向上を目指したAIアプリケーションです)

何が決め手になったかというと、“ワクワクしたから”です。面接で「AI開発をやって欲しい」という話を聞いたとき、テスト業務でどのようにAIを活用するのか、かなりチャレンジングなテーマでしたし興味を引きました。また現在の上司にあたる方も学術分野で研究されている論理的な検証手法に興味関心をもってくれていて努力次第ではこれを活用できると感じました。私はどんなことに対しても「やってみなければわからないし、未知に挑戦する感覚が楽しい」と思うタイプの人間なので、“ワクワクする”という感覚は、決断する上で十分な要素でした。

実践で役立った実感が、喜びの源泉。

――入社して1年を過ぎたところですが、大変だったことや嬉しかったことがあれば教えてください。

野村:最初が大変だとよくいいますがその通りで、入社早々にMLET.Ⅱの導入やクライアントワークを担当することになったのですが、やはり苦難がありました。しかし、これまでの知識を活かす方法を模索し、研究で使っていた関数型言語Haskellでシステム設計書をコード化して形式的に内容をチェックする方法を試してみることにしました。結果、スムーズにタスクを進めることができただけでなく、私自身の設計書への理解も深まりました。この経験は非常に価値のあるものでした。

嬉しかった出来事はたくさんありますが、喜びを感じた根本は同じだと思っています。それは、これまでの研究室での経験が実際に役立っていることを実感できたことです。具体的なエピソードとして、まず一つ目はMLET.Ⅱの開発において私が発案した機能が採用され、実装が反映されたこと。もう一つはクライアントワークでのAIコンサルティング業務において、私が発案したプロジェクトが軌道に乗りクライアントからお褒めの言葉をいただいたことです。

これらの出来事自体がもちろんありがたく嬉しいものですが、特に自分の知識・経験が活きているという実感を得られたことは非常に喜ばしく思っています。また、研究室での学生指導や学会での研究発表などの経験が、クライアントに対してわかりやすく道筋を伝えるという点で役立っていると感じており、これもまた嬉しく思います。

――一般企業で働くことで、野村さんの中に何か変化は生まれましたか?

野村:哲学がより面白くなりました。特にカントやハイデガーといった伝統的なThe哲学が、です。過去の私は、これらの哲学に対して神棚に飾るような感覚で読んでいました。しかし、学問の教養を深めて自分も経験を積むことで著名な哲学者も実はかなり人間臭いことが分かってきて、崇める対象ではなく研究室の先生や先輩のような距離感になりました。それにより哲学は神棚に飾るのではなくコーヒーカップのように日常的に気軽に扱える道具になりました。そして、この哲学という道具を実生活の中で実践的に応用してみると、物事や世界の新しい見方ができて、それに続いて新たな問いが次々に湧き上がってきます。例えば、ChatGPTをウィトゲンシュタイン哲学で考えたらどうだろう、いやもっと抽象的にカントやヘーゲル哲学ではどうだろうといったふうに考えるのです。そうすると哲学を使う対象も使う哲学も両方の理解が深まりますね。業務においても、“ソフトウェアを検証する”とはどのようなことだろうか、という問い掛けを科学哲学の文脈で考えてみたりすると業務理解も深まります。このように哲学を日常で実践的に使っていくとこの学問は決して役に立たない学問などではなく人生に疑問や発見という彩りを与えてくれる素敵な学問であることを実感できます。

理系の研究室のまんま。

――所属されているLABO部門はどんな雰囲気ですか?また、野村さんの今後の目標があれば教えてください。

野村:LABO部門の雰囲気は、まさに理系の研究室そのものだなと感じています。大まかな枠組みは存在するのですが、自分でテーマを見つけてもいいし、既存のテーマに取り組むこともできます。このように自由度が高い点は私の好きなところです。知的好奇心やモチベーションを持っている人にとって、とても魅力的な環境なのではないでしょうか。また、私は他の人よりも社会人としてのスタートが遅かったため、年齢の若い人でも、知識や経験が私以上の人がたくさんいます。それもまた刺激的で楽しい要素ですね。

