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ウォール街での出来事

1995年9月にウォール街にあるB.C.M.Gという会社に転職した直後、大和銀行の債券トレーダー井口俊英氏の巨額損失隠蔽が発覚し、アメリカ当局の日系金融機関アメリカ支店への検査が一斉に入りました。 私は日系金融機関アメリカ支店から仕事を取ってくることを期待されて採用されたのですが、担当者と名刺交換さえ出来ない状況が続きました。

同社はいわゆるウォール街の会社で、成績をあげられない社員は容赦なく解雇され、出勤後社長室に呼ばれて、そのまま荷物をまとめて帰るといったことが日常的な会社でした。 私は来る日も来る日も『今日出社したら社長室に呼ばれる』と思いながら、マンハッタンの地下鉄で通っていましたが、ある朝耐え切れず、自分から社長室に行き、覚悟を決めて『クビにして下さい』と申し出ました。 

人を次々に解雇する社長のボブは冷徹な人間と思っていたので、『Bye!』と一言で終わるかと思っていたのですが、『Isn’t it your fault?Nobody can do in your position. Think about what you can do now and just do it.(お前のミスじゃないだろ?お前の立場では誰も何も出来ないのは同じ。今やれることを考えて、ただそれをやってくれ)』と言われ、不覚にも涙してしまい、『この社長のためにやれることから頑張ろう!』と思いました。 仕事で涙したのは、後にも先にもこれ一度きりです。

 その日の夕方から5時定時になると、今はなきワールドトレードセンターの1階に行き、ビルから出てくる日本人に一人一人声をかけました。 なぜなら当時NYマーケットで最も取引高の多かった第一勧業銀行のNY支店がワールドトレードセンターにあり、まずは同行の担当者に会うために日本人を見かけると、『第一勧業銀行さんの方ですか?』と声をかけていったのです。

 そんなことをし始めてから10日~2週間ほどした頃に、また日本人を見つけて声をかけると、『あぁ、君か!うちの行員を探してる日本人がいるって噂になってるけど、君だったんだね!』と言われたのです。 事情を話すと、『じゃあ、明日担当者に会わせてあげるから、来なさい』とおっしゃって頂き、ようやく同行の担当の方と名刺交換することができました。

 名刺交換できたからと言ってすぐに取引してもらえる訳もなく、日々情報提供を行ったり、食事にお付き合いして頂いたりといったことから始めました。 そんなある日、会社に出勤すると、私のデスクの上が消しゴムのカスでいっぱい。 足元のごみ箱もごみでパンパンになっていました。 周りも見ると、同僚たちは何やらニヤニヤ。 すると、そのうちの一人が私に向かって輪ゴムをピンピン飛ばし始めました。 『What?What?』と私が理解できずにいると、また別の同僚の一人が歩み寄ってきて、『Today is Pearl Harbor. You know what. Rachael’s granpa got killed in there. Say sorry to her. (今日は真珠湾攻撃の日だよ。お前知ってるか?同僚のレイチェルのおじいさんは真珠湾で殺されたんだ。 行って謝ってこい。)』と言ってきたのです。

 普段仲良くしている同僚全員が『仕方ないね』という雰囲気になっているのも驚きでしたが、雰囲気的に断れない状況だったので、同じ部署で唯一の女性だったレイチェルの所へ行き、『I feel sorry for your granpa. (君のおじいさんのことは気の毒に思うよ)』と伝えました。 すると、レイチェルが立ち上がり『Who said my family things to Kei. Shame yourself.(啓に私の家族のことを話したのは誰れなの!恥を知りなさい!)と言って同僚の男性全員を一喝したのです。 そして、レイチェルは嫌な思いをさせて本当にごめんなさいと言ってくれて、後日彼女の家のクリスマス・ホームパーティに呼んでもらえました。

 この事があった朝、いつものように第一勧業銀行の担当者と電話で話し、『ちょっと聞いて下さいよ。今朝こういうことがあって、すごく悔しかったです』と言うと、『そうか、じゃ、ちょっと待って。3month Yen(三か月先の売買値)100本集めて』と依頼を受けまし板。

 通常の取引単価が20本(約20億円)だったので、100本はとても大きな引き合いでした。 『DKB(第一勧業銀行の英語略称)needs hundred, 3month Yen』と叫ぶと、同僚は一斉に世界中の銀行に呼びかけ、100本の買値・売値をそろえたことを第一勧業銀行の担当者に伝えると、『All yours.(全部売れ!)』との指示がありました。 突然の大商いに当日の相場は大荒れとなり、取引が一段落した頃に、私がNYに行って初めての取引が大商いを呼び、しかもそれが真珠湾攻撃の日だったので、『Pearl Harbor again.』と言われましたが、大商いに同僚も大満足そうでした。

 プロフィールには、社会人3年目でウォール街からヘッドハントなどとカッコ良く書いたりもしますが、行った当初は本当に大変でした。 若い頃の苦労は買ってでもしろと言いますが、いい経験が出来たと思います。