デザインとは何か?
今、日本のあるOA機器メーカーのプロジェクトとして、社会人のためのブランドデザインの演習カリキュラムを設計している。これは、講演とワークショップを組み合わせた内容となるのだけれど、受講するのは美大の学生ではない。何処かでデザインに関わってはいるけれども、いわゆる一般のビジネスマンを想定している。それゆえ、ここではそもそもの定義を伝えておきたいと思った。「デザインとは何か?」である。
実は、デザイナー自身もアートとデザインの違いは? などと問われても明確に答えられない。世の中の多様性は、それに応える職能の細分化を促し、そもそもの立ち位置を忘れさせている。ここで言葉の定義に立ちかえると、改めてデザインの役回りが再発見できるのではないか。その語源からすれば、本来は近くに並べて比べる言葉ではなかった「アート」と「デザイン」の違いについて、まずここで整理してみたい。
「アート」とは何か。この言葉は「技術」「資格」「才能」を指し示すギリシャ語「テクネ (techne) 」の意味を翻訳したラテン語訳「アルス(ars)」が基となっている言葉である。ラテン語の世界は古代ローマ帝国の繁栄とともに拡大した。そこでは、「神殿」という権威が顕現される建築物やそこに施される造形物こそが、偉大なる技術の集大成である。「アート」は、これらを作り上げるために選ばれた人が生身で持っている表現力、その尋常ではない「テクネ」を指し示していたように思われる。
後世、人は次々に道具となるものを発明し、ついには内燃機関の開発に至る。エネルギーの外在化を契機に、その「マシン」はかつて人の総合的な力であった「アート」からいわゆる現在指し示すところの「技術」部分を遊離させ、さらに情報技術をも含んで現在の「テクネ」のイメージが確立する。そして人の側に残ったのが現在の「芸術」としての「アート」ではないだろうか。
一方でデザインとは「計画を記号に表す」という意味のラテン語 designare から派生した。より日常的な内容に落とし込むなら「頭の中に浮かんだアイデアを実現させる」ことである。しかし、このデザインが西欧文明とともに日本にやって来ると、その日本語として「図案」あるいは「意匠」などと翻訳された。ここにデザインは、渡来した文明への驚きとともに、単に表面を飾り立てて美しく見せる方策という誤解が生まれたのだが、本来の意味からすればデザインは「設計」に近い。
表面的な狭義の「デザイン」であってもその技量を指し示す領域は、「アート」に重なる部分がある。これが「アート」と「デザイン」を近づける要因である。しかし、本来の意味に立ち返るならば、全く異なる意図のもとに定義された言葉である。今現在の世の中を見渡すと、「アート」も「デザイン」も、これを生業にするにはそれぞれの困難がありそうだ。本来の「アート」には人並ならぬ技量が必要であろう。それをして社会的な存在に価値が生じるのである。逆に、「デザイン」で食べて行くには、誰もが日常的に行っている行為「頭の中に浮かんだアイデアを実現させる」ことを代行し、そこで対価を得るサービスとしての姿勢や質が求められるだろう。改めてサービスとしてのデザインを見直すことは、激変するビジネス環境にその領域と社会的価値を再生する意味において重要な視点となると思う。