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43歳の敗北を振り返り、44歳になしたいことをこっそり打ち明ける



 44歳の誕生日に、娘の看病をしている。
前日は娘の誕生日で、家族で江ノ島まで行って、彼女にとって初めてのサーフィンを一緒にやった。



 楽しかったのだけれど、そこから熱と寒気が出始めた。
旅行は僕と娘だけ先に帰ってきた。誕生日はこのまま娘の看病で終わるだろう。



 でも、おかげで娘が寝ている間に、静かに自分と向き合える。
書きながら、もがきながら進んだ1年を振り返ってみたい。



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43歳の達成と
1つの個人的な敗北
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【フローレンスの理念と存在のリニューアル】


 ビジョンやミッションやそれに伴う理念の全てを書き換えた。



 簡単にいうと、「保育や子育て支援領域の代表的ソーシャルビジネス」としてのアイデンティティを手放して、「未来世代のために何でもやる存在」になった。



            タグラインは「こどもたちのために、日本を変える」
             「こどもたち」は、未来世代全てを含んでいます



 事業も、法律改正も、ムーブメントづくりと、その先にある価値観や文化の変革も、全部。



 書くと三行だけど、ここに至るまで2年近くかかった。
最初は一番近くにいて、一番理解してくれるはずだった仲間にさえ理解されず、吐きそうに辛かった。



 けど、今はみんなと心を一緒に進められていて、嬉しい。



 本筋じゃないけど、そこから導き出された答えは、こんなにも自分は理解されたがっていたのか、という、自分への戸惑い。お前、いい年して何を求めてるんだよ、と自分につっこみつつ、それって自分が小さい頃から「自分を分かってくれる人はいない」っていうメンタルモデルの中で過ごしてきたということで。



 中年になってトラウマに気づいて、トラウマによって引き起こされたこれまでの人生の色んな選択に、ただただ身悶えするような感覚に襲われて。



 まあでも、恥の多い人生を悔いても何も生まれず、だとするならば新しくリニューアルしたフローレンスを、精一杯羽ばたかせ、多くのこどもたちを助けられるようにするのが、せめてもの過去の自分への抱擁に繋がるだろう、と今は思いたい。



【通園バス「置き去り防止装置」義務化の実現】


 バスに置き去りにされて亡くなった子どもがいた。しかも2人も。



 カラカラの水筒が遺体の近くに落ちていたことが、多くの人々の心に、痛みを感じるような悲しみを与えた。



 ヒューマンエラーは起きる。だったらテクノロジーを使って、二度と悲劇を起こさなければ良い。



 ネット署名キャンペーンを行って、「置き去り防止装置」の設置義務化を訴えた。



 たくさんの人たちが署名に協力してくれた。感謝してもしきれない。



        小倉大臣は、この他日本版DBSの範囲拡大などにもご尽力くださいました



 そして当時の小倉大臣は太い署名の束を受け取ってくれ、その翌日に義務化を宣言してくれた。



 水面下で官僚の方々とやりとりしていたが、彼らは何日も寝てなかった。
「仕事を増やしちゃって申し訳ないです」と謝ったところ、
「なんの。想いは一緒ですよ。もう子どもがバスで死ぬのを見るのはイヤなので」
 忘れられない言葉だった。



 現在、半分近くの通園バスで置き去り防止装置が設置されているようだ。
それは単純に嬉しい。



 けれど、普通の車では、相変わらず子どもが置き去りにされて死んでいる。つい最近も。



 バスで置き去り防止装置の設置が義務化できたんだったら、一般車両にも広げられないか。チャイルドシートが義務化されているように。そこにアタッチメントで付けるだけで良い。



