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創業ストーリー#1【前編】 - 3児の母になりエネルギー領域で起業するまで by ナナ

はじめまして、堀ナナです!
Tensor Energyという会社のファウンダー、共同代表をしています。
会社設立から4ヶ月が経ちまして、プロダクト開発のための最初の外部資金を調達し、チームも7人体制になりました。いわゆるシードラウンドからシリーズAを目指すフェーズにあるスタートアップです。
こちらが資金調達についてのお知らせはこちらから。

再エネ&蓄電池のオーケストレーションプラットフォームを開発するTensor Energyがジェネシア・ベンチャーズからシードラウンドで7000万円の資金調達を実施
Tensor Energyについて Tensor ...
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000096424.html

再エネにキャリアチェンジして11年、母になって10年、
経営者としては、ようやくスタートしたところです。
どうして今、この領域でこの事業を、このチームでやるのか。
私の視点からの創業への軌跡を書き残しておこうと思います。

ここに立っているのは、パートナーや家族はもちろんのこと、友人、地域の方々、一緒に働いてきた仲間たちの支え、そして取引先の皆様のご理解のお陰です。今までもこれからも。それではどうぞ…

生い立ち〜バブル期生まれ、ユートピア育ち〜

バブル経済真っ只中の80年代半ばに千葉県で生まれて東京で育ちました。
ボール遊びと虫取りと科学実験が好きな少々エキセントリックな子どもでした。経済は停滞し、今後の人口減少は明白で、今後イケイケなピークはやってこないだろうな、というのをみんながふんわり感じ始めていた頃でした。
10代のころから、いずれ少子高齢化社会におけるハードとソフトのインフラの維持、という重たい課題に向き合わなくてはならぬ、と謎の覚悟を決めていました。
とはいえ、生まれ持った根拠なき楽観主義も手伝って、祖父母と両親の影響で膨大な量の映画と洋楽に触れて、中高から大学までいずれも世間から隔絶されたユートピアで過ごし、大胆かつ大雑把な人間になりました。

新卒キャリア〜映画プロモーターからエネルギー業界へのキャリアチェンジと東日本大震災〜

大学院に進学する気満々で3年生の時に渡米し、広いアメリカ大陸のど真ん中、オハイオ州で一年過ごしたものの、留学先で研究費のファイナンスの闇を垣間見て就職を決意。4年の夏に帰国した頃には就活シーズンは終わっていましたが、通期採用を行っていたリクルートに拾って頂いたのでした。
ところが体育会系の配属先がまったく肌に合わず、3ヶ月で退職。
非常に短い期間でしたが、未だに社是である「自ら機会を創造しそれによって自らを変えよ」という言葉は心に刻まれている言葉のひとつです。

そして映画配給宣伝会社に転職し、業界の大ベテランの方々の下で、ミニシアター系と言われていたタイプの映画を中心にパブリシティを担当していました。メディアの方々に企画を売り込んで担当している映画を取り上げてもらう、という仕事でした。こうして企画書を持って飛び込むという営業スタイルが出来ていったのでした。

職場の雰囲気は最高だったし仕事はめちゃくちゃ楽しかったのですが、次のステップが思い描けず、思い切ってキャリアチェンジしようと、結婚を機に退職。ぼんやりとした自分の未来を手のひらで転がしつつ、友人のスタートアップを手伝ったり、翻訳の仕事を受けたりしながら、次のキャリアを模索していました。

そこへ久しぶりにアリメカから仕事で日本に来ていた友人に呼ばれて、5年ぶりに月島でもんじゃ焼きをつつきながら話をすることになりました。彼との出会いのストーリーはそれだけで一本分のボリュームになるので、また今度。
エネルギー政策と経済を専門とするアメリカのシンクタンクの出身で、証券アナリスト、大手コンサルファームを経て、独立してエネルギー専門のファームを経営していました。
鉄板にコテを押し付けながら、主にヨーロッパで起きていた、再エネの勃興と大手電力会社に与える影響、これから起きていくであろう大きな変化とそれに伴う痛みについての話をしました。

ざっくりシンプルに要約すると、再エネが増えることによって、旧来の電力会社の発電部門の販売量が減少し、インフラの維持等にかかる固定費が相対的に増えていて、今後のインフラの維持が難しくなる可能性がある、というような話でした。実際に当時、複数のドイツの電力会社の経営が悪化し、分離や再統合が進んでいました。

そうすると電力債のリスクが上がります。電力会社が設備投資のために発行する債権です。国によって違いはあれど、電力債というのは債券市場の中でもシェアが大きく、国債に次いでリスクが低い、というのがこれまでの一般的な認識でした。

これを大量に保有しているのは、低リスクなものを長期運用することを好む、年金や生保ファンドです。つまり、再エネが増えて、電力会社の経営が悪化すると、おじいちゃんおばあちゃんが豊かな生活が送れなくなってしまう、と。

これについてはいろいろな見方があると、今では思います。
一方で、インフラの維持については、少子高齢化社会における課題と一致していて、日本においてはより深刻になりうる、と感じたのです。

彼のビジョンは、再エネに投資を呼び込み、蓄電池と組み合わせて分散型の電力ネットワークをつくり、インフラの導入維持コストを下げて行く、というものでした。そして蓄電池業界のリサーチアナリストとして、パートナーの目となり耳となり情報収集をするところから初めてみないか、と誘われたのです。

