1
/
5

Sign up for free

This page is intended for users in Japan(English). Go to the page for users in United States.

『自分史』

「自分は何がしたいんだろう…」


いま現在34歳になって、今さらこんなことをよく考えるようになりました。

(厳密には33歳の中盤からですが)


親の敷いたレールの乗ったまま高校まで進み、

みんなが行くからというだけの理由で、形だけの大学生になりました。

いま思えば、本当に親には申し訳ない事だと思います。


そのまま何となく飲食店で働いているうちに社員になり、

飲食業界で働く若者にありがちな「最終的には自分の店が欲しいな~」という漠然とした、

無計画なままの夢を抱えながら働いてきました。


敷かれたレールの上を進むだけの人生では、

レールが他にも無数にあることや、

そのこと自体を考えることすら習慣がなかったためです。


むしろその頃のわたしは、人とのコミュニケーションが本当に苦手でした。

新卒でユニマットキャラバン株式会社に入社した時には、

「本当にやっていけるのだろうか?」

と初日から不安しかありませんでした。


しかし、接客の仕事は自分で思ってた以上に向いていたようでした。


・お客様から直に笑顔や感謝の言葉をいただく

・キッチン責任者を任されて自分の考えたレシピと構成で作る

・部下一人ひとりに合わせたマネジメント

・店舗責任者としての責任感


気がつけば、

「カフェではなく夜の店でも働きたい」

「マニュアルではなくもっとお客様と近い距離感で話したい」

「店長になりたい」

そんな想いで自分からスキルアップを目指し、転職を繰り返していました。


楽しみを見出し、いよいよ「自分の店を持つ!」という夢を現実的に考え出して、

少ないながらも貯金をしてきたある日。


営業中に、強烈な痛みに襲われました。

足なのか腰なのか…

痛すぎて、もう何がなんだかわからないままスタッフにタクシーに放り込まれ、病院に直行。

その日の営業は、店長である自分抜きでみんなが頑張ってくれました。


診察の結果は、「腰椎椎間板ヘルニア」。

実はその3年ほど前にも同じ箇所でヘルニアを患い、今度で2回目でした。


前回は1か月ほどのリハビリで、あっという間に治すことができましたが、

しかし今回は2度目だからなのか。


牛歩のごとき進行で10歩すすめば、その場で10分以上は休まないとそれ以上は痛みで動けませんでした。

時には道のど真ん中で。時には駅の改札前で。

痛みが引くまで、じっとその場にうずくまる。

往来する人の流れにあって、恥もへったくれもありませんでした。


当時、心優しき店舗オーナーは、有給で長期の休暇をくれました。

ちょうど桜の開花前の忙しい時期なのにもかかわらず。

「マツコの知らない世界」で自身の考えたレモンサワーが紹介され、忙しくなってきたにもかかわらず。

(結局オーナーが出演しました。。)


