エンジニアの思想を読むとき、私はコード以外のものを見ている
技術記事を読むのが好きだ。
新しいフレームワークや設計手法、生成AIの活用方法を見るのも面白い。
でも最近は、サンプルコードそのものより気になることがある。
この人は、何を急いで決めて、何を残そうとしたのだろう。
少し前、自分が数年前に書いたコードを保守する機会があった。
機能は問題なく動いていた。
それでも画面を見ながら、何度も立ち止まった。
「なぜ、ここで境界を引いたんだろう。」
当時の理由は思い出せない。
けれど、その小さな判断だけは、数年後の変更のしやすさに確かな影響を残していた。
後から振り返ると、不思議なことに気づく。
後悔するのは、動かなかったコードではないことが多い。
むしろ、
急いで決めてしまったこと。
その判断は当時は合理的だったのかもしれない。
ただ、時間が経つと別の景色が見えてくる。
「あのとき、本当にそこまで決める必要があったのだろうか。」
そう思う場面が少なくない。
生成AIを使うようになって、実装は以前よりずっと速くなった。
不思議なことに、設計について考える時間は減らなかった。
むしろ増えた気がしている。
速く書くことよりも、
何を今決めるのか。
そして、何をまだ決めないでおくのか。
その境界の方が気になるようになった。
最近は、効率という言葉も少し違って見える。
工数を減らすことや処理を速くすることはもちろん大切だ。
けれど、それだけでは説明できない価値もある。
数年後、別の誰かがそのコードを開いたとき、
「ここからなら進めそうだ」
そう思える余地が残っているかどうか。
設計とは、その余地を整える仕事でもあるのかもしれない。
技術記事を読むとき、私は実装テクニックだけを見ているわけではない。
変更されることを前提にしているか。
未来の保守担当者を想像しているか。
まだ決めなくてもよいことを、急いで固定していないか。
そんなことを考えながら読んでいる。
数年後、自分のコードを見返すたびに思う。
思い出すのは、実装した機能ではない。
あのとき、なぜ急いで決めたんだろう。
最近は、その一瞬の判断の方が、コードそのものより長く残る気がしている。