書籍【生成AIで世界はこう変わる】読了
生成AIは汎用技術となり、これからの未来社会を変えていくことは間違いない。
今現在も、日々新しい機能が追加されて、世間を賑わせているが、これがいつか普通になり、生活の一部に当たり前のように組み込まれていくはずである。
我々はそんな過渡期に生きているのだと、自覚しなければならない。
AIに何が出来て、何が出来ないのか。
人間に何が出来て、何が出来ないのか。
そんな議論も闊達に行われているが、人間とは案外忘れっぽいもので、日常生活に組み込まれた段階で、普通に何もなかったようにAIを使いこなし、共存していくような気がする。
それは過去の歴史を紐解けば、ある程度は理解できる話だ。
今や電気なんて、使えるのが当たり前だし、インターネットだって日本で言えばほとんどの人が普通に使いこなしていると言っていいだろう。
(一部の高齢者は、今でも難しいかもしれないが、裏側システムのほとんどはインターネットの仕組みで動いていたりもする)
だからこそ、AI進化中の過渡期である現在が、混迷しているのも事実である。
先が分からない未来に対して、「こう変わる」という答えを求めたい気持ちもよく分かる。
私自身も様々な書籍を読みながら、未来世界を夢想して、自分をどうやってその未来に対応させていくかを考えているからだ。
自分を追い込んでいく、というよりも、むしろ未来がどうなるのかワクワクしながら想像している方が合っている。
子供の頃に夢見た未来世界が、ほんの数年後に訪れるのだと思うと、本当に感慨深い。
2022年に突然登場したChat-GPTは鮮烈だった。
生成AIが「言語」を獲得したということが、本当にすごいことだと思う。
人類も言語を獲得したことで「認知革命」に繋がったというのは、「サピエンス全史」で語られていたことだ。
言葉を操る生物は他にも確認されているが、人間の言語は他の生物とは大きく違う。
それは「概念」についても伝えられるようになったことだという。
これは確かに大きい。
AIが今後「概念」を理解していくかは分からないが、現状の生成AIの回答文章を読んでみると、大きな違和感を感じられない。
これらAIの進化を追いかけてみると、技術的には「ディープラーニング」が一つのブレイクスルーだったと言われている。
ディープラーニングの技術については割愛するが、それによってAIが得られたものは、生物でいう「目」だと例えられている。
目の獲得によって、大量のデータから様々なことが分析できるようになった事が、具体的な大きな変化だ。
画像診断などが代表例だが、人間が自分の目で見るよりも、AIの目を使った方が、より正確に物事を観察できる。
リアルタイムで高解像度のカメラを使うことに限らず、撮影済みの画像や動画を後から読み込むことも、AI側の技術的処理としては同じようなものだ。
少なくとも、カメラ撮影した画像を認識して、何らかの回答を出せるということであれば、それは目を獲得したと言ってよいだろうと思う。
そしてディープラーニングの技術をさらに進化させたものが「生成AI」だとすれば、それは「言語の獲得」と例えられるとのこと。
これも納得だが、人類が言語を獲得して、認知革命に繋がったのは前述の通り。
つまり、「AIに認知革命が起きたことと同等」という論に、さらに納得してしまった。
これは、時代の転換点を考えると、非常に意味深い話だと思う。
賢い蟻も、愚かな蟻も、人間から見たらほとんど同じ。
「賢さ・愚かさ」に多少の差があったとしても、それは人間からすればほとんど関係がない話だ。
これと同じことが、これからAIが進化した先にある「超知能AI」にも当てはまることとなる。
賢い人間も、愚かな人間も、超知能AIから見たらほとんど同じ。
人間にとっては大きな差かもしれないが、その頃の超知能AIにとっては、関係ないレベルということになる。
生成AIが超知能AIに進化し、人間の思考をはるかに超えた存在になっていく。
現代の天才たちですら、AIが進化して、未来がどう変化していくのか、想像がつかないと言っているのに、そんな未来世界で、本当に人間は何をすべきだろうかと考えてしまう。
過渡期の現在だが、むしろこの流れをきちんと把握しておかないと、後からキャッチアップしようとしても、これは相当に大変になってしまう。
そういうつもりで、今の段階から少しずつでも追いかけていくしかない。
2025年の現時点でも「分からないことがあれば、AIに聞けば何でも解決してくれる」という状態だ。
生成AIの活用方法を、それこそ生成AIに聞いてみればいい。
人間がAIともっと会話して、人間自体がAIの思考法を知ることが必要な気もしている。
今後、人間が生成AIに問うことで、大量の回答が生成され続ける。
これら回答の一つひとつが情報であり、コンテンツとなり、他の人々の生活に影響を与えていくのは間違いない。
生成AI以前は、メディア企業が発信する情報に価値があったし、爆発的なUGC(User Generated Content=ユーザー生成コンテンツ)によって、個人がいとも簡単に情報発信できる時代になった。
今後、「情報の価値」はどう変化していくのだろうか。
生成AIが無尽蔵に情報を生成できる中で、人間自身が発信する情報は価値を生み出せるのか?
人間が敢えて創作する価値(意味)とは何なのだろうか。
やはり様々なことを考えてしまう。
今すぐには自分の中で答えが出せないが、問い続けること、模索し続けることが大事なのだろうと思っている。
時代は大きく変化している。
生成AIと上手く共存して、生き残っていければと思う。
(2025/5/24土)