私はいま、MLET.Ⅱの開発とAIコンサルティングのクライアントワークに携わっています。MLET.Ⅱの開発では、AI-OCR関連のタスクや画像比較、設計書の生成、テストシナリオの自動生成などを担当しています。将来的にはAIエンジニアとして新しいものを企画して開発し、それを主導していけるような人材になりたいと思っています。最近では、ChatGPTを筆頭とした生成系AIが目覚ましい進歩を遂げカンブリア爆発のように世界そのものが急速に変化しています。私も、この変化の波に乗ってなにか社会的意義のあるプロダクトを開発してみたい、そんな思いを持ちながら日々取り組んでいます。気概があれば、できる。そう信じています。

――大切にしていることは何ですか?

野村:一つは、私の人生の方針として、“5年後の未来がみえない選択をする”ということを大切にしています。予測可能な道よりも、新しい世界に通じる道を選びたいと思っています。私には6歳と2歳の子供がいるのですが、彼らにも同じことを伝えようと思っています。「迷ったらどうやって決めたらいいか。それはね、自分のハートが教えてくれる。ワクワクする方に進んでみよう、それが正解だから」と。もちろん人生に正解なんてものはないのかもしれません。しかし自らの胸の高鳴りを信じて勇気をもって新しい世界に積極的に飛び込んで後悔のない人生を歩んで欲しい、そう願います。人生は思っている以上に自由で勇気を持てば世界はどこまでも広がりますからね。

もう一つは、私のこれまでの知識や経験と目の前のタスクを関連付けることを心掛けていることです。知識は倉庫の中に閉まっている道具のようなもので、“どの道具をどう引っ張り出してどう活かすか”を考えるのです。よく、「大学でやってきたことは社会では役に立たない」などと言われることがあるのですが、私はそんなことは全くないと思っています。知識という道具を活かす方法はひとつではなく工夫すればいくらでもあるはずです。活かそうという意志があれば、何事にも関連性を見つけることができると信じています。真剣に学んだものは自分の財産ですから、次はそれをどのように利用し活かすかが重要です。アミフィアブルは「この道具をどう活かすか試してみよう」というような気概のあるアプローチを受け入れてくれる場所だと感じています。

――最後に、就職や転職を考えている皆様に向けて、メッセージをお願いいたします。

野村:私がアミフィアブルへの入社を決めたとき、ワクワクしました。そしていま実際に楽しみながら仕事ができています。最後にサルトルという哲学者から私が好きな一節を紹介したいと思います。

私は未来の私自身を待っている。未来において私は、自分自身との待ち合わせをある日、ある月、ある時間の向こう側で約束しているのだ。不安とは、その待ち合わせ場所で自分が見つからないのではないかという恐怖であり、そこに行きたくなくなるのではないかという恐怖である。だが、私は自らの可能性を実現するための行いに従事する自分自身もまた見つけることができる[…]。(『存在と無』第一部第1章V:無の起源より)

自己誠実、そして実存的勇気、とは、自分という待ち人がいない可能性を認め不安を受け入れながらも未来の自分に会いに行くことです。就職先や転職先を決めることは不安や恐怖が伴うのはよくわかります。そうであっても、皆さんもみなさんの内に胸の高鳴りを感じたらそれを信じて勇気をもって進んでみてください。きっと新しい自分自身と会えるはずです。そうやって自分の心に誠実に向き合って選択をした先に、一緒にお仕事をするご縁があれば、とても嬉しいことだなと思っています。少しでも興味を持ってくれたら、一歩踏み出してみてください。ざっくばらんにお話してみましょう!

最後までお読みいただきありがとうございます。少しでもご興味を持っていただけたら、一度カジュアルにお話してみましょう!お気軽にコンタクトいただけたら嬉しいです。

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