「はやく回復して復帰しなくてはっ!」

恩も感じていたしそんなふうに考えて、

自分で病院を探したり、人に紹介をいただいたりして治療に専念しました。


しかし治療において結論からいえば、

人体において二度と再生しない椎間板と、その周辺の神経がひどくやられ、

完治はしないことがわかりました。。。


「仮にある程度、回復しても今までと同じような働き方はしないほうが良いでしょう」


主治医からも、ドクターストップがかけられました。

オーナーにはありのままを伝え、辞職させていただきました。


それまで貯めた貯金も、手術費を含めた医療費でほとんど使ってしまいました。


「これからどうしようか……」


急に空っぽになりました。


ただ幸いにも知人に恵まれ、

そのあとすぐにワインを販売する会社を紹介してもらい、営業職として働きだしました。

また人のレールに乗ったわけです。


しかしこの転職がのちのち思えば、❝転機❞になっていたかと思います。

飲食業もそうだと言えばそうなのですが、

営業職はとても大変で、しかしこれまでで一番「主体性」が求められたからです。


入社した株式会社ブロードエッジ・リキュエールは、

ベンチャー企業だからなのかわかりませんが、営業の部署なのに営業のプロがいませんでした。


なので皆でノウハウを考え、共有し、

個人レベルでPDCAをまわさなければ、新規案件の獲得なんてとてもとても獲得できませんでした。


どうすれば相手に刺さるのか。話を聞いてもらえるのか。

考えて考えて、ひたすら仮説をノートのまとめて実践していきました。

こうして従事するうちに自然とビジネスの視野が広がり、

そして自身の「成長している」という実感がドーパミンをドバドバ出してきました。

「あれ?なんか楽しい!」


特に役に立ったのは、

飲食業で培ったコミュニケーションスキルと、

前田裕二さんの著書「メモの魔力」で得た、分析力

それと田岡佳子さんの、ランチェスター戦略の書籍。


それらを用いて、入社5ヶ月で部署一番の成績を収めたころ、

特になにかきっかけがあった訳でもなく、ふと、こう思いました。


「このまま進んで、自分の目指すものはなんだろうか?」


飲食店で働いていたときで言う、

「自分の店が欲しい」というような目標が見いだせなかったのです。


「自分は何がしたいんだろう…」

と、このときから本気で考えるようになりました。


情けないですが、普通は高校生くらいからみんなが考えるようなことをです。

とはいえ自分の過去を振り返ってみても、

戻ることのできない10年の飲食業経験と、ほんの少しかじった程度の営業職。


もうその週末には、上司に辞職の旨を伝えていました。


それから退職後は常に情報収集を意識しつつ、

フリーランスとしてSNSの運用代行業、イラストデザイン、動画編集のアルバイトなどと、

自分なりに時代も考えて仕事を選んでみました。


けれど、どれをやってもおもしろくはない。


一人旅で国内のあちこちや海外にまで行っているくらい行動力には自信がありましたが、

これには参りました。


焦りと不安からどうしようかと悩みつつ、それでも何かないかと日々探していたとき、

オリエンタルラジオの『中田敦彦のYoutube大学』を見ました。

歴史やビジネス書などが楽しく学べるコンテンツで、

「中田さんも今まさに勉強して挑戦しているんだなぁ」と思ったとき、


「自分にはあそこまで喋ることは向いてないけど、

でも読み書きならできそうだし、

こんな風にアウトプットしたら自分の本の勉強も、もっと為になるんじゃないか?」

「どうせ読んでも一週間もすればほとんど忘れてしまいそうだし。

よし、マネしてみよう。」


そう思ってすぐブログを開設し、

小学生のとき書いてた日記以来、久しぶりの文章を書き始めました。


いざ始めてみると、、、


当然、なかなかうまく書けません。


ただ、なんとなく始めただけなのに悔しくなりました。

「せっかく人に見られるのに、こんなに下手くそな文章では絶対に最後まで読んでもらえない」

そう思って今度はライティングの本を買い、勉強をしました。


そうして試行錯誤を繰り返し、一銭にもならないブログを弄っているときに「あれ?」と思いました。

「これ楽しい。」


自分でコンテンツを考えて創ること。

それをどう見せるか考えること。


アナリティクスをみて閲覧数がたとえ「1」でも上がっていたとき、

めちゃくちゃ嬉しかったのです。


PVを上げるにはSEOを学ばなくてはならないと知っては、

Webマーケティングの本をすぐに買いにいきました。


「これだっ!」

見つけたぞっ!」


ヘルニアもずいぶん良くなり、日常において難なく運動できるまでに回復しました。


10年間、接客のプロとしてやってきた自分の次のステージ。

「Webマーケティングのプロになろう」

そう思って、今、これを書いております。


ここまで長々とわたしの自分語りをお読みくださり、

ありがとうございました。


ただいま鋭意、就職活動中ではございますが、
年齢や経験など「熱量」の前には無意味と信じております。

関係者様におかれましては、何卒、よろしくお願い申し上げます。



最終更新 2020/5/5

山田修平