「AIで作ったんですか?」と言われた日、私は少しだけ傷ついた。
でも、傷ついたのは私じゃなくて、その言葉を発した人のほうだったかもしれない。
先日、あるクライアントとの雑談でこんな話になった。
「最近AIで資料とか作る人、増えてますよね。なんか……手抜きな感じしません?」
私は即答した。「あ、私も使ってますよ。毎日のように」と。
相手は一瞬、微妙な顔をした。
気になって、少し聞いてみた。「手抜きって、どういう意味ですか?」と。
返ってきたのは、意外な言葉だった。「なんか……ずるい気がして」。
その「ずるい」という一言が、ずっと頭に残った。
「効率よくやること」を許せない人たち
電卓が普及したとき、「暗算できないやつは数学の才能がない」と言った人がいた。
Excelが出たとき、「手書きの帳簿こそ本物だ」と言った人がいた。
そして今、「AIで作ったものは本物じゃない」と言う人がいる。
この構造、何度も繰り返されてきた。
彼らを責めたいわけじゃない。でも、一つ気になることがある。
効率化を「手抜き」と呼ぶ人ほど、自分が非効率であることに無自覚だという事実。
時間をかければ丁寧だと思っている。苦労すれば価値があると信じている。でも本当にそうだろうか?
日本はこの約30年間、世界で最も経済成長できなかった国のひとつ。世界が3〜4倍になる間、日本はほぼ横ばいだった。
「真面目に、時間をかけて、コツコツやってきた」のは本当のことだ。でも結果として、成長できなかった。
個人の努力量と、成果の大きさは、別の話だ。
心理学的に見ると、これは「脅威」への防衛反応だ
AIを使いこなす人が現れると、それまでの「努力の基準」が崩れる。
「あの人は時間をかけてやっている=すごい人」という評価軸が、突然機能しなくなる。
結果だけで判断されるなら、プロセスの苦労は意味を失う。
だから無意識に、AIを使うことを「ズル」に見立てる。自分の努力の価値を守るために。
これを心理学では「認知的不協和の解消」と呼ぶ。信念が脅かされたとき、人は現実を変えるより信念を守ることを選ぶ。
あのクライアントが言った「ずるい」は、批判じゃなかった。自分の価値観が揺らいだときの、思わず出た本音だったんだと思う。
では、AIで作ったものは「本物」ではないのか?
私はこう問い返したい。「本物」の基準は何ですか、と。
時間をかけたこと? 苦労したこと? 手を動かしたこと?
それとも、相手に価値をもたらしたこと?
クライアントが求めているのは、あなたの努力の量ではなく、届けられた結果の質だ。AIを使って1時間で作った資料が、手作業で丸一日かけた資料より相手に伝わるなら、どちらが「本物」か。
道具は変わる。基準を更新できるかどうかだけが問われている。
私にとってAIは気軽に話し合いができる相棒
私はAIを使うようになって、むしろ「考える時間」が増えた。
たたき台を素早く作れる分、「本当にこれでいいか」を吟味する時間に使える。アイデアの量が増える分、選択の質が上がる。
AIは思考を代替するものじゃない。思考を加速するものだ。
使いこなせるかどうかは、あなたの思考の質がそのまま出る。むしろ、誤魔化せない。
冒頭のクライアントとの雑談に戻ろう。
「ずるい気がして」という言葉の裏には、おそらく不安があった。AIを使えない自分、使い方がわからない自分への、静かな焦り。
だから私はこう言った。
「一緒に使ってみませんか」と。
AIを毛嫌いする人を責めても何も変わらない。変わるきっかけを、そっと差し出せるかどうかだと思っている。
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