こんにちは!寺西巧です。
デスクの引き出しの奥を整理していたら、学生時代から使っていた古い木製の定規が出てきました。表面の目盛らは少し擦り減り、端の角は丸みを帯びていて、独特の温かみを感じさせます。現代のデジタルツールのように正確なピクセル単位を測ることはできませんが、その使い込まれた質感を手にとった瞬間、なんだか心がすっと落ち着く感覚がありました。プラスチック製の透明な定規とは違い、光を透かさず、滑りすぎず、しっかりと紙を押さえてくれる手応えがそこには残されていたのです。
この定規を眺めながら、人はなぜ物事を測りたがるのだろうかと考えていました。長さや高さ、スピードや効率といった数値を求めることで、私たちは世界を正しく把握できたような安心感を得ています。しかし、数値に表せない価値こそが、人の心を動かす本質なのではないでしょうか。たとえば、人と人との絶妙な距離感や、画面の中で息づく映像の間合いのようなものは、目盛りで正確に測定することができません。目盛りの刻まれていない部分、つまり計測不可能な部分にこそ、豊かな表情や情緒が潜んでいるのかもしれません。
日常のあらゆる場面において、私たちはつい明確な正解や最短距離を求めてしまいがちです。けれど、効率だけを追求して無駄を削ぎ落としていくと、どこか殺風景で息苦しい世界になってしまいます。きっちりと測定された直線と直線の間に、あえてあやふやなゆとりを残してみる。そんな曖昧さを残すゆとりがあるからこそ、私たちは新しい着想に巡り会えたり、誰かの温もりに気づくことができたりするのではないでしょうか。きっちりと枠にはめるのではなく、あえて測りきれない部分を大切にすることが、毎日の暮らしに深みを与えてくれます。
手の中にある古い木製定規をもう一度静かに眺めてから、ノートの余白に一本の線を引いてみました。デジタル画面上の完璧な直線とは違い、手描きの線にはわずかなゆらぎが含まれています。その不均一で人間らしい線のニュアンスこそが、作り手の体温をそのまま伝える大切な要素なのだと実感しました。完璧すぎないものの中に宿る美しさに目を向けることで、いつもの景色がより愛おしく見えてくる気がします。