私がAntraceに入るまでの、平凡な話。
出身は大分県別府市。
地元の観光系の短期大学を卒業後、
地元の金融機関に就職しました。
本当は、短大時代に取得した
国内旅行業務取扱管理者の国家資格を活かした仕事に就きたかった。
でも、当時は東日本大震災の影響で求人がほとんどなくて。
「とりあえず就職しなきゃ」
そんな気持ちで始めた就活でした。
金融機関で働きたかったのかと言われると、
正直そうではなくて、倍率3倍だし、
受かったから入った、くらいの感覚。
計算も得意じゃないし、やりたい仕事でもなかった。
でも周りからは、
「安定してるし、いい会社やん」
と言われて、
「そんなもんなのかな」
くらいの気持ちで働き始めました。
国家資格も持ってるし、
もし嫌になったらいつでも別の道に行ける。
当時はそんなふうに軽く考えていました。
気づけば、そこで8年間勤務。
その間に結婚、出産も経験しました。
同期には恵まれたし、福利厚生も悪くなかった。
育休は1年まるっと取れたし、有給も比較的自由に取れる。
2年目からは有難いことに
新人教育も任され、毎年後輩を教える立場に。
年功序列の環境の中で、証券外務員、法務、税務、財務…。
社会人になっても勉強の日々。
「なんで大人になってまで、
こんなに勉強しなきゃいけないんだろう」
そんなことを思いながら、なんとなく毎日を過ごしていました。
当時の私は、何度も
「本当は辞めたい」
「パートでもいいから、もっと自分らしく働きたい」
と相談していました。
でも返ってくるのは、
「辞めるのはもったいない」
「今の職場の方が待遇がいい」
という言葉。
その頃から、“自分のやりたいことを我慢する”のが
当たり前になっていた気がします。
子どもたちもいて、幸せなはずなのに、
どこかずっと苦しかった。
私は何のために働いてるんだろう。
何のために生きてるんだろう。
やりたくない仕事をして、
家のことを当たり前にこなして、
誰かに感謝されるわけでもなく。
職場の上司を見ても、
「この先、私はこの人たちみたいになるのかな」
と思った時に、心の底からゾッとしました。
毎日文句を言いながら、
“なんとなく生活するため”に働く人生。
それが、私のなりたい姿ではありませんでした。
そして離婚をきっかけに、退職。
シングルマザーということもあり、
職場の上司からはかなり引き止められました。
それでも私は辞めました。
「このまま人生終わりたくない」
その気持ちだけで。
そこからは、子どものために時間を使いたいと思い、
フリーランスの世界へ。
でも現実は甘くなかった。
時間を取れば収入が減る。
収入を増やそうとすると時間がなくなる。
フリーランスになれば自由になれると思っていたけど、
当然、知識も経験も人脈もない。
不安ばかりでした。
それでも、辞めた以上やるしかなくて、ただ毎日必死でした。
でも、頑張っても頑張っても、理想には届かない。
付き合っていた人とも別れ、
自分の周りから大事なものが少しずつ
手からポロポロ落ちるみたいに離れていく感覚がありました。
その時、やっと気づいたんです。
今まで私は、環境や人のせいにして生きてきた。
でも、本当に変わらなきゃいけなかったのは自分だったんだって。
遅すぎるくらい、遠回りして。
たくさん失敗して、たくさん失って、
何もなくなりかけた時に出会ったのが、Antraceでした。
ここなら、人として成長できるかもしれない。
ただ平凡に生きてきたつもりだけど、平凡じゃなくて
今は何も無くなってしまった。
だけどここでなら今までの自分を取り戻せる
なんならそれ以上の何かになれると
そう思いました。
職種なんて、正直どうでもよかった。
子供が不自由なく暮らせるなら、ただでさえ
お父さんがいなくて寂しい思いさせてるのを
忘れさせられるくらい埋めてあげたいと思ってた。
それが、人生で一番やりたくなかった“営業”だったとしても。
「今までの自分ではなれなかった自分」になれる可能性があるなら、チャンスが目の前に転がってるなら掴みたかった。
ここに来るまでは、本当に“よくある人生”でした。
普通に高校へ行って、
普通に短大へ行って、
就職して、結婚して、子どもができて。
もちろん当たり前じゃないし、
それも幸せな人生だと思います。
でも私は、どこかでずっと物足りなかった。
離婚をきっかけに考え方が変わったのかもしれません。
せっかく一度きりの人生なら、
自分のやりたいことをやって、
好きな人たちに囲まれて、
笑って生きていたい。
次回は絶対にしたくなかった営業職を
大好きになるまでのお話を書きます。