書籍【DEATH「死」とは何か~イェール大学で23年連続の人気講義】読了
「死」について、論理的に考えてみるのは、確かに興味深い。
意識が無くなったら死と言えるのか。
肉体が残っていても、それは死と言えるのか。
様々なパターンを例として挙げながら、学生たちに「あなたはどう考えるか?」と問う形式の授業内容をまとめたものだ。
本書の中に、余命宣告を受けた学生が、この授業を受講したエピソードが記載されている。
その学生が、この授業をなぜ選択したのかは分からない。
死に向き合おうとしての選択なのか。
単純に「死」を知識として探求したい目的の受講なのか。
当たり前であるが、死を体験して自身で理解することは、論理的に不可能だ。
死ぬ瞬間については想像できるかもしれない。
しかし、実際に死を体験する訳にはいかないのだから、本質の部分を理解することは、事実上不可能と言える。
そんな制限された環境の中で、「このパターンはどう考えるか?あのパターンならどう考えるか?」をひたすら問い続け、探求していく授業だ。
「自殺は本当に許されない行為なのか?」という問いも出てくるのだが、これだけ考えても相当に難しい。
唯一の答えはないし、それこそ国や文化によっても、個人の価値観によっても、全然違う回答が出てくるはずだ。
だからこそ「あなたはどう考えるか」という部分が重要になってくる。
我々にとって「死」とは本当に何なのだろうか。
死について深く考えることは、同時にどうやって生きるかを考えることだ。
つまり「生き方」についても、唯一の正解はないと言える。
そんなことは当たり前であるはずなのに、ついつい我々は「生き方の正解」を求めてしまう。
お金持ちになる生き方が、正解だと思ってしまう。
無条件の愛情を受けられる人生を、正解だと思ってしまう。
出世して人に認められたり、褒められたりする人生を正解だと思ってしまう。
そんな都合良い話があるはずがないし、そんな恵まれた生活を送れる人はほとんどいないはずなのに、そんな人生に憧れてしまう。
自分なりに納得する人生を見つけるのは、簡単な話ではない。
むしろ所詮人生はコントロールが効かないのだから、今の人生を受け入れて納得するしかない。
そういう境地に至るのを「悟り」というのかもしれないが、そんな大そうな話にせずとも、「死」について考えることは「生」について考えるきっかけになることは間違いない。
これから益々社会は変化していく。
AIの進化は凄まじく、人間の能力を凌駕していくことは間違いない。
そんな時に、人間だからこそできることは何なのか。
それこそ、生も死も、人間だからこそ与えられた特徴と言えるだろう。
こればかりは、AIでは決して代替できないことだ。
人間として生きること。
AIでは真似できないこと。
これからの時代は、「人間だからこそ」の部分を突き詰めていく必要がある。
AIが進化して、ロボットに組み込まれていく際に、最早人間とロボットの境界は曖昧になっていくだろう。
そんな物語は、SF世界ではよくある話だが、いよいよ現実化し始めたということだ。
人間が機械化していくのか、ロボットが感情を持って人間化していくのか。
そんな時代には、「生と死」が非常に重要な意味を持つようになるだろう。
これはそんなに遠い未来の話ではない。
今から人間の生死について考えるのに、早過ぎることはない。
そういうきっかけを与えてくれる書籍だ。
死について真剣に考えて、自分なりの生き方を実践していきたいと思う。
(2025/4/27日)