打ち合わせで数字の根拠を尋ねると、返ってくる反応はだいたい三つに分かれます。根拠を示せる。示せないので確認しますと言う。示せないのに、示せたことにする。
いちばん困るのは三つ目です。その場は滑らかに進みます。空気も乱れません。ただ、その数字はそのまま計画に載り、資料に載り、最後は社外に出ていきます。後で崩れたとき、崩れるのは数字ではなく、それを出した人の信用のほうです。
だから、この仕事では「分からない」と言えることを、能力と同じ列に置いています。
分からないと言うのは、弱さの表明ではありません。ここから先は未確認だ、という線を引く作業です。線が引かれていれば、誰が、何を、いつまでに確かめるかを決められます。線が引かれていなければ、確かめた話と確かめていない話が同じ濃さで並んだまま、判断だけが先に進みます。
経営判断で怖いのは、間違った数字そのものよりも、間違っていることに誰も気づけない状態のほうです。
「分からない」にも種類があります。調べれば分かること、調べても今は分からないこと、そもそも誰にも分からないこと。この三つを分けずに一括で分からないと言うと、話がそこで止まります。調べれば分かることなら、誰がいつまでに調べるかを決める。今は分からないことなら、仮置きの値を置いたうえで、その値が動いたときに何が変わるかを見ておく。誰にも分からないことなら、外れたときにも成り立つ形にしておく。分からないの中身を分けるだけで、打ち手のほうは出てきます。
厳しく聞こえるかもしれません。ただ、根拠を尋ねるのは、答えられなかった人を責めるためではありません。目的は、その場で分かっていることの範囲を確定させることです。範囲が決まれば、埋めにいけます。埋めにいく段取りまで一緒に決めておけば、次の打ち合わせでは同じ問いに答えられる状態になっています。
分からないと言った人が減点される場では、誰も分からないと言いません。言えない空気をつくった側にも責任があります。だから、聞く側が先に、ここは自分も未確認です、と言うようにしています。
もっとも私自身、確認しますと言った件が、別の件に押されて後回しになることがあります。だから、その場でメモに期限まで書き込むようにしています。自分の記憶を信用しない、という原始的な対策です。
分からないことが多いのは、恥ずかしいことではありません。分からないまま、分かっているふりで前に進むことだけが、後になって高くつきます。
もし一緒に働くことがあれば、最初のうちは分からないことのほうが多くて当然です。見ているのは知識の量ではありません。いまどこまでが確かで、どこから先が未確認なのか。それを自分の言葉で線引きできる人と、仕事がしたいと思っています。