正解を選んだつもりだった②
【第2部|レールの上でも、不安は消えなかった】
予定通り、看護科のある公立大学へ進学。
当時の私は、「これが正しい道なんだ」そう思っていました。
でも、それは長く続きませんでした。
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元々、勉強は好きな方でした。
高校までは、勉強すればするほど進路の選択肢が広がる感覚があった。
でも看護学生になってからは、 少し感覚が違いました。
毎日必死に講義や実習をこなしているのに、
「この努力の先に、本当に自分の望む未来があるんだろうか」
そんな疑問が、少しずつ大きくなっていったんです。
もちろん、 看護の勉強自体に意味がないとは思っていませんでした。
ただ当時の私には “自分の可能性を広げる勉強”というより “看護の世界に適応するための勉強”のように感じられていました。看護の勉強を頑張るほど、未来が広がっていくというより、自分の進む道が一つに絞られていくような感覚があったんです。
「看護がやりたい」という強い想いより、今より良い未来が待っているかもしれないという期待の末の選択だったから。
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看護学生の生活は想像以上に忙しかった。
もちろん、友人との時間にはかなり支えられ楽しい時間をありました。テスト期間は毎日カフェに集まり、問題の出し合い。国家試験の勉強期間はコロナ禍で、電話を繋ぎながら一緒に勉強していました。一人では心が折れていたかもしれません。
実習が始まると、生活は完全に“看護中心”になっていきました。
朝6時前に家を出て、緊張感のある病棟へ向かう。帰宅後も深夜まで看護記録を書く。 気づけば夜中の1時を回っている。みんな同じように疲れ切っていました。 途中で進路変更を選ぶ学生も決して珍しくありませんでした。昨日まで隣にいた子が、ある日突然来なくなる。 そんな毎日の中で私は、「社会に出るって、こういう過酷さに耐え続けることなのかな」 と、薄々感じ始めていました。
卒業する頃には、少し目的がすり替わっている感覚もありました。
最初は、「今より良い未来が待っているかもしれない」そう思って始めたはずなのに、 いつの間にか、「自分が本当にやりたいか」より、 “ここまで頑張ったんだから、辞めたらもったいない” そんな感覚の方が大きくなっていたんです。
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そんな中、私は、 就職することを選びました。
看護師になるまでには、4年間で300万円以上のお金もかかりました。
ここまで時間もお金もかけて、やっと国家資格を取ったのだから、看護師になれば経済的に自立できて、もっと自由になれると思っていました。
でも現実は違いました。
私が働き始めた頃は、ちょうどコロナ禍。防護服を着て、真夏のコロナ病棟で汗だくになりながら働く。時短勤務のママさん看護師も定時で帰れない。夜勤では30人近い患者さんをたった2〜3人の看護師で見る。点滴チェックやおむつ交換に追われ、急変があればその対応にも入る。
常に気を張り続けていて、朝になる頃には頭も体も限界でした。
休みの日は、遊ぶためではなく、次第にただ回復するための時間へと変わっていきました。世の中が連休で盛り上がっている日でも関係ない。GWでもキャリーケースを持って空港へ向かう人たちを横目に、私は病院へ向かっていました。
そこまでやって、 最初の手取りは20万円ほど。 正直、「これが社会の現実か」 と思いました。 さらに怖かったのは、先輩たちの姿でした。
責任は増え続けるのに、楽しそうに働いている人がほとんどいない。 5年目の先輩のお給料を聞いても、当時2年目の私とは大きくは変わっていませんでした。
「この先も、これが続くのか」
気づけば私は、
スーパーへ行く時も、電卓を片手に買い物をするようになっていました。 旅行をしたいと思っても、「今月使いすぎかも」と頭の中で計算してしまう。
今を楽しもうとすると、将来のための貯金ができない。かといって、老後のためにお金を残そうとすると、今を楽しむ余裕がなくなっていく。生きているかも分からない未来のために、今を削り続けているような感覚でした。
私はずっと、“正しいレール”を歩けば安心できる未来が待っていると思っていました。
でも実際は、
そのレールの上にいても、自分が自由になれている感覚はなかった。
このままここで続けていても、私の人生は一生我慢と隣り合わせ。不安は消えない。
ふと、目の前の現実から逃げたくなって、私は
看護師を辞める決断をしました。
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