書籍【アルゴリズムの時代~機械が決定する世界をどう生きるか】読了
我々は「自分たちの力だけで意思決定することが、すでにできなくなっている」という事実を正視できるのか。
このように問われたら、ドキッとする人が多いかもしれない。
コンピュータが超高性能化したことで、すでに人類は、思考の大部分をコンピュータに操作されている。
それにも関わらず、ほとんどの人類がそのことを認識せず、気付かずに日々の生活を送っているという。
人類の意思決定力が極端に弱まった、という話では、決してない。
様々なデータを解析するアルゴリズムが、我々の生活の隅々まで侵食しているという話なのだ。
本書は、様々な事例について、「人間が意思決定しなくても、社会生活が成り立っている」という恐ろしい状況を紹介している。
本書の日本題名のサブタイトルは「機械が決定する世界をどう生きるか」だ。
我々は最早この状況から逃れられない。
社会インフラという以上に、身体の一部と化してしまった「インターネット接続されたスマホ」を手放すことは、現実としてあり得ない。
我々が無意識に行っている行動履歴の全てが、スマホを通じてクラウド側に送られる。
文字通りアルゴリズムによって解析されて、その人のその状況に合致した内容が違和感なく表示される。
すでにアルゴリズムの方が、あなた以上にあなたのことを理解している状況なのだ。
それは、お薦めの表示だったり、友達のタイムラインだったりするのだが、私たちは既にその表示を気持ち悪いとは思わずに、違和感なく受け入れている。
実際は、あなたの行動全てを解析して、機械側が恣意的に表示した内容なのにも関わらずだ。
もしその実態に気が付いたとしても、「なぜそれが表示されたのか?」という機械側のロジックまでを解き明かすことはできない。
それだけアルゴリズムは複雑化し、アルゴリズムに誘導されている。
こんなことを説くと、陰謀論のように聞こえるが、実際にそうなのである。
だからと言って、インターネットもスマホも無い生活ができるかと問われれば、それも不可能なのだ。
我々はこの呪縛から逃れることができない。
人間は一日24時間の中で、何千回・何万回も意思決定しているのだという。
当然数えたことはないのだが、もし仮に1日8時間は寝ていたとしたら、起きている時間は16時間。
1秒間に1回意思決定していたとしたら、16時間で57,600回となる。
今この文字をタイプする瞬間も、私は意思決定を繰り返している。
次は「a」のキーを押すのか、「e」のキーを押すのか。
考えたことを言葉で紡ぐことも、それをキーボードにタイプすることも、実はすべて私の意思決定のはずなのだ。
しかしそれらも含めて、すべて機械のアルゴリズムによって誘導されたものだったとしたら?
自分の意思と思っていたものが、全て勘違いだったとしたら?
私という人間は、そこに存在する意味があるのだろうかとさえ感じてしまう。
そういう時代がすでに訪れている。
確かに画像診断ツールや、再犯防止プログラム、自動運転などは便利かもしれない。
しかし、当然であるが100%完璧とは言い切れない。
95%はアルゴリズムが正しくて、残りの5%が人間が判断するのだと言うが、果たしてそんなことができるのだろうか?
これから生まれてくる子供たちは、「アルゴリズムネイティブ」だ。
95%正しい解答を出すアルゴリズムに対して、5%の間違いを人間が正すことができるのか?
その道の熟練者だから、画像の間違いを見抜いたり、危険な運転を制止できるはずなのだ。
生まれた時から95%正解のアルゴリズムに任せる生活をしていて、その道の熟練者になれるのか?
人間が画像診断を繰り返しているから熟練する訳で、運転だって、普段から運転していなければ、熟練の道に到達することはあり得ない。
機械を信じるか、人間を信じるか。
結論は「良いところ取りをせよ」ということであるが、そんなことが現実的に可能なのか?
我々はすでにアルゴリズムに支配されている。
まずそのことを認識することから始めなければいけない。
(2025/2/10火)