イチオシは壱岐焼酎と寒ブリ。おもしろ公務員が、壱岐島に感じる魅力。
ー生まれ育った環境を教えてください
私が生まれたのは、壱岐島の芦辺町です。今は合併して壱岐市になりました。実家は島の中でも中心部に位置する場所ですが、車で30分もあれば海まで行けるような場所です。家の周りには田んぼや畑があり、両親は兼業農家で牛も飼っていたので、実家のすぐ横には今でも牛舎があります。小さい頃から、何に対しても「どうして?」と理由を聞く子どもだったそうです。好奇心が旺盛だったんでしょうね。スポーツが盛んな島だったので、小学生の時にソフトボールを始めて、中学では野球に熱中しました。子どもの頃の将来の夢は普通にスポーツ選手とか書いてましたが、中学生の頃に「公務員になりたい。」と作文に書いた記憶があります。安定とか、そういう言葉に惹かれたんでしょうかね。他には、歴史が好きだったので西洋史や考古学に興味がありました。ただ、大学受験の結果は、希望していた進路に進めるようなものではありませんでした。それで、最終的には長崎大学の教育学部に進んで、小学校の先生を目指すことにしました。
ー島から出ようと思ったことはありますか
大学時代は島を出て長崎の本土で過ごしていたので、そのまま長崎に住み続けたいと思っていました。20歳位の頃は、たまの休みに実家に帰っても、することがなく暇だと思っていましたし、大学の仲間は長崎で就職する人が多かったので。バンドをやっていた影響もあります。卒業した後も本土に住んでいた先輩から一緒にバンドをやろうよと誘われていたので、できれば地元には戻りたくなかったんです。インディーズレーベルでCDを出したこともあるんですが、正直、自分のレベルを知っていたので、音楽で食べていけるとは思っていませんでしたね。趣味でバンドを続けつつ、長崎か、もしくは福岡あたりまで出て働こうかと考えていました。大学3年生の頃に教育実習に行き、先生になるという進路を変更することにしました。子どもと触れ合うのは楽しかったですし、自分なりに工夫した授業が、児童に楽しんでもらえている感覚はありました。慕ってくれる子がいる一方で、教育実習という短期間では、なついてくれない子もいて。そこで、子どもたち全員に対して自分が分け隔てなく接することができるだろうかと考えたとき、私には難しいかもしれないと思ってしまったんです。平等に接することができないなら、先生には向いていないんじゃないか。そう思い、先生になるのをやめて、「人を育てる」ことから「町を育てる」ことができる市役所などの公務員試験を受けることにしたんです。大学卒業後は、長崎や福岡の公務員試験を受けていたんですが、採用されませんでした。さすがに焦りも出てきた2年目、地元の役場には採用してもらうことができたので、壱岐島に戻ることにしたんです。
ー島に戻ってきた当時はどんな気持ちでしたか
最初は、地元に戻ったら退屈するだろうなと思っていました。ただ、地元のことをよく知るうちに、魅力があることに気づきました。行政での仕事は、地域のことを知らなければ成り立たないので、仕事の中で様々な人と出会いますし、自然と地元について詳しくなっていきます。私は税務課に配属され、建物を実際に見に行って評価するのが仕事だったので、土地勘や現場感がつくんですね。それまで知らなかった自然や人の魅力を知っていくうちに、「地元は退屈」とは思わなくなっていきました。働き初めた翌年、故郷の芦辺町を含む4つの町が合併して、「壱岐市」になりました。その頃は4つの町で分かれていた土地の評価制度を統一したり、いろんな自治体の評価方法を調べて取り入れたり、より精度の高い基準を作ろうとしていましたね。少し仕事がわかってきて、今までになかったものを作るのは面白いな、と感じるようになった頃です。現場を第一にしながら、次第に、自分なりの計算式を組んだ簡単なプログラムなんかを作るようになって、ITの仕事に興味を持つようになり、5年ほどしたタイミングで政策企画課に異動になりました。そこでは、情報政策関係の仕事を担当し、市役所の中でのITインフラや、国の補助金を使って島内全家庭に光ファイバーを引き、島内の防災システム、地デジ対策やインターネット環境の整備などをする大きな事業も担当しました。離島だと、通信系の民間企業がなかなか参入してくれないので、役所主導でインフラ整備をやっていくんです。役所の仕事は決まりきったことが多いので、誰もやったことがないことや、面白いことをしようと常に心がけていましたね。Wi-Fi環境を整備したり、ICTを使った高齢者見守りや東京からIT企業を呼んでワークショップをしたり、学校でタブレットを使ったプログラミング教室をやったりもしました。そういった中で、島の情報を発信するために、HPやSNSの情報発信ページを立ち上げたり、役所に限らず、市民の方からも相談を受けることが増えていました。皆さん、この島の魅力をどんどん発信していきたいという気持ちは感じるんですが、そのやり方がわからなかったりする。そこをサポートする人がいないんですよね。島の魅力はたくさんあるんですけど、うまく伝えきれていない。「情報」を必要としている人に的確に伝えるにはどうしたらいいか考えている中で、観光商工課へ異動になりました。2016年の4月からは、商工物産の担当として、商店街の人と一緒にお祭りを盛り上げたりとか、物産や販路開拓の仕事をしたり、時には朝市のおばちゃん達のオリジナルTシャツを作ったりもしてます。特に観光や商売は相手に情報を伝えられているかどうかで、はっきりと差が出るものなので、自分なりのアプローチができればと思っています。
ー柴山さんが感じる島の魅力を教えてください
壱岐島は「実りの島」と打ち出しているように、自然や食べ物も豊かですし、歴史遺産もたくさんあります。本当にいろんな魅力があるのですけど、私が一番好きなのは「壱岐焼酎」ですかね。壱岐は麦焼酎発祥の地なんですけど、麦の香りが良く、飲みやすくて美味しいんです。私はビールから洋酒まで、お酒はなんでも好きなんですけど、壱岐焼酎の中でもオークの樽で貯蔵した「壱岐スーパーゴールド」がお気に入りです。ウイスキーみたいな金色なんですよね。壱岐には蔵元が7社あり、いつもどの焼酎を飲むか迷うんですが、壱岐焼酎を片手に、冬の脂が乗った寒ブリを食べるのが最高です。壱岐島の周りで捕れる魚は本当に美味しくて、島外の飲食店で出る魚は食べたいと思わない程ですね。魅力がたくさんある一方で、日本の地方で言われているような様々な問題は、全て当てはまります。人口減少、少子高齢化、雇用の問題。まさに日本の縮図のような状況です。この島の社会的な問題を解決することができれば、世界的なモデルケースになると思いますし、島の規模的にも実証実験を行いやすいので、いろんな島外の人や企業とコラボして、壱岐を世界一の島にしていきたいです。私自身は、表に立つ方ではないので、裏方として、人と人とを繋いだり、役所っぽくない面白い仕事をしていきたいですね。柴山 琢磨
1978年生まれ。長崎県壱岐市芦辺町(現壱岐市)出身。市役所の観光商工課にて働く。
(取材:(株)ドットライフ「しまっちんぐ2016秋」)