心を動かされ、エネルギー業界に飛び込むことを決めました。その後の人生に大きな影響を与えることになる分厚い本(※下記参照)を読んだり、新婚旅行の計画を立てたりしながら入社までの期間をのんびり過ごしていました。


The Prize: The Epic Quest for Oil, Money & Power (English Edition)
Amazon.co.jp: The Prize: The Epic Quest for Oil, Money & Power (English Edition) 電子書籍: Yergin, Daniel: 洋書
https://www.amazon.co.jp/Prize-Quest-Money-Power-English-ebook/dp/B004T4KKSA/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=39VIXDLRREPTM&keywords=the+prize+epic+quest&qid=1646798861&sprefix=the+prize+epic+ques%2Caps%2C178&sr=8-1

※石油を巡る覇権の歴史と地政学を描いたノンフィクションで、油田開発が盛んに行われるようになったアメリカ、スタンダード・オイルを始めとするセブンシスターズの台頭、第二次世界大戦、湾岸戦争までを描いています。石炭から石油へのエネルギー転換という文脈で、日本やドイツが戦争に向かうくだりは特に、2022年3月初旬の今こそ読み返す価値があるように思えます。

もんじゃ屋の会合の10日後、東日本大震災が起こりました。余震が続く中、関東では電力が不足し、輪番停電が実施されました。春はすぐそことはいえ、まだまだ朝晩は冷え込む季節。通りを隔てた隣の町の明かりが消え、電車は本数を減らし、不安と混乱から、駅では怒声が上がりました。故郷を離れて西へ移住する人もいました。
被災地や事故現場に、危険を省みず、飛び込んで支援の手を差し伸べる人々、出来る限りの支援が各地から送られました。一方で、水、食べもの、快適で住み慣れた家、それを支えるエネルギーその供給が危うくなると、私達は不安と恐怖と混乱に陥ってしまう。そしてその先が、資源を巡る争いを引き起こし得る、ということを痛感した出来事でした。

そして私は、100年先もその先も、全ての人に、等しく、持続可能なエネルギーを届けることに貢献したいと思うようになりました。

これがエネルギー業界への漠然とした興味が、人生を懸けた強い想いに変わったきっかけでした。

被災地の状況はきっとそれどころでは無かったし、私は原発から蒸気と煙が上がる様をどこか遠くで起きていることのように感じて、多くの人がそうであったように、ただただ画面越しに眺めていたようにも思います。
被災地のボランティアに向かった学生だった弟を見て、今困っている人々を助けるべきでは、と自問することもありました。
それでも、遠回りに感じられても、時間はかかっても、自分が一番価値を出せて、貢献できることをしよう、と考えて、翌月にはスーツケースをかかえて蓄電池工場を行脚する旅にでたのでした。

あれから11年が経ち、3人の子どもたちの母になり、再エネ領域ではキャリアの長い方になってきました。毎朝子ども達の寝顔に後ろ髪を引かれつつ布団を抜け出し、仕事に向かいながら彼らの未来を考える中で、その思いは強くなる一方です。

再エネ業界へ〜太陽光バブルの始まりと共同代表との出会い〜

こうして再エネ専門の戦略コンサルティングを提供する米国のファームでの仕事が始まりました。蓄電池業界のアナリストとしてサプライチェーン、市場調査にアサインされました。
必死でEXCELを叩き、ドアを叩き、業界関係者にインタビューを繰り返し、数千枚のスライドを作って、ダメ出しを食らい、新婚なのに月の半分は海外出張という生活でしたが、新しい業界へのチャレンジが楽しく、夢中で働きました。中でも分散型太陽光発電x蓄電池の事業創出プロジェクトは4人の同世代のチームで毎日議論を重ねて、ゼロイチのプロダクトを作るエキサイティングなプロジェクトでした。

2012年夏、第一子の誕生と時を同じくして、日本で再エネの固定買取制度が始まりました。再エネの導入を促進する制度です。再エネ業界は急成長し、バブルとも呼ばれる状態になりました。私は国内の太陽光発電の市場調査、新規事業参入戦略、事業開発を担当するようになりました。とにかく足を使って一次情報を取りに行くスタイルを貫き、週の半分はトップダウンのリサーチ、仮説を立て、週の半分は車で他県を回って地場の業者さんに生の声を聞きに行き、検証した結果をスライドに落とし込む、という生活でした。

この頃、夫は外航船のオペレーションという24時間体制の仕事をしており、地球の裏側の海賊対応に追われるような日々。平日の家事育児はほぼ私が担当するような状況でした。手が足りる訳がない…。

そこでLinkedInを通して知り合い、仲間に入ってくれたのが、後にTensor Energyを共同創業することになるフィルターでした。とても流暢な日本語を話す、スマートで親しみやすい超優秀なドイツ人です。テクノロジーに詳しくて器用な彼のお陰で、私の仕事の効率は爆上がり、車で方々を回って、2人で数千件のインタビューをこなし、議論と仮説検証を繰り返しました。

【後編】へつづく

創業ストーリー#1【後編】 - 3児の母になりエネルギー領域で起業するまで by ナナ | Tensor Energy株式会社
【前編】はこちらから。 ところが2014年に九州電力が新規の再エネの受付を一時停止する、という事件が起き、再エネの接続ルールが大きく変わり、市場の様相も大きく変わりました。フィルターは戦略コンサルタントとしてのキャリアを積むため大手ファームへ。私はそのままファーム留まり再エネ政策関連のリサーチと電力セクターのモデリングに取り組むようになりました。 ...
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