対象は4つです。対話型のAI、合成コンテンツを生成するAIの提供者、感情認識や生体分類を使う側、そしてディープフェイクや公共的な話題に関するAI生成テキストを出す側。実在の人物に見える、あるいは聞こえるコンテンツには、欺く意図がなくても、実在の個人を描いていなくても表示が求められます。
罰則の桁も決まっています。禁止されたAI利用に対しては、最大3,500万ユーロ、または全世界の年間売上高の7%のいずれか高いほう。GDPRの上限を超える水準です。
なお、機械可読なマーキングを求める条項については、2026年12月2日への延期が議論されています。正式な採択はまだです。
時系列で見ると、この法律の性格が分かります。
2024年8月1日に発効。2025年2月2日に禁止AIの規定、2025年8月2日に汎用AIモデルの透明性と著作権の義務、そして2026年8月2日に今回の透明性義務。段階的に締めていく設計でした。
ところが2026年7月24日、デジタル・オムニバスが官報に載って発効し、生体認証・重要インフラ・教育・雇用といった高リスク領域の義務が2027年12月2日へ、製品に組み込まれるものは2028年8月2日へ後ろ倒しになりました。およそ16か月の延期です。
注目すべきは、運用してみて不都合が出たから緩めたのではない、という点です。施行日が来る前に緩めています。
ここでEUのやり方を振り返ると、今回の異例さが見えてきます。
コロンビア大学のアヌ・ブラッドフォードが「ブリュッセル効果」と名づけた現象があります。EUの単一市場には4億5,000万人の消費者がいる。そこで売るには従うしかない。そして企業は、地域ごとに仕様や運用を分けるコストを嫌って、EU基準を全社に適用してしまう。結果として、EU域内向けに作られたルールが事実上の世界標準になる。
具体例は身近にあります。
ひとつはGDPRです。2018年の適用開始以降、ブラジルからカリフォルニアまで、これを下敷きにした法律が各地で生まれました。
もうひとつは充電器です。2022年10月、欧州議会は域内で売る携帯電話に共通の充電規格を求める法律を可決し、2024年12月28日を期限としました。Appleは長くLightningを続けていましたが、2023年9月のiPhone 15でUSB-Cに切り替えました。いま手元にあるiPhoneの差込口の形は、欧州議会の議決の結果です。
反例もあります。ePrivacy指令に始まるCookie同意の仕組みは、世界中のサイトに同意バナーを並べました。ただ、利用者が中身を読んで選んでいるかというと、そうは言い切れません。ルールは輸出できても、狙った効果まで輸出できるとは限らない。
では、AIではなぜブレーキを踏んだのか
ここからは私の読みです。断定はできません。
規制が輸出品として成立するには、条件があるように見えます。規制する側が「買い手」に徹していられること。
GDPRのときも充電器のときも、EUは買う側でした。データを集める企業も、スマートフォンを作る企業も、主に域外にいた。だから厳しくしても、痛むのは他人です。
AIは事情が違います。作り手の多くは域外にいて、しかもEUは域内にその産業を育てたいと考えている。買い手として厳しく規制すると、育てたい側の足も同時に止まる。両方の帽子をかぶった瞬間に、これまでのやり方が効かなくなる。
具体的に影響を受けうるものは三つあります。
第一に、EUに売っている、あるいはEU居住者が使えるサービスを持っているなら、適用の対象になりえます。国内法ではないから関係ない、とは言えません。
第二に、国内だけで完結していても、表示の作法は先に整えておくほうが安く済みます。運用が固まってから全コンテンツに遡って印を付ける作業は、最初から入れておく手間とは桁が違います。
第三に、これは企業だけの話ではありません。作品や広告、SNSでAI生成物を出す個人にも、同じ論点が降りてきます。何をもって「AIが作った」と示すのか、その線引きを自分の中に持っておくかどうかで、後の手戻りが変わります。
出典:EU AI Act 第50条 透明性義務および第99条 罰則(artificialintelligenceact.eu)/欧州委員会 AI生成コンテンツの透明性ガイドライン/EU共通充電器規則の期限に関する報道(MacRumors, 2022年12月)