みかた残酷マラソン全国大会
みかた残酷マラソンオフィシャルサイト マラソン,但馬,関西,兵庫,小代,おじろ,marathon,残酷 兵庫県北部、香美町小代区内各所をかけめぐる周回コースです。 町道などを利用したいくつものうねりのあるハードコースです。 今年も大きなZANKOKUが町民の温かい応援とともに、あなたの挑戦を待っています!
https://mikatazankoku.com/index.html
Photo by Fitsum Admasu on Unsplash
ある日、
何十年と上り下りしてきた駅の階段で
息切れをした。
あれ、普通に上っただけなのに。
こんなんじゃ、このまま体力衰えて、70代になったらすっかり歩けなくなるんじゃないか?
と、焦り始めたのがきっかけで、ウォーキングを始めた。
階段上っただけで息切れするのだから、急に運動したら絶対足を悪くすると思って、まずはウォーキングから。
わすれもしない、3年前ですね。
1月頃に初めて、1カ月ほどで早歩き歩いて、そこから短い距離からジョギングを始めたという感じです。
知人に、足切りタイムの緩いマラソン大会有るから、それを目標にしてみたらと言われ、たしかにだいぶ歩いても大丈夫そうだったのでそれに出ることにしました。
その大会が6月。
半分はあるきながらなんとか足切りタイムぎりぎりで完走したけど、もうへとへとになりました。その時に悟ったんです。
ジョギングとかマラソンって、超無意味じゃね?
はやい人はとっくにゴールをしてからも、長い道のりを走ったり、後半はほぼ歩き続ける。少しアップダウンのあるコースで、周りもみんなへとへと。
上り坂ではみんな歩いている。
脚も痛くて、休みたくて、なんか極限状態になりながらふと思ったんです。
日曜日に、参加費を払って、わざわざ過酷なことをする。
ドM人口多すぎる!
いや、そもそも、動物的にそういう性向が進化の淘汰圧に勝った。
そして社会のシステムとして、マラソン大会は各地で開催されている。
やっている事には合理性のかけらもない。
自主的にお金を払ってただ疲労するという謎の行為だ。
いや、上位にランクインする様な人には意味があるかもしれない。
その圧倒的な体力を証明することができる。
しかし、僕の周りに走っている連中にはそんなものは無い。
でも、ウェアが売れ、シューズが売れ、大会が成立し、それが街おこしになったりもする。趣味として多くの人が楽しみ、経済的にも発展している。
いったいこれは何なんだ?
と思ったわけです。
もう疲れているから、ただ疲労から気をそらしたかっただけなのかもしれませんが、その風景が面白く見えてきました。
なんて無意味な行為が経済を生み出しているんだ。
そしてそれは、なんて平和なんだ。
そういう社会は、実はものすごく素晴らしい事なんじゃないのか?
多くの人が、そんな無意味なことに打ち込める社会って、実はすごいんじゃないのか?
そう考えていくと、ジョギングやマラソンが経済効果のある文化になっているって、実際問題システムとしてすごい事なのではないかと思えてきました。後で整理したことも含まれているので、その時に全部こんな風に考えたわけではありませんが、とにかく、なんて変な生き物で、なんてすごいシステムなのだろうと思ったわけです。
よく言われることですが、生物的には種の継続ではなく、遺伝子の継続を求めているというやつ、ありますよね。同種族内の競争は遺伝子単位で考えると説明しやすいというやつ。人もやはりそれで、歴史を見ても争いは数えきれないわけです。ですが社会システムとしてスポーツを発明し、競技を発明した。
そのかなでもマラソンのすごさは、全くの個人競技という点です。
もはやただただ、自分の肉体を酷使するだけの競技です。
こんな平和な争い、ありますか?
何千人も、大きな大会なら何万にも集まってですよ、ただただ自分をいじめるんです。
無意味の極致です。
この行為自体は、疲労以外の何物も生み出しません。
ただただ疲れる限界まで速く移動するんです。
その時、僕は一つの真理を見た気がしました。
人は意味があるから行為をするのではなく、行為に意味を与えているのだと。
というわけで、今年もその大会に参加します。