ブレーキ役が消える組織で起きていたこと
Photo by Shuken Nakamura on Unsplash
― 個人的な備忘録 ―
この文章は、誰かを責めるためのものではない。
また、会社に対する告発でも、改革提案でもない。
あくまで、自分が見ていたことを忘れないための備忘録である。
1. 私がやっていた役割について
私は長い間、この会社で
「止める役」「考え直させる役」「構造を見てブレーキを踏む役」を
半ば自然発生的に担っていた。
それは正式な役職でもなければ、
明文化された責務でもなかった。
・このタイミングで進めると事故になる
・今それをやると、別のところが壊れる
・このベンダー構成は、将来説明できなくなる
そういったことを、
表で言ったり、裏で止めたり、
時には黙って引き取ったりしてきた。
2. なぜ「やらなかったこと」が多いのか
私は、できることをすべてやらなかった。
むしろ、意図的にやらなかったことが多い。
それは怠慢ではなく、判断だった。
・構造がないまま進めると壊れる
・責任の所在が曖昧なまま始めると事故になる
・判断者不在のまま実装すると、後で回収できなくなる
だから触らなかった。
だから止めた。
だから「今はやらない」と言い続けた。
3. 私が黙るようになった理由
やがて、状況が変わった。
構造の話をしても、
「今はいい」「コストが高い」「優先度が低い」となり、
最終的に「やらない」という方針が選ばれた。
ここで重要なのは、
反対されたのではなく、使われなかったという点だ。
それ以降、言語化すると必ずこうなる。
「それが分かっていたなら、なぜ事前に報告しなかったのか」
この問いは一見正しいが、構造的には誤っている。
言っていたものは、当時は判断対象にされなかっただけだ。
だが、時間が経つと
「分かっていた人間」に責任が集約される。
だから私は、黙る選択をした。
4. アングラで起きていたこと
私が表でやらなかったことを、
その後、組織は別の形で拾い始めた。
・ツール導入
・ルール整備
・運用改善
一見、前進しているように見える。
だが実態は、設計なき回収だった。
理由や背景は共有されないまま、
「必要だからやる」という名目で
静かに、地下で進んでいく。
私はそれを
アングラでの残骸回収と感じていた。
5. ブレーキ役は採用されるのか
結論から言えば、
この組織に「本物のブレーキ役」は採用されない。
なぜなら、ブレーキ役がいると
必ず以下が発生するからだ。
・判断の所在が明確になる
・責任が可視化される
・進める/止めるの選択が迫られる
今の運転思想と、これは相容れない。
代わりに置かれるのは、
・チェックリスト
・規程
・委員会
・外部アドバイザー
だがそれらは、止めない。
説明のための装置に過ぎない。
6. スケープゴートという言葉について
強い言葉だが、整理するとこうなる。
この組織が必要としているのは、
事故を止める人ではない。
事故が起きたときに、
「チェックはしていた」と言える役割だ。
私はそこに収まらなかった。
判断し、止め、責任を引き受けようとしてしまった。
だから、異物だった。
7. 今の立ち位置
いま私は、
・設計者ではない
・調整者でもない
・改革者でもない
ただ、観測者としてここにいる。
最低限の安全弁だけ残し、
それ以上は引き受けない。
それは諦めではなく、
これ以上、責任を背負わないという判断だ。
8. 最後に
私がやってきたことは、
会社を変えることではなかった。
「このまま進むと、どこで壊れるか」を
誰かが見える形にしていただけだ。
それを見て、やらないと決めたのは会社だ。
その選択自体を、私は否定しない。
ただ、
見えていたことを、忘れないために
この文章を残す。
それだけでいい。
追記として
文章にしてみて、
「自分にも悪かった点はあったな」と思う部分は、確かにあった。
抱え込みすぎたこと。
言語化を後回しにしたこと。
期待しすぎたこと。
それ自体は否定しない。
ただ、当時の状況で
これ以上うまいやり方があったかと問われれば、
正直、思い当たらない。
判断権限はなく、
構造を扱う場もなく、
言語化すれば責任だけが後から集まる。
その中で選んだ行動は、
結果論ではなく、当時としては最も壊れにくい選択だった。
だから、この反省は
自分を責めるためのものではない。
同じ構造・同じ前提・同じ役割に
二度と自分を置かないための記録だ。
忘れないために、ここに残す。
※これは特定の組織や人物を批判するものではなく、
当時の自分の判断と、その背景を忘れないための記録です。