人生自転車創業中!
自転車操業ではなく創業と書いたのは誤植ではないです。
30歳という自分の半生についてつらつら書いてみようと思います。
ファミコン全盛期の時代に生まれました。子供の頃はゲームが好きで、友達と毎日ゲームばかりやってました。自分も面白いゲームを作りたいと思い、将来はゲームプログラマーになるのが夢でした。
中学生の頃、ソフトバンクがISDNからADSLの回線網を導入したことでこれからはITの時代だという思いが更に強くなりました。当時のISDNと言われるダイアルアップの回線はインターネット接続までに数十秒待たなければならず、回線速度も遅く、ブラウジングもホームページの表示も数十秒かかるくらいの速度でした。友人のカメラ屋のホームページを見せてもらい、ダイアルアップは従量課金のため、繋ぎすぎて友人の父親から怒られたこともありました。その当時はあまりピンと来なかったのですが、それが当時ネットワーク後進国だった日本にとって革新的なことだったのだと後に知ります。
高校の授業で簡単なホームページを作ったのが初めてのプログラミングでした。当時はJavaScriptはおまけのような扱いでHTMLタグとCSSを駆使して簡単なレイアウト作成とリンクを設置していたのが良い思い出です。サーバプログラミングはPerl言語でのCGI、Flashアニメーション全盛期の頃の話です。
大学に入ってゲームプログラミングをしたいと思い、プログラミングでゲームやアプリを作るサークルでシューティングゲームやらARのアプリなどを作ったりしていました。大学の学祭や複数の大学共催で毎年出展しているのですが、中々好評だったのを覚えています。
大学3年の頃、当時リーマン・ショックで就職は絶望的でした。そんな折、倍率10倍のコナミの社員育成機関にプログラマー生として受かり、ゲームプログラミングを本格的に学ぶことができました。大学3年までにほとんどの単位を取っていたのが幸いしました。ダブルスクールで週5日コナミに通い、月曜日午後に研究室、土日に卒業論文を書くという生活を1年間続けていました。
大学卒業時に本当に自分がやりたいことは何なのか悩みました。このままゲームプログラマを目指してよいのだろうか?と自問しました。当時祖父が癌で寝たきり状態で、自分がやりたいのはゲームではなく、ITを使って人の役に立つことをしたいと考えるようになりました。ゲームプログラマの道を辞め、大学院に進み、顔の動きでUI操作できる研究をしていました。寝たきりの祖父のため、というわけではないのですが自分が作ったものが何かしらの形で役に立てれば良いと思っていたのかもしれません。(結局研究が完成する前に祖父はなくなりましたが・・・)
修士1年の頃、就活時に3.11の地震が襲います。都内でも停電し、電車も全線止まり、渋谷から家まで徒歩で帰宅しました。津波の映像が連日テレビで流されていたのは今でも覚えています。またも就職は厳しかったのですが、このときにソフトバンクに入社することができました。
ソフトバンクでは、お父さん犬アプリを主に作っていた部署に配属されて、本社の入退館システムや動画作成基盤プロジェクトやクーポンアプリの開発などしていました。スマホのアプリ開発に初めて触れたのがこの頃でした。かざしてGO!という画像認識アプリではiPhone全種およびAndroidの当時国内全180機種中110機種対応しました。
特に大きな仕事は3年目の頃のかざして募金プロジェクトです。ソフトバンクでは毎年3.11のチャリティを行っているのですが、前身となるかざしてGO!をベースに募金団体のポスターをかざすと各募金団体のページに飛んで募金ができるアプリ部分全般を担当しました。今では7億円規模の募金が集まりました。
4年目には大企業特有の組織の動きが遅い部分や自分主導でサービスを決められないことに嫌気が差し転職を決意しました。スタートアップのベンチャーを探していくうち、クラシルという料理動画サービスをやっているスタートアップを見つけました(料理も好きで動画開発の経験もあったので自分にはマッチしていました)。クラシルでは創業者のCEOとCTOが僕よりも若く20代で、1度失敗してそこから立て直したという話を聞いて興味を持ち、自分もこのサービスを成功させたいと思いジョインしました。
クラシルではAndroidアプリ全般を初期から主担当し、数万から数百万DLまでアプリを支えてきました。社員のモチベーションも高く、料理人が日々新しいレシピを考案&調理し、編集が動画を作成し、アプリで動画を配信し、フィードバックをユーザからもらうというサービスのサイクルができていました。2016年の冬にはGoogle Play自己改善アプリを受賞、2017年5月にはテレビCM、6月にはGoogle Play、Apple Store無料アプリダブル1位獲得など料理動画アプリ開始からわずか約1年で達成しました。特に成功した要因が大きかったのはデータ分析周りやサービス改善に対する意識が役員を筆頭に、社員総じて高かったことだと思います。
1年後の現在、今度はさらに創業期部分でチャレンジをしたいと思い、ミツモアというサービスにジョインしました。ミツモアは依頼をしたいユーザと見積りを取りたい地域の事業者(プロ)を結びつけるマッチングサービスです。事業者の業種も多く、ユーザと事業者を結びつけるところで課題もたくさんありますが、どこに頼めばよいのか困っているユーザと見積りが取れなくて困っている中小規模の事業者を結びつける良いサービスです。
今は誰でも新しいサービスを立ち上げられるチャンスの時代だと思っています。当時だったら数十人規模は必要だったサービスもクラウドのインフラを使ったり、ツールやライブラリも充実しているため、数人規模でも立ち上げられるし、運用もできる。これによって大手のサービスでも数人規模のサービスに勝てないという状況が生まれます。逆に言えば起業家や開発者にとってとても恵まれた時代だと僕は思います。そんな中でサービスにどんなバリューを出せるのか、どうすれば競合と差別化できるのか、サービスそのものについて考えていくことがこれからは大事になっていくのだと思います。