 そんなことを、今、ぼんやりと考えている。



【赤ちゃん遺棄ゼロを目指して。フローレンスの「無料産院」事業スタート】


 相変わらず虐待通告件数は増え続けている。虐待死も横ばいだ。
そしてその半分は赤ちゃんだ。



 生まれたばかりの、これから人生が始まろうとしている、希望が人の形をして出てきた、赤ちゃん。



 そんな赤ちゃんが2週間に1人、死んでいる。



 死因は遺棄だ。



 望まない妊娠。そこに母親が貧困だったり未成年だったり精神疾患を抱えていたりすると、絶望から赤ちゃんを捨てる。捨てざるを得ないところまで追い込まれる。



 追い込まれた妊婦は病院には行かず、自宅で出産する。そのまま遺棄へ。



 一度でも病院に来てくれれば、そこから福祉へと繋げられる。病院とのつながりは、命のつながりだ。危険な在宅出産も避けられる。
なぜ病院に来ないのか。



 答えは簡単。経済的な理由だ。





 受診、出産には金がかかる。補助は後から来るが、今払う金がない妊婦たちがいる。



 だったら、金はフローレンスが払う。だからお願いだから、病院に来てほしい。



そう思って始めたのが、フローレンスの「無料産院」だ。



                 厚労省で無料産院の記者会見



 無料産院として提携してくれた病院は、困難な妊婦を無料で受け入れてくれる。



 費用は後でフローレンスに請求すれば良いので、金銭的負担はない。
京都の足立病院グループさんが真っ先に手を挙げてくれた。こども宅食で生まれた絆だ。



 そこから東京都のまつしま病院さん、岐阜のいとうレディースケアクリニックさんが加わってくれた。今年度中に提携病院を10ヶ所にできたら、と思う。



 そしてこの実績をてこに、日本版「セイフ・ヘイブン・ロー」を提言していきたい。



 セイフ・ヘイブン・ローはアメリカにある法律で、「育てられないと思ったら、警察や消防など、公的機関に子どもを連れてきて、政府に子どもを託すことができる。親は罪に問われない」という仕組み。



 これがあれば、赤ちゃんを遺棄する必要はなくなる。完全に。



【「みんなの保育園」構想が「こども誰でも通園制度」として具現化】


 「なんで保育園って、働く親の子どもしか行けないのだろう」



 「親が働けないから、その代わりに子どもを面倒見る施設として始まったんだから、当たり前だろ。」
もう1人の僕が言う。



 でも、働いていない親の方が孤立に陥りやすいし、虐待のリスクも高い。
なのに、保育園はほぼ働く親だけを対象にしている。



 待機児童問題も終わりかけて保育園が空き始めている今、保育園を「開く」チャンスだ。70数年間の保育の歴史を変えるのは今だ。



 そう思って、「みんなの保育園」構想を発表し、専業主婦や働いていない(働けない)母親層の保育園通園ニーズを可視化。記者会見を開き、有識者会議や審議会、あらゆる場で「みんなの保育園」について語った。



 そこから1年6ヶ月。「みんなの保育園」は「こども誰でも通園制度」に名前を変え、骨太の方針に掲載。来年度の通常国会に提出されることに決まった。



骨太の方針というのは、国家の政策方針が記載されたもの。正式には「経済財政運営と改革の基本方針」



 僕の政策起業家人生の中で、最も大きな法改正となる。



 保育園が、全てのこどもたちの居場所となり、全ての親たちの子育ての伴走者となる。



 5年前の自分が聞いたら、夢物語だと一蹴するだろう話が、現実にならんとしている。



 ただ、気を抜いてはいけない。制度の神様は細部に宿る。



 大枠が良くても、細部でつまらない条文が入ると、せっかくの歴史的な改革も水泡に帰す。



 油断せずに、最後の一つのレンガまで大切に、両手で運んでいく。



 (ちなみにこういう「一円にもならないけど、世の中的には超重要」な政策提言ができるのは、毎月数千円、数万円の継続寄付をしてくれる数多の寄付者さんのお陰だったりするので、感謝してもしきれない。「寄付は不安定で・・・」とか言われがちだけど、寄付ほどレバレッジ効いて社会を変えるお金の使い方も実はないんだぜ、と言いたい)



【娘の受験の「成功」】


 何をもって成功なのか分からないから、カギカッコに入れた。
とりあえず行きたかった学校に行けた、ということをもって成功とするならば成功。



 でも長い人生の中で、受験での成功が人生の成功に繋がってくれるわけではない事例を嫌というほど見ているから、そこまで喜ぶものでもないと思いつつ。



 ただ、受験勉強にずっと伴走し、受験前日は一緒にホテルに泊まって、受験日は試験会場まで一緒で、終わってから直しをして次の受験会場に行って、みたいなことを仕事を2週間近く休んでやった身からすると、本当に肩の荷が降りたのもの事実。



 ほっとして涙が出た、恥ずかしいけど。



 今は楽しく学校に行ってくれていて、あの日々が嘘みたいだ。



 でも、次は下の子だ。二度とやりたくないのに、またか。
 もう勘弁して。



【妻のこまざき美紀の北区長選での敗北】


 43歳は自分の人生で最も大きな達成の1つもあったけれど、最も大きな敗北の1つもあったので、なんだか素直に祝えない。



 妻の挑戦は、最初は気分が乗らなかった。あまりにも難しい戦いだったし、800人の人生抱えた経営者やりながら、娘の受験にコミットしつつ、妻の選挙なんて、正気の沙汰じゃない。



 だけど結局一緒に闘うことになった。妻の社会を変える挑戦を見て見ぬふりしたら、自分の社会への挑戦すら嘘になるような気がして。育休ならぬ2週間の選休(選挙休)を取って。



 そしてあんなに濃く、辛い2週間もなかった。



 あまりにも辛くて、選挙直前のドトールで、5分だけあった休憩時間中、ボランティア仲間のみんなから隠れて、号泣したくらいだ。



 そして敗北。



          結果は次点で惜敗とも言って良い内容。妻は本当に頑張りました。



 感じたのは、
「ボランティアで力を貸してくれたみんな、投票してくれたみんな、ほんとうにありがとう」という泣きそうな思いと、
「ああ、自分にもっと力があれば」という泣きそうな思いだった。



 悔しい。もっともっと力をつけたい。



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44歳、
みんなと共にしたい
2つの仕事と
2つの個人的なこと
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【こどもの体験格差を無くすプラットフォームづくり】


 「海を見たことがない」
 そんな風に言う子どもたちが、僕らの支援先にはザラにいる。



 だからこの夏、 #夏休み格差をなくそう っていうキャンペーンをやった。
アソビューを始め、多くの企業さんが体験を寄付してくれた。



    JALさんから頂いた、「飛行機を格納庫で見て、機内食を食べれて、制服も着れる体験」



 親御さんからの応募も当初予想の3倍来て、
「忘れられない思い出ができた」
っていう喜びの声がたくさん届いた。嬉しかった。



 でも、体験や思い出の格差ができるのは、夏休みだけじゃない。
クリスマスにサンタは来ないし、正月にお節料理は食べられないし、
ゴールデンウィークにもどこにも行けない。



 1年を通じて、子どもたちがどんな経済状態にあろうと、体験ができて、
想い出が創れるように。



 日本中の子どもたちと企業とを体験で結びつけられるようなプラットフォームをつくれたら、と思っている。



            まだ仮案の仮案ですが、こんなことを考えています



 企業のみなさんに、力を貸してもらえたら。



【「あたらしい家族」制度をつくりたい】


 このままだと日本は高齢化する、と言うのは小学生でも知っている。
でも、ただの高齢社会化ではない。
「ソロ高齢社会化」だ。



 2040年には全ての世帯に占める単独世帯は4割超。
そのうち過半数が高齢世帯だ。
つまり、巨大な「ソロ高齢社会」が到来するのは、間違いがない。



               単なる高齢化にとどまらないインパクト



 高齢者が孤立して住むのは、支援のための行政コストがとても高い。
支援の担い手も減る中、持続可能なのかとても微妙だ。



 そこで、高齢者が「集って住む」(=ルームシェアする)ことを奨励する社会政策が必要になってくる。



 それが「あたらしい家族」制度だ。



               「あたらしい家族」制度(仮)の概念整理



 「あたらしい家族」制度は、自治体のパートナーシップ制度を拡張させ、



 「同姓だけじゃなく、異性でもOK」



 「性愛関係だけじゃなく、友人や親戚同士でもOK」



 「2人じゃなく、3人でもOK」



 とすることで、人生の後半に、血縁ではなく、「あたらしい家族」を作れる仕組みだ。



 子どもが大学生になって巣立っていったから、夫婦じゃなくて、気の合う女友達とルームシェアしよう、というマダムたち。



 妻に先立たれた男同士、力を合わせて楽しく一緒に住もうと言うシニア男性たち。



 気の合う独身オタク友達と一緒に住もう、というシングルアラフォー女子たち。



 どんな形であれ、「誰かとともに住む」ことが気軽にできて、それを後押しするような社会制度が必要だ。



 どこかの自治体で具現化できたら。そしてそれを国全体に広げられたら。
ずいぶん楽しい国になるような気がしないかな。



【「おとなルームシェア」を実践】


 「あたらしい家族」制度を作っていく。そうだとしたら、自分も率先してルームシェアしていきたいと思う。



 だって、自分でやってないと説得力ないし。



 週のうち何日か、おっさん3人で住むシェアルームで暮らすライフスタイル。



 これ、日本のおっさんは世界一孤独だって言われている(=それに伴って自殺率も高い)中、中年からルームシェアして他者とコミュニティを創っていって、人生の後半戦に備えるのって、一つのソリューションになると思う。



実際は高齢者になってから初めてルームシェアってハードル高いから、中年期からやっておくと良いと思               います



 少なくとも僕は個人的にワクワクする。人生100年時代において、何度も転職するように、家族の形もしなやかに創造的に変えていく。今は常識外れな考えだけど。



 「ルームシェアって若い層には広がっているけど、中年以降はまだまだ。」そんなことは分かってる。



 だったら、自分が実験台になって、あたらしい文化を創っていこう。



 【「文化」を創る】


 43歳では、事業を作り出せた(無料産院等)し、制度(置き去り防止装置設置義務・こども誰でも通園制)も生み出せた。



 でも、文化や新たな価値観は生めなかったな、と思う。



 42歳では、「政策起業家」と言う本を出し、世の中的に新しい概念を提起できた。つまりは文化創造にコミットできた。



 けれど、43歳は娘の受験や妻の選挙でてんてこ舞いだったし、仕事との両立で精一杯だった。



 ものを書いたり、書くために読んだり、新しいコンセプトを開発したり、それを発信したりと言うことが、十分にできなかった。



 フローレンスを、事業や制度を創るだけじゃなく、文化を創れるような存在になるよう、みんなでリニューアルした。



 だったら、経営者である僕自身も、そうありたい。




 44歳では、経営やりながらも、いっぱい文章書いたり、意味ある発信をしたりして、文化創造にコミットしたい。



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最後に(万感の思いを込めて)
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そんなわけで、超長文で振り返ってみたのだけど、やっぱり湧き上がってくるのは、周りのみんなへの感謝だ。



 経営も基本的につらいのだけど、経営チームのみんながいてくれるからやれてる、と思う。感謝してるんだけど、伝えきれてない。



               経営陣と理事のみんな。いつもありがとう。



 社員は800人くらいいて、全然会えてないから彼らにとって僕はあんまり身近なものではないと思うけど、僕はとても大切に思っている。それも伝えきれていない。



 友人たちも本当にありがたくて。でも友人っていうことに甘えちゃって、感謝や愛を伝えられていない。一緒に飲んだり、旅行してくれたり、笑い合ったりしてくれるみんな、本当にありがとう。いつも言えずにごめん。



          最近は友人たちと旅行に行けて嬉しい。想い出しか勝たん



          大学の頃からの友人も、いまだに繋がっていてくれてありがとう



 家族は、支えているつもりだけど、多分僕が一番支えられている。子どもたちとの日々は超大変で、早く親を卒業したいけど、でもこの日々が自分の宝物だっていうことも分かっている。この何気ない日常を抱きしめたい。



 伝えきれないくらいの感謝を、伝えられなかった愛しい人たちに。



 そして最後の感謝を、ここまで読んでくれた大切なあなたに。


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