Garamondってどんなフォント?
長らくApple社の企業ブランディングや、英語版『ハリー・ポッター』の本文用書体、化粧品ブランドL'OCCITANEのロゴにも使用されていたGaramond。実はその源泉を辿ると大きく2つのルーツが存在することをご存知でしょうか?そして500年もの歴史を持つこの書体が現代においてもなぜ選ばれ続けるのか。前編では16世紀のフランス・ルネサンス期まで遡りGaramondのその歴史的背景を調べていきたいと思います。

L'OCCITANEの広告。ロゴの部分にGaramondが使われている。
(L’occitane with MINGYU 「Take time」キャンペーンより引用)
クロード・ギャラモンの生涯
イタリアからフランスにルネサンス文化が本格的に導入され、書物や活字が次々に伝わった時代に、Garamondの名前の元となったクロード・ギャラモンは生まれました。(生年は1480年とも1500年とも言われています。)父型活字彫刻師である父から技術を受け継ぎ独立したギャラモンは、仕事を通じイタリアの人文主義者ジョフロア・トリイと出会います。トリイはルネサンスの人文主義精神をフランスに定着させようと考え、その際にヴェネチアの名門・アルダス工房から発行された書物に注目。そこに使用されている活字の模刻をギャラモンに依頼しました。
ギャラモンはアルダス工房の活字を丹念に分析し、フランス語に馴染むように試行錯誤しました。特筆すべきはそれまで独立して扱われていた「イタリック体」を「ローマン体に従属するファミリー」として一揃いにした点です。現在私たちが当たり前に使っている「ローマン体とイタリック体がセット」という考えはこの時代にできたといえます。
ギャラモンの手によって作られた活字は、フランス語の公用語化という時勢も相まって様々な書物に使用されました。やがてギャラモンはその技術を讃えられ王室から「王の活字を彫る者」の称号を得ます。そしてその後出版業にも乗り出すも失敗。1561年、貧困の中でその生涯を閉じました。ギャラモンの死後、彼の工房は財政難に陥り活字の原版(父型・母型)を売りに出してしまいます。それによってギャラモンの活字は各地へ散逸してしまうのでした。
Garamond2つのルーツ
Garamondには大きく2つのルーツがあるとお伝えしました。
①オリジナル系(ギャラモン系)
一つは売りに出されたギャラモンの活字がドイツへ伝わったルートです。散らばった活字の一部はドイツの著名な印刷業者エゲノルフ活字鋳造所へ辿り着きました。そして1592年同活字鋳造所から発行された『エゲノルフとバーナーの見本帳』によりドイツで初めてギャラモンの活字が披露され、のちにギャラモン書体として復刻される元になっています。こちらをモデルに復刻されたギャラモン書体をオリジナル系もしくはギャラモン系と呼びます。
②ジャノン系
もう一つがジャン・ジャノンによる活字です。
ギャラモンの死から50年後の1612年、印刷人のジャン・ジャノンはエゲノルフ活字鋳造所のギャラモン活字をリデザインし、自身の活字見本帳を発表。当時プロテスタント系印刷所は新教布教のために秘密裏に印刷を行っており、ジャノンの活字も使われていました。しかしカトリック国フランスの王立印刷局に突き止められ、活字を没収されてしまいます。その後没収されたジャノンの活字は王立印刷局の所有となりますが「王立印刷局の所有活字」という事実が長い年月の間にいつしか、ギャラモンの「王の文字を彫る者」という栄誉と重ねられてしまい、ジャノンの活字がクロード・ギャラモンの活字であると誤解されるようになってしまうのでした。この誤解が解けるまでにジャノンの活字をもとにして作られたギャラモン書体。これを「ジャノン系」と呼びます。
結び
こうしてGaramondは歴史のいたずらにより2つの異なるルーツを持つことになりました。ただこの複雑な経緯もGaramondという書体の持つ奥深さの一つです。かつてジャノンがリデザインしたように今日でもメーカーが独自の解釈を加え様々なGaramondが作られています。それはこの書体がスタンダードでありながら、人の心を離さない証左かもしれませんね。