トライアスロン三昧だった時代
松本晃幸
ここで私、松本晃幸の話も少ししておきます。私は創業者の父、松本英清、テキスタイルデザイナーの母 良子 の間に長男として1968年3月9日に生を受けました、三人兄弟(姉と弟)。絵をかくことや工作創物、そして動物が大好きな少年でした。父の影響で小学生から剣道をはじめ、大学まで続けましたが、最後まで好きではありませんでした。しかし剣道を続けていたおかげで大学に進学できました。愛知で学生寮(四畳半一間、共同風呂、共同便所)で一人暮らしでした。稽古は日本一レベルで厳しい大学で有名で、猛烈なしごき、体罰の連続で厳しい上下関係の中、水商売のバイトをやったり、友達と毎晩呑み歩いたり、女の子に声をかけたり、繁華街での喧嘩やいざこざもしょっちゅうでしたから、剣道が強くなるわけがなく、結局剣道では一切目が出ず万年補欠でした。でも、エネルギーのやり場に困っていた自分に嫌気がさしていたことも事実でした。
トライアスロン
そして、実業団チームの門をたたき、練習生としてトレーニングに参加させていただきました。当初は「練習量さえ確保出来たら強くなる」と信じていました。それは今思えばすごく利己的で、現実から逃れたいという甘さの延長でした。強い選手は、どんな環境下でもそれなりに強いのです。まだ私は外部環境をできない理由にしたり、他人のせいにする、そういう若者で、自分の事しか考えていませんでした。実際にすんなり練習生として受け入れてくださった実業団チームの練習は、そんなにあまい世界ではありません。長時間に及ぶトレーニングを毎日続けることは、究極の肉体労働と言ってよいほどの苦しさがありました。実業団選手の友人たちは選手としてお金をもらっていたのでその労力を考えると「割に合わないなぁ」と同情していました。それでも自分は練習しても1円ももらえないのですから、アルバイトもしなくてはなりません。ますます「絶対強くなってやる」という気持ちになっていきました。そして『好きであることは、何にも負けない強烈なエネルギーになる』ということをその時学びました。これは私の現在の持論の一つです『仕事を好きになろう』 そのためにはどんな屁理屈を付けても良い、とにかく好きになることが大事だと思っています。
更に学んだのは、トップ選手のなかで、本当に強い選手(一発屋じゃない)は、人間性が高く、心を高める事を常に行っているという事です。強い選手ほど、腰が低く、周りに感謝し、さらに困っている人が居たら助ける、人間関係も大事にされていました。また、自分で課したトレーニングについても、それを日々の練習の中で確実にクリアしようとする修行を積まれていました。私もそれにつられて「心で走る」をテーマにしていました。
もう一つ学んだ事は、『強い人ほど楽をしている』という事です。誤解無いようにお願いしたいのですが、楽とは大きな筋肉を有効に使い、疲れない動きでかつパワーをうまく使っているという事です。この結果、長時間に長期間に及ぶトレーニングをこなすことが出来るのです。
人間は、汗をかき、一生懸命やると「達成感」「充実感」が大きくなります。気分も良くなったりします。仮にそこに「無駄」や「間違い」があってもスルーしやすくなります。汗をかく事、一生懸命やることを否定しているわけではありません。私が学ばせてもらった運動理論は「イチロー選手」も取り入れていた理論です、小さな筋肉ではなく、出来るだけ大きな体幹の筋肉を使うという理論です。大事なのは、「心を高める」のと同じくらいに「頭を使う」という事です。これを取り入れることにより毎週欠かせなかった鍼治療に行かなくてよくなったりしましたし、飛躍的にタイムが伸びましたし、疲れないのでどんどん練習量も増やすことが出来ました。一生懸命を間違えないようにすることの大切さです。まだほかにも沢山学んだ哲学はありますが。トライアスロンが私の経営のベースになっていることは間違いありません。
このトライアスロン三昧の期間は数年に及びましたが、2000年の宮古島トライアスロンでは、目標の年代別1位、総合12位、日本人選手としては8位の成績を収めることが出来ました。