書籍【日本はデジタル先進国になれるのか?】読了
日本でようやくデジタル庁なるものが、立ち上がった。
国内のデジタル化を推進していく省庁としての役割だが、風当たりは想像以上に強い。
担当の方々は本当に大変な思いをして、進めているのだろうと推察される。
企業も似たようなもので、「DX推進」の旗を振って、部門を新たに設置して試みるのだが、これがまたなかなか進まない。
各部門に任せていても進まないから、わざわざ別部門として独立させている訳だが、部門間の壁は想定以上に高い。
「現場はただでさえ忙しい」ということを言い訳にして、新しいことを覚えることにはそもそも後ろ向きだ。
忙しいのは理解できるが、この変化の激しい時代に、現状維持のままで生き残れると思っているのだろうか。
現業の仕事を半分の労力で終わらせ、余った半分の力で、将来のための学習をするという発想にならないのだろうか。
去年と同じアウトプットであれば、同じ労力をかけていることが間違いで、それこそ超工夫をして、倍以上の効率化を目指すべきだ。
現場の言い訳を聞いていると、「甘い」としか思えないのだが、額面通り相手に返すと、余計に殻に閉じこもってしまう。
グッと我慢して、手取り足取りデジタル化について、牛歩の如く進めているのが現状である。
アナログをそのままデジタルに置き換える、デジタイゼーション
工程をデジタル化することで、効率化を促す、デジタライゼーション
デジタル化で新しい価値を生み出す、デジタルトランスフォーメーション
この3語はよく区別されて使われる。
この言葉を聞いたのもコロナ禍の最中で、今となっては死語になりつつあるのかもしれない。
それだけDX化が進んだ会社は、とっくに先を突っ走っており、デジタイゼーションすらままならない組織は、益々後れを取る一方である。
企業のDX化がこれぐらい大変なのだから、それを国家レベルで行うのは、相当に大変だろうと感じてしまう。
日本全体で高齢化が進んでいるのも要因だとは思うのだが、年齢を重ねると、新しいことを覚えるだけで一大事である。
企業のように「覚えないと評定に影響する」など、追い立てられる何かがなければ、なかなか自ら進んで覚えようとはしないだろう。
あくまで例えであるが、すでに定年退職した無職の高齢者が、新しいことを覚えるモチベーションは何なのだろうか。
「スマホで完結できる」と言われても、そもそもスマホを使いこなしている人でなければ、試してみようとも思わないだろう。
しかも、たった一人で家で試してみようとはなかなか思わない。
誰か若い人にサポートしてもらった方が、安心なのは間違いない。
世代によっても感覚は違うと思うが、一人でどんどん勉強して、行政手続きも何もかも一人で完結できる人は、それこそ稀だろうと思う。
実際にはほとんどの人が、誰かに手伝ってもらいながら、できればその道の詳しい人に代わりに作業をしてもらった方が有難いとすら思っているのではないか。
何ならそれに対して、対価を支払うことも厭わない。
孫にスマホの設定をしてもらって、お礼に小遣いを渡す方が、何となく互助的で社会的に意味があるような気もする。
そんなことを考えると、「新しいことを覚える・試す」という壁を乗り越えるのが、益々難しいと感じてしまうのだ。
逆に言えば、この壁をどういうアイディアで突破していくのか。
利用者がほとんど意識をしなくても、息を吸うがごとく、歯を磨くがごとく、ストレスなく簡単な操作だけで完結できるようになれば、徐々でもいつの間にか世の中に浸透していくだろうと思う。
そこまでの技術的なブレイクスルーを作り上げることができるのか。
もちろん入力デバイスという、ハード・ソフトの改善の話だけでなく、UI/UX、オペレーション、ユーザの感情、様々なことが障壁なくスムーズに流れることを構築する必要がある。
それをデジタルの世界でどうやって作り上げていくのか。
非常に難しいことに感じてしまうが、ある意味で野心的だし、やりがいがある。
AIやロボット含めて、これからの時代が劇的に変化していくことは間違いない。
「日本はデジタル先進国になれるのか?」
これだけ考えると、相当に難しいだろうと思う。
しかしながら、そもそも「デジタル先進国」の定義が曖昧だ。
人によって「デジタル先進国」のイメージはバラバラだろうから、「これぐらいで合格としようか」という、一定の合意が得られればよいと思う。
個人的な意見にはなるが、「先進国・後進国」という言葉は、すでに他国との比較で物事を考えているので、あまり競争的に捉えない方がいいのではないかと思っている。
先進か後進かは別として、「日本は独自にここを目指す」という方が、日本らしくてよさそうな気がするのだ。
世界的に見ても、あまりにも特殊で、他に類を見ない国家であるニッポン。
だからこそ、他国との比較でなく、独自路線でデジタル化の未来を見ていけばいい。
「そんな未来も、人によってイメージがバラバラじゃないか」という指摘もありそうだが、何となくそこは、日本国民の中に共通の認識があると思うのだ。
21世紀の未来から来たネコ型ロボットの世界観を、理解できない日本人はいないだろう。
宇宙世紀と言われる時代に、地球ではなくスペースコロニー内で一生を過ごすという未来世界のことを、リアルに想像できる人も多いだろう。
情報ネットワークが進化し、一方でフィジカルな肉体がサイボーグ(義体)化し、それらが融合する電脳社会が当たり前となる世界についても、比較的容易に受け入れることができるだろう。
これらが、幼少の頃から当たり前のように我々の心の奥底に植え付けられている。
日本独自の理想的なデジタル社会を、デジタル庁が先導になって構築していけたら、これはこれで非常に面白い。
単なるデジタイゼーションでは終わらずに、真の意味での「DX化」を、国家レベルで達成できればと思っている。
(2025/5/20火)