書籍【推しエコノミー~「仮想一等地」が変えるエンタメの未来】読了
エンタメビジネスは、その「本質」が非常に分かりづらい特徴があると思っている。
形として実態が見えづらく、価値が計りづらい。
法律上は知的財産権の一種となるから、目に見えない財産的価値を持っていることになっている。
しかしながら「果たしてその価値はいくらに相当するのか?」と問われれば、おそらく答えは人によって様々なものとなるだろう。
有名な原作を映像化したものであっても、出演者によっては、原作ファンが離れてしまう場合もある。
そして、出演者の人気は、そもそも水物である。
広く認知されているから、その人が出演すれば必ずヒットするという類のものでもない。
例え認知は狭くても、熱心なファンが一定数いることで、出演している作品が必ず買われるということもあり得る。
「原作」そのものも、その価値を正確に計るのは、非常に難しい。
日本が原作大国であることは、間違いない。
小説であっても、マンガであっても、これだけ層が厚い国は、他に類がないのではないか。
大量の作品が生み出される背景として、その作品を消費するだけの需要があるということ。
子供の頃から様々な原作に触れ、やがてその中から、将来のクリエイターが生まれていく。
世代を超えて、クリエイターを生み出すための循環が、自然と出来上がっている。
これだけの壮大な仕組みを、意図的に作り出すのは容易ではない。
日本という特殊な文化的背景が作り上げた、圧倒的な優位性だと思っている。
今までは国内のみで生産消費がされていたが、いよいよ世界に輸出され、成果を出し始めている。
日本製アニメについては、輸出の歴史が古いが、ようやくドラマ・音楽など他ジャンルにおいても認知が広がり始めている。
アニメの輸出の歴史が古いと言っても、今に至るまで相当な紆余曲折がある。
20年以上前から海外でも一部のファンに受け入れられてきたのは間違いないが、そこまで大きく跳ねることはなかった。
そもそも日本では子供も大人も、マンガ・アニメを普通に見るものだが、海外では大人は見ないことが常識である。
ターニングポイントとしては、大体2010年代後半以降となるが、動画配信プラットフォームが全世界にほぼ行き渡ったことが大きな要因だと思う。
簡単にアニメを見られる環境が、世界中で整ったこと。
動画配信では、字幕・吹き替えなどを豊富に揃えることで、外国語である日本語に触れるハードルを下げたこと。
内容的に日本文化を理解できない部分はあるとしても、徐々に受容されるようになったのだと思う。
ドラマ・音楽であれば、韓国が世界で成功した先駆者であるが、日本も韓国の先例を研究し、今はこちらも効果を出し始めている。
もちろん日本発アニメが世界でヒットすれば、主題歌のヒットにも繋がるし、同じ原作の実写ドラマも見られる、という相乗効果にもなっている。
世界的にも、エンタメの背景が大きく変化しているのは間違いない。
「優れたコンテンツ」を「世界に販売する」という、単純な図式だったコンテンツビジネスが、ファンを巻き込んだものに進化しているため、ビジネスとしては複雑化している一方で、盛り上がると一気に大きなムーブメントになるという面白さも生まれてきている。
まさにエンタテインメントの醍醐味と言えるが、益々「本質」が分かりづらく、価値が計りづらくなっている。
これらを上手くコントロールしているのが、優秀なプロデューサーということになるが、そこに辿り着くまでが大変だ。
様々な試行錯誤を繰り返して今に至っているのだが、これらは理屈ではなく、プロデューサーの才覚に頼っている部分が大きい。
今後は、さらにテクノロジーが進化していく中で、人々の行動心理を理解して、プロデューサー自身も思考をアップデートし続けなくてはいけない。
一朝一夕にはいかない難しい職業である一方で、非常にやりがいのある仕事である。
作品を生み出すプロデューサーが、どういうファンを獲得して、どういうコミュニティを作り上げていきたいのか。
ここまで思考を巡らせながら、作品作りを並行して行うのだから、クリエイティブな能力以上の才能が必要なのは、言うまでもない。
特に、コミュニティ作りは、非常に難しい。
本書内にも記載があるが、まさに「運営」とファンとの距離感づくりである。
当然、プロデュースサイドである「運営」の考え方ひとつで、ファンの信頼を勝ち得るか、離れてしまうかが決まってしまう。
世界中が総クリエイターになっている時代、さらに生成AIを使って無尽蔵にコンテンツを生み出せる時代に、群雄割拠の中からアタマ一つ抜け出すために何が必要なのか。
その差別化の一つが「推し」であることは、非常に説得力がある。
確かに、あの人にとっての「推し」は、他人にとっては興味がない存在だったりするかもしれない。
非常にニッチかもしれないが、推しのファンがいることで、そのコミュニティは確実に存在価値がある。
「コンテンツビジネス」→「エンタメビジネス」に移行し、さらに「推しエコノミー」に進化している点は、非常に納得感がある考察だ。
これが世界的にも同一現象なのか、日本特有のものなのか。
インターネットによって世界中が繋がってから約30年が経過している。
国の文化はそれぞれあるかもしれないが、「推し」という独特の感覚は、日本ならではと思えてしまう。
海外でもアーティストの追っかけはいるかもしれないが、何となく「推し」とは違う気がする。
日本の「推し活」は、外側から見ると控え目に見えるのだが、内なる情熱はすごいものを感じる。
宝塚などは、典型的だと思う。
ファン同士ここまで規律が取れていて、1人の推しをみんなで愛でる文化は、特殊としか言いようがない。
本書内で面白いと思った点は、「キャラクターは貨幣と同じ」ということ。
推しとは、まさに作られたキャラクターである。
その存在に当然金銭的価値が生まれるのだが、その価値をタンス預金のように溜めていても意味がない。
キャラクターを流通させ、動かすことで、価値を生み出す。
推しはもちろん実物の人間である必要がない。
アニメのキャラクターでも成立する訳で、数々の日本の有名なキャラクターが推されて、活き活きと活動をしている。
この感覚は非常に不思議だ。
ある意味で、日本人が元々もっている文化的背景があるからこそ、成立した考え方のような気がしてしまう。
自然のあらゆるものを神様と見立てる、「八百万の神々」という感覚が、キャラクターに人格があることを肯定しているような気がする。
これが更に進化して、「2.5次元舞台」なるものを生み出したのだから、日本人の想像力は群を抜いている。
もはや俳優なのか、キャラクターなのか紙一重であるが、そんな様子もファンは楽しんで推し活に励んでいる。
ある意味では「想像力が豊か」と言えるが、ある意味では「何でもあり」。
そんな節操のなさも、日本から新しい作品が生み出される原動力になっているのだと思う。
とにかくエンタメビジネスは「推しエコノミー」へと進化し、これからも発展していくことは間違いない。
この業界に身を置いて長くなるが、今後の進化が楽しみである。
日本発の秀逸な作品が、これからも生まれ続けることを期待している。
(2025/7/13日)