作った資料を閉じる前に、一度だけ自分に聞くようにしています。これは誰が読むのか。読んだあと、その人は何を決められるのか。答えが出てこないときは、中身が良さそうに見えても作り直します。
資料の出来は、作った側では決まりません。読む側で決まります。当たり前に見えますが、作っている最中がいちばん忘れやすいところです。時間をかけたものほど、かけた時間のぶんだけ良く見えてきます。
厳しい言い方をすると、読み手が何も決められない資料は、作っていないのと同じ扱いになります。情報が足りないから決められないのではなく、多すぎて決められないことのほうが多いと感じています。網羅は親切ではありません。全部載せるというのは、どれが大事かを決める仕事を読み手に押し付けているだけのことがあります。
同じ中身でも、宛先が変われば作り直しです。金融機関に出すもの、社内で共有するもの、経営者が一人で考えるときに開くもの。結論が同じでも、その人が知りたい順番と、その人がすでに知っていることが違います。相手がとっくに知っている前提から書き始めた資料は、三ページ目まで読まれません。
ではなぜそこまで言うのか。読み手の時間を守りたいからです。経営者が資料に向かえる時間は、そんなに長くありません。その短い時間を、読み解く作業ではなく、決める作業に使ってほしいと思っています。現在地を整理して見せるのは、追い詰めるためではなく、選択肢を手元に戻すためです。読むだけで一時間かかる資料は、その戻すはずの時間を先に奪っています。
もう一つ。分かりやすく作ることと、都合よく作ることは違います。読み手が受け取りやすい形に整えるのは仕事です。ただ、読み手が嫌がる数字を小さく載せるのは、整えたことになりません。悪い数字ほど前のほうに置くようにしています。順番を変えるだけで、資料は簡単に嘘をつけてしまうからです。
もっとも、この原則には弱点があります。作った本人が、いちばん読み手になれません。書いた順番を覚えているので、説明を飛ばしても意味が通ってしまう。だから、時間を置いて読み直すか、人に渡して最初の一分でどこを見たかを聞くようにしています。ちなみに、うちは社名の綴りに f がひとつ多いので、読み手泣かせという点では人のことを言えません。
一緒に働くことがあれば、資料を出す前に一度だけ聞くと思います。これ、誰が読みますか。そこに答えがすぐ出るなら、その資料はもう半